福隆の東興宮前からは視界が広がり、双渓川の河口、龍門ビーチ、龍門吊り橋、遠くの山並みまでが一望できる。
真の旅の発見とは、新しい景色を探すことではなく、新しい眼差しを持つことにある。――フランスの文学者、マルセル‧プルースト
東北角‧宜蘭海岸国家風景区のうち、鼻頭角から三貂角にかけてのエリアは三貂湾と呼ばれ、美しい風景と、岬と入り江が連なる独特の地形で知られる。豊かな文化が息づくこの地には、原住民族である平埔族が古くから暮らし、後に漢民族が開拓を進めた。また、オランダ‧スペイン統治時代にはスペイン艦隊が上陸した。さらに「下関条約」締結後には、日本が台湾本島に上陸した最初の地となった。時の流れとともに交通の発展が三貂湾の興亡を左右し、この地はまるで世俗から隔絶された桃源郷のように、土地の歴史の痕跡と地元住民の味わい深い暮らしを今に残している。
「台湾は、ごく狭い範囲と、ごく短い距離の中に、きわめて多様な生態環境の変化を有する土地です」。世界的視野からこう語るのは、台湾生態旅遊(旅行)協会の名誉理事長‧郭城孟さんだ。台湾各地の魅力を伝えることを使命とする郭さんは協会の仲間たちと共に貢寮区‧三貂湾一帯に滞在し、生活の風景を読み解くという視点から、地域固有の物語を掘り起こしている。

海食や風食の作用で、奇岩や奇石の景観が東北角のあちこちに見られる。写真は南雅奇岩。(林旻萱撮影)
自然が刻んだ地形の奇跡
東北角の海岸を鼻頭角から三貂角まで進むと、若い地質と古い地質が交差する特異な光景が見られる。郭さんによると、台湾の地質は東南から西北へと圧縮されて形成されており、東南から順に中央山脈、雪山山脈、西部麓山帯となっているという。そのため、西北に行くほど地質は新しくなる。三貂湾一帯は、主に雪山山脈の最上層の地質に属し、そこに比較的新しい西部麓山帯の地層が一部混ざっている。龍洞湾では、この二つの地質の交差が見て取れる。台湾の造山運動の過程において、古い地層が隆起していったのだが、龍洞岬は雪山山脈が北部で最初に隆起した最古の地層で、堆積時代はおよそ3500万年前とされている。一方、龍洞湾北端の鼻頭角は西部麓山帯に属し、地質年代は非常に新しく、約400~500万年前のものだ。このように新旧の地層が交わる地形は、台湾でも特に珍しい景観だ。
台湾全島を見渡しても、岬と入り江が連なる地形が数多く見られるのは東北角ならではだ。この地にそれが集中している理由は、この地域の山脈が海岸線に向かって垂直に突き出すように延びているため、波による侵食のされ方の違いに加え、岩層の硬軟差があるためだ。硬い岩は侵食に耐え岬となり、柔らかい岩は海水に削られ入り江となる。この結果、入り組んだ岬と入り江からなる海岸線が形成された。さらに、東北季節風による強風が加わり、海食や風食の影響で、東北角一帯には奇岩が数多く見られる。たとえば鼻頭角の海食台地には、キノコ岩、蜂の巣岩が広がっている。また、澳底には亀仙岩、カエル岩などが海に立ち並ぶ。東北角の海岸はまさに自然が刻んだ彫刻のような光景に満ちている。

波の侵食によって形成された岬や入り江が多い東北角の海岸。写真は鼻頭龍洞地質公園。(林旻萱撮影)
東興宮で読み解く風景
福隆の東興宮の廟前から望むと、双渓河の河口、龍門ビーチ、龍門吊橋、遠くの鼻頭角、西部麓山帯の山々が一望できる。郭さんによると、福隆の黄金色の砂浜は、西部麓山帯の砂粒が多雨の気候によって山から流れ出し、双渓の水によって河口に運ばれてきたものだという。さらに、東北季節風によって本来海へ流れるはずの砂が吹き戻され、福隆ビーチ沿いの「沿岸流」が砂粒を移動させる。その結果、海岸につながる一端と、海へ伸びるもう一端を持つ特殊な堆積地形「砂嘴(さし)」が形成された。
砂浜には自然の出合いだけでなく、民族の出会いもあった。1000~2000年前、平埔族に分類される巴賽(バサイ)族が、伝説の地「Sanasai」から台湾に渡り、龍門の砂浜に上陸した。巴賽族は、北上して凱達格蘭(ケタガラン)族となり、南下して宜蘭方面へ移住した者は噶瑪蘭(クバラン)族となった。三貂角に定住した者たちは双渓河の河口に集落を築き、「三貂社」を形成した。
300年前、龍門や澳底一帯は船運に適していたことから、漢民族の入植を惹きつけた。たとえば呉沙は、澳底を宜蘭開拓の重要な拠点とした人物で、澳底にある呉沙の墓がそれを物語っている。そして1895年、「下関条約」の締結後、日本の近衛師団が台湾に上陸した最初の地が塩寮であり、その地には上陸記念碑が建てられた。現在の「塩寮抗日記念碑」だ。海辺の景色を眺めながら2000年にわたる民族の出会いの物語に耳を傾けると、台湾の歴史はこうした交差の中から形作られてきたのだと実感できる。かつての大きな時の流れが、まさにこの風景の中に刻まれている。

自然の力が造り出した東北角の造形美は、訪れる人の想像力をかき立てる。写真は澳底にある亀仙岩。(台湾生態旅遊協会提供)
川と海が育んだ知られざる村
地域の歴史的な奥行きをより深く探りたいなら、龍門訪問はその期待を裏切らないだろう。
「龍門って聞いたことありますか」。曙旅文化スタジオの呉函恩さんは、現地を巡る散策ツアーを引率するたび、この問いで話の口火を切る。映画『龍門客棧(残酷ドラゴン 血斗竜門の宿)』を思い浮かべる人もいれば、餃子店を連想する人もいるが、東北角に位置するこの村が、実は深い地理的‧文化的背景を持つことを知る人は少ない。
龍門は、「通り過ぎられがち」な場所だ。浜海公路が開通して以降、多くの車は村の外側を通ってしまい、実際に村の中へ足を踏み入れる人は少ない。呉さんによれば、龍門は双渓河と太平洋に挟まれ、砂丘の上にある村で、かつては河川交通が盛んで、貢寮における重要な交通の要所だった。双渓河の河口に接していたため、貨物の積み替え拠点として栄え、基隆や淡水とつながり、淡蘭古道と宜蘭を結ぶ中継地でもあった。かつての貢寮では三番目に栄えた集落だった。
村の中に足を踏み入れると、龍門は「河と海に寄り添って発展してきた集落」だということが伝わってくる。昔の住民は漁業で生計を立て、浜辺で引き網漁をし、冬になると双渓河の河口でウナギの稚魚を捕っていた。地域特有の「牽罟飯」は、出漁時に持って行く弁当だ。シイタケ、ひき肉、豚のラードