台湾省道11号線を海沿いに南へ向かい、台東県東河を越えると、製糖工場の高い煙突が見えてくる。ここは、もう都蘭だ。都蘭山と太平洋に抱かれたこの静かで小さな町に在宅医療サービスをメインとする医療機関「都蘭診療所」がある。
その所長で医師の余尚儒と看護師の林蘭芳は、往診鞄と薬箱という簡単な装備で、美しい緑の中を車で移動しつつ、行動が不便で病院になかなか通えない住民たちを一人ひとり訪ねていく。この二人に同行することで、小さな町に暮らす人々の知られざる日常生活が見えてくる。
一行が道路脇の福安堂前に到着すると、高齢の清泉さん(仮名)はガジュマルの木の下でうたた寝していた。
余尚儒と林蘭芳は手慣れた様子で医療機器を取り出し、患者の脈拍や血圧を計り、病気の状態を観察する。
95歳の清泉さんは、多くの高齢者に見られるように、高血圧と皮膚のアレルギー、変形性膝関節症があるが、日常生活に大きな支障はない。今も5時に起床し、自ら車椅子を押して廟の前までやってきて、その傍らにある畑の手入れをして野菜を育てている。
だが、数カ月前はそうではなかった。当時は皮膚のかゆみがひどいために睡眠の質も悪く、また変形性膝関節症のためにうまく歩けず、血圧が180を超えることもあった。
慢性疾患は少量の薬で改善することができるが、放置すればリスクは高まる。しかし、家は町から遠く離れていて、車もないため病院に行くこともできない。そうした中、社会福祉機構のヘルパーが能動的に連絡を取り、余尚儒に診療を託した。こうして余尚儒が訪問診療を行なうようになり、清泉さんの症状は大幅に改善、生活の質も高まったのである。
「持って行って食べてくださいよ」と清泉さんはしっかりした足取りで畑へ歩き、サツマイモの葉を刈り取って医師の車の後ろに詰め込んだ。
次の患者の家へ向かう車の中で、林蘭芳は同じ患者を診ている理学療法士と電話で連絡を取り合い、患者の家で待ち合わせることにした。
高齢の振発(仮名)さんは、数カ月前に余尚儒が初めて診察した時は寝たきりの状態で、家族は、彼はもう二度とベッドから起きあがれないだろうと話していた。
しかし、寝たきりで筋肉量がますます低下し、サルコペニアになるのを防ぐため、余尚儒は理学療法士に脚部のリハビリを依頼した。
「でも、歩き回って転んだら大変ですから」と振発さんの息子は心配するが、それでも、少なくとも自分で立てるようにしなければならない、と余尚儒は患者の目標を定めた。
「おじいちゃんには1日に3回、毎回5分間立つようにしてもらわなければなりませんよ」と理学療法士はアドバイスする。
「リハビリの方法を看護師にも教えてください。そうすれば次に来た時に練習のお手伝いができますから」と余尚儒は理学療法士に依頼した。
一日をかけて各地の患者を診て回り、日も暮れてきた。「豆花でも食べに行きますか」と余尚儒は疲れた様子も見せない。
しばらく後、私たちは都蘭のインディペンデント書店「在書店」に着くと窓際の円卓に座り、書店が提供する黒蜜がけの豆花を食べた。
昨年都蘭に引っ越してきた余尚儒は、オープンな態度で住民たちと接するうちに、地域にとって欠かせない存在となった。
まるでご近所を訪ねるように患者の家を訪ね、お年寄りたちのおしゃべりにも加わり、どこかの高齢者の具合が悪いと聞けば、すぐに診察を手配する。こうした経緯から、住民たちは余医師に感謝するとともに在宅医療を理解し、町の書店やレストランからも熱い支持を得ている。
サーファーやサイクリング愛好家が集まる小さな町が、年配者が安心して暮らせる町になったのは、余医師のおかげなのである。
少子高齢化が進む中、医療体系と家庭での介護者の負担を軽減するために、従来の医療形態を転換して医師が患者の生活に寄り添う「在宅医療」が、社会の負担を軽減する解決策として重要になっている。
これまでは、管が外れてしまったという程度の問題でも、高齢者が病院に行くためには救急車を呼ばざるを得ないことも少なくなかった。
