技術の結晶
日本時代の初期「農業台湾、工業日本」という政策の下、日本政府は屏東平野でイネやサトウキビを栽培する計画を立てた。しかし地表水の供給は不安定で、雨季には川が氾濫し、乾季には水がなくなってしまう。そこで日本人技術者の鳥居信平という人が、豊富な地下水を利用しようと、この地下ダムを設計し建設したのである。
「建設当時は簡単な施工機械と人の手に頼るしかなく、完成に2年かかりました」と丁澈士教授は言う。1923年に地下堰堤が完成して以来、豊水期の出水量は1日25万トン、渇水期は1日8万トンで、周囲の農地2500ヘクタールを灌漑してきた。長年修繕されていないものの、今でも年間平均3000万トン、1日平均8万トン余りの地下水を灌漑に提供している。
丁澈士教授によると、屏東県の力力渓の上流にももう一つの地下ダムがあり、今も利用されているという。こうした地下集水設備は非常に巧みにできていて、環境への影響は極めて少なく、丁教授をはじめ、多くの学者や専門家が注目している。現有の地下ダムの他に、濁水渓支流の清水渓や、屏東の隘寮渓の何ヶ所かにもこのような地下ダムを設ければ、毎日50万トンの水が得られると見られている。これは石門ダム1つ分に相当する出水量で、非常に大きな機能が期待できる。
地下ダムに集められた水は二峰圳を通って周囲の山麓を巡り、来義集落まで行くと地表に表われる。水はさらさらと流れ、用水路の傍らの石の隙間からは野草が芽を出し、モンキチョウが戯れている。丁澈士教授は、この古い地下ダムの知恵が再び注目され、台湾によみがえることを願っている。