工芸から芸術へ
百年以上にわたって文化が受け継がれてきた鹿港では、芸術の二大イベントが行われている。
1978年から端午節に行なわれてきた「鹿港慶瑞陽」(前身は「民俗才芸活動大会」)は、すでに40年以上の歴史を誇り、その規模も性質も現在よく行なわれるアートフェスティバルに匹敵する。
1996年、工匠の始祖とされる魯班の生誕日に、鹿港では「魯班公宴」が開かれ、108のテーブルにさまざまな工芸品が展示された。人間国宝や国家工芸成就賞、薪伝賞などの受賞者の作品も展示され、素晴らしい展覧会となった。
伝統を受け継ぐだけではない。「鹿港の工芸は一歩進んで芸術へと発展しており、職人が芸師へ、さらには芸術家へと生まれ変わっています」と林明徳さんは言う。これは華人文化圏においても珍しいことだ。私たちが鹿港の町のあちらこちらで職人の話を聞いてみると、これが事実であることがさらに明らかになった。
捏麺人(小麦粉やもち米粉を練った生地に色を付けて人間や動物の形を作ったもの)の職人である施教鏞さんは「怡古齋」という茶房を開いている。捏麺人職人の三代目として、捏麵や紙細工、陶芸などに秀でた施教鏞さんは、幼い頃から父親と一緒に廟の門前に露店を出して実演販売するようになり、この経験から臨機応変に対応する力が付いたと言い、台湾語で「腹肚那枵全步數 腹肚那飽無半步」と話す。腹が減っている時は何でも懸命にやるが、満腹になると何もできなくなるという意味だ。
「怡古齋」の看板メニューである「麺茶氷」(炒めた小麦粉をかけたかき氷)も良い例だ。かつて物資が乏しかった時代は食糧の配給制度があり、一家の食事を担当する女性たちは、節約して小麦粉を大切に使っていたが、長く保存しているとカビが生えてしまう。そこで殺菌と防虫のために小麦粉を炒めてみると香ばしい風味が出てくることに気付き、これをお湯で溶いて飲むようになったのが「麺茶」である。怡古齋で、この「麺茶」を使ったかき氷と冷たい麺茶などのスイーツを出したところ好評を博し、鹿港を代表する名物となったのである。
怡古齋の後ろには施教鏞さんのアトリエがあり、驚くほどの数の捏麺作品が陳列されている。「おふくろの腹の中にいた頃から作っていた」と話すこの職人が生涯をかけて作ってきた作品たちだ。宗教神話の登場人物、歴史上の人物、動植物、それにアニメのキャラクターや祭祀の供物まで揃っている。
驚かされるのは、これらの作品が牛角籤という小さな道具と手だけで「つまんだり、押したり」して作られていることだ。それだけの細工で生き生きとした造形や表情が作り出されているのである。廟芸術の影響を受けてきたからか、彼の作品には、交趾陶(廟の装飾に用いられる陶器)のような繊細さがあると評する人もいる。
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テーブルと椅子、そして壁にかけられた書画。これが雅を追求する典型的な「鹿港味」である。