在宅医療は、医師と患者が本来の人間同士の関係に立ち返るというもので、余尚儒は、患者が医師と直接連絡が取れることが重要な指標になると言う。
「在宅医療」は医療スタッフが自ら患者の家へ行き、患者と医師が随時コミュニケーションをとれるようにするものである。こうすれば、患者の家族が休みを取って病院まで付き添ったり、移動などに時間をかけたりする必要もない。高齢化社会における生産力へのダメージも削減できる。
病気は治療し、可能な限り延命治療をする、というのがこれまでの病院の一貫した考えだった。繰り返し救急処置を行ない、挿管し、集中治療室に入れるといった医療措置においては、患者その人を尊重するといった繊細な配慮が欠けてしまう。特に多くの高齢者が直面しているのは不可逆的な老化と慢性疾患なのである。
救急医療や終末医療に携わったことのある医療関係者なら、過度の延命や過酷な救命処置は本当に必要なのか、という疑問を抱くものだ。在宅医療ではこうした従来の思考を抜け出して、患者の主体性と意思を尊重する。医師は絶対的な権威ではなく、傍らでアドバイスし、導く存在とされる。
患者が最期まで自宅で過ごすことができるようにするには、医師、看護師、栄養士、薬剤師、理学療法士など、さまざまな専門分野からなる医療チームの連携が重要になる。
患者の病状とチームの特質を最もよく知る医師は監督のような存在で、メンバーはそれぞれのポジションに就く。日頃から風通しよくコミュニケーションを交わし、医師の戦略の下で、一つの方向に向かって協力することが重要なのである。
新しい観念の普及は、地域社会の共通認識から始まる。台東のインディペンデント書店「晃晃書店」では台湾初の「在宅サロン」が開かれ、続いて台湾各地のカフェや雑貨店、教会などで計60回以上開かれている。
汪秋蓉は「在宅サロンは医療関係者だけの場ではなく、患者の家族にも分かち合ってほしいのです」と言う。いかに老いを迎え、最期を迎えるかは誰もが考えなければならない人生の課題なのである。
日本では、65歳以上の人口が全体の半数以上を占める集落を「限界集落」と呼んでいる。高齢者が集中する村落に医療の手が届かなければ、基本的な生活機能も維持できなくなり、高齢化が進むことで僻遠地域の集落はやがて消えていくこととなる。
「私たちがやっているのは地域おこしであり、在宅医療はその手段に過ぎません」と僻遠地域に根を下ろす医師の余尚儒は言う。医療は単独で行なえるものではなく、それは暮らしも同じである。余尚儒は診療所を開くとともに近隣のレストランや民宿、書店などと連携して「都蘭小客庁」というコミュニティの公共スペースを営んでいる。
診療所は地域住民に医療サービスを提供し、医者は訪問診療を終えると町の書店で豆花を食べながら一休みする。診療所のボランティアは都蘭小客庁を手伝い、夜は近くの民宿に宿泊する。こうしたネットワークで小さな都蘭の町は生気を取り戻し、喜びに満ちた日々が送れるようになり、それと同時に人々もこの町に留まるようになった。
在宅医療とは、実は地域おこしの手段でもあるのだ。
医師が患者を訪ねて診療するのと病院で診るのと大きな違いはない。看護師は簡単な機器を用いて患者の症状を確認する。
在宅医療には予防の機能もあり、良好な医療ケアを受けることで高齢者も日常生活を維持することができる。
患者を訪問する際、余尚儒は簡単な神経学の検査も行い、小脳と関わるバランス機能をチェックする。
「在宅医療」は機動的な医療サービスを提供する新しいモデルである。
医療チームが自ら患者の家を訪ね、随時医師とコミュニケーションをとれば、患者は時間をかけて病院に行く必要もなく、患者の家族が仕事を休んで病院に付き添う必要もない。(林旻萱撮影)
患者が最期まで自宅で暮らせるかどうかは、医師や看護師、栄養士、薬剤師、理学療法士などの医療チームが十分に協力し合えるかどうかにかかっている。
新しい概念の提唱は、地域のコンセンサスを得ることから始める必要がある。
台湾で初めて在宅医療を中心とする一般医療機関「都蘭診療所」。