台北機廠−東洋最大の車両基地
もう一つの台北機廠も、台湾の近代化や工業化を体現する場だった。1935年の落成時には東洋で最大規模の車両基地であり、今でも台湾都市部では最大面積の国の文化財だ。80年余りにわたり、各種鉄道車両が出入りして整備が行われ、台湾における鉄道整備技術の発展を支えた。
現在の台北機廠は面積17ヘクタール、廠内の各施設には設計などに特別な工夫が見られる。長さ167メートル、高さ20.4メートル、幅23.8メートルの組立工場は、車両整備点検における最初の解体検査と最後の組立が行われた場所だ。コンクリートの外壁と高い天井の鉄骨構造を持ち、屋根部は鋲で鉄骨を接合する「リベット接合法」が用いられ、シンメトリーな構造となっている。窓が多いが、採光は南北からだけで東西からは日が射さないようになっており、風通しや採光面でエネルギー効率の高い空間だ。
廠内に点在する工場の床はヒノキ製で、板の繋ぎ目にはコールタールが塗り込まれている。これは油分を吸収させて床を保護するだけでなく、部品が床に落ちた際に衝撃を和らげるためでもあり、当時の工夫がしのばれる。原動室のボイラーは高圧蒸気を各施設に送るほか、余った蒸気で大浴場の湯を沸かしていた。従業員は仕事の後、湯につかって疲れを癒すことができたわけで、当時すでにエネルギー再利用が実践されていた。
鉄道部庁舎が鉄道運営の中心であったのに対し、台北機廠には台湾鉄路で働く人々の労働史が刻まれており、廠内のあちこちに当時の作業の痕跡を留める。
文化ボランティアの経験が長い蘇允が廠内を回りながら説明してくれた。ディーゼル発電工場と内燃機工場の間の壁に描かれた絵は、従業員が自発的に描いたものだという。また、廃棄部品を組み合わせて作られたロボットもある。工場の壁のあちこちには、チョークで手書きされた数値や作業手順、作業安全を促す標語なども残っており、当時の様子が生き生きと伝わる。
63歳の陳武昌は元廠長、ここで45年間働いた後、定年退職した。彼は私たちを最も蒸し暑かった場所、鍛冶工場に案内してくれた。機関車に必要な部品はすべてここで鍛造されていた。コンピュータなどなかった時代、頼りとなるのは作業員の技術と経験で、最も技術の優れた者が蒸気ハンマーを操作した。廠内には手作業で使っていた鍛造工具も多く残されている。「蒸気機関車1台の部品は何千種にも上りますが、そのあらゆる部品を作る能力を台湾鉄路の従業員は持っていました」と彼は誇らしげに語る。この作業場には、おまけの利点があった。よく誰かが小豆を持って来て、水につけておくと、退勤時には蒸気の熱で小豆汁ができあがっていた。こうしたエピソードは、往年の車両基地特有の物語であり、貴重な産業文化遺産だと言えよう。
台湾で産業遺産保存に注意が払われるようになったのは最近のことだ。鉄道部庁舎は1992年には文化財指定を受けていたが、台博館の博物館系列に組み入れられたのは2006年、修復工事開始は2014年だった。当初は台北機廠の中で大浴場、組立工場、原動室、鍛冶工場が指定されただけだったが、後に機廠全体が保存指定を受けた。民間と文化部との協力で、前世紀の産業の姿を留める努力が続けられている。
鉄道部の2階にある花庁。天井にほどこさ れた精緻な漆喰のレリーフが官庁らしい風格を感じさせる。