虚と実の間/人と神の間
作品のシュールなドラマ性は、彼が創り出す雰囲気に出ているだけではない。張士飛は『出神』に関する自序の中で、こう述べている。——この作品は、廟の祭りに見られる信仰における真と偽や虚と実、そして生死と霊魂に関して思考するものであって、何らかの答えを出して問題を導き出そうとするものではない、と。移民社会である台湾においては、漢人の祭祀や信仰にさまざまなエスニックや外来の文化が溶け込んでいて、その奥に潜む精神面には儒教の礼教性や封建思想などが隠されている。こうした日常生活における慣習に、私たち自身はなかなか気付かないものだが、張士飛の眼を通すことで、もうひとつの別のチャネルから祭りと信仰について考えることができるのである。
張士飛は、祭儀のために集まってきた人々のさまざまな姿を観察している。それらの人々の間には喧騒と静寂が入り混じり、真実と虚偽、生と死が交錯し、矛盾した混合物が人の世の百態の中に満ち溢れている。張士飛は、人々とともにそれぞれが受ける五感の衝撃を感じ取り、再び日常の状態に戻ることの寂しさを人々とともに感じる。そのさまざまなものごとが、無から有へ、そして再び無へと帰し、そのすべてが人と神とがともに祝うステージに凝縮されているのである。
張士飛は、この作品に関する文章の中で次のように述べている。「私にとって、このステージで発生したすべてのものごとは、人と宗教との結びつきから発生するものであり、しかもそれは一種の神秘的な力に牽引された関係なのである」と。彼は常にこうした原始の神秘的な特性にひきつけられてきた。だからこそ、絶えずこのような場に足を運んで写真を撮るのであり、これらの作品によって自身をひきつける神秘的な力の存在を示そうとしているのである。