2軸、3基地、無数の物語
歴史シーンの再生は、まず歴史文献が出発点となる。基隆の歴史は長く、日本統治時代にすでに台湾八景の一つ「基隆旭丘」として挙げられていた。また各時代の古地図からも、スペイン人、日本人、フランス人、オランダ人にとって基隆が重要な港であったことがわかる。したがって今回のプロジェクトも港の大沙湾が中心だ。大沙湾はその昔、最も早くに集落のできた地域で、かつては基隆唯一の海水浴場もあった。清の時代の旧跡がこれほど多く残る地域は台湾でも少なく、清仏戦争記念パーク、太平輪沈没事故慰霊碑、大沙湾石囲遺構、基隆要塞司令部校官宿舎など、重要な旧跡が点在する。
基隆市は、点在するこれら旧跡の統合を計画した。まず二沙湾と旭丘を2本の軸とし、大沙湾、社寮島(和平島)、白米甕砲台の3地点を結びつけることで、より完全で内容豊かなものとして歴史を再現させ、現代の人々にそれらと語り合ってもらおうというものだ。
社寮島は、現在では和平島の名で知られるが、かつては国際貿易で栄えた港があり、1626年にはオランダ人が当地にサン・サルバドル城を建設している。海外の考古学チームによって2011年と2014年に発掘調査がなされ、今年も再調査が予定されている。一方、基隆港西岸にある白米甕砲台も同プロジェクトの重要地点だ。市はここを基隆西岸の文化発展の中心として周辺地域の活性化を図る。この一帯はかつて「オランダ町」と呼ばれ、同砲台は台湾が日本に割譲される前からここに存在し、清朝末期の激動の時代を見つめていた。砲台の西側に高々と聳える3本の煙突は、基隆港のランドマークの一つでもある。夕刻のおぼろげな風景は「米甕晩霞」と呼ばれ、見逃せない景勝となっている。
林右昌市長は、古地図の模写を大切そうに取り出し、地図をなぞりながら基隆の歴史を語ってくれた。清仏戦争の名残りで、基隆にはフランス人墓地や民族英雄紀念墓などがある。毎年これらの場所では盂蘭盆会に、かつて基隆に暮らし、この地で奮闘した外国人のための供養が行われ、基隆市からも代表が参加する。また、ベトナム戦争の間も基隆には米軍第七艦隊が駐屯し、アメリカ人の姿が多く見られたものだった。
戦争にまつわる悲しい歴史だけではなく、笑いを誘うような物語もある。第二次世界大戦末期、台湾から任務に出る予定の神風特攻隊があったが、日本が敗戦したため、特攻隊員はそのまま帰国することになった。隊員の一人は何気なく砂糖を一袋携えて帰国したのだが、物資の欠乏した日本でその砂糖は高い価値を持ち、その特攻隊員は大金を手に入れたという。
こうした昔の記憶も、現代の科学技術によって再現が可能になった。市のプロジェクトでは、バーチャルリアリティや拡張現実などのデジタル技術を駆使し、同一エリアにおける異なる時代の古地図を重ね合わせるなどして、文化遺産の再現を試みている。

夜通し明りが灯り、仕入れの人出で にぎわう基隆の崁仔頂魚市場。