建築家の社会的責任
こうした美談が有名なせいか、逆に彼女の仕事自体への注目度はさほど高くなかった。阮慶岳は「王秋華の作品にはより深い研究や整理が必要で、その意義や影響力はまだ充分に明らかにされていない」と述べている。
とりわけ王秋華が得意とするのは使用者の立場で考えた設計で、でき得る限りの細やかな心配りが女性らしい。また、採光や通風など環境を考慮した特質は、現代のエコ建築に通じる。「建築家の責任は、設計や監督だけでなく、人工のものをいかに美しくするか、また環境への人々の理解と配慮を呼び起こすことだ」と彼女は考える。
モダニズムの理念「形態は機能に従う」を彼女は忘れず、特定のスタイルや様式を強調することはない。大胆な手法を用いながらも優雅さがあり、内部空間には生活のリズムが感じられる。多くの作品が今改めて見ても模範となる。
1998年に手掛けた台中栄総病院職員寮では、同病院は当初、3棟の高層集合住宅を希望していた。だが住まいへの需要は、家族構成によっても異なる。検討した結果、若い世代のための高層住宅を2棟、ほかは3階建て住宅として高齢者や子供が住みやすくすることを彼女は提案した。
王秋華の作品で知名度が高いのは、国内の多くの大型図書館だ。彼女の作品には公共建築が多く、個人の住宅は少ない。読書好きの彼女は図書館に思い入れがある。国立中央図書館(現在の国家図書館)の内装と家具は彼女の設計だし、1985年完成の中原大学張静愚記念図書館は、国内で初めての開架式で閲覧スペースを設けた図書館となり、その後はほかの図書館が争ってそれに倣った。図書館に改革をもたらした彼女は「図書館の母」と呼ばれている。
中年になった王秋華が台湾に定住したことは、台湾の建築発展にとって幸運だった。だが台湾の建築思想に深く関わらなかったことや、ランドマーク的な建築物の設計は、個人の好みであまり手掛けなかったことから、同時期に活躍した王大閎や陳其寛といった戦後第一世代の建築家ほど知名度や影響力が高くない。だが、だからこそ彼女は何ら気負うところなく、自由に好きなことをやれたと言えるかもしれない。
高齢となった近年、新しい作品は少ない。だが彼女の残した作品は後進にこう呼びかける。建築家の使命は自分を誇示することではなく、環境への配慮であり、社会への責任を負うことなのだと。とりわけ感染症が広がり、人と人、人と自然の不均衡や衝突が見られる今、彼女の作品が示すものの価値は高いと言えるだろう。
王秋華は公共建築を中心に設計し、在米中は教会や学校、コミュニティセンターなどを多数手がけた。写真はニューヨークにあるヒューバート・ハンフリー・スクール。(王秋華提供)
2016年、王秋華は91歳という高齢ながら中原図書館の施工を自ら監督し、建築家としてのプロ意識と謹厳な態度を示した。
中原大学の張静愚記念図書館は、王秋華の手によって国内初の開架式図書館となった。閲覧スペースの机や椅子も彼女のデザインである。
自宅である雪舎の廊下の突き当り。吹き抜けには天窓が開けてあり、陽光が差し込む。ここには換気扇も設けられ、屋内に空気の流れを作っている。
雪舎のリビングルームは長年にわたって家族や友人の集いの場となっている。写真は、国家文芸賞を受賞した後に公共テレビが制作した王秋華のドキュメンタリーフィルムを、ディレクターや建築業界の友人とともに鑑賞した時の様子。(陳紹平提供)
雪舎の細部の設計は、王秋華のスケッチと同様にシンプルで落ち着きがあり、自然を取り入れつつ文化的素養も感じられる。
王秋華の暮らしは質素かつ控えめで、建築の本業だけでなく人となりの面でも後進の良き模範となっている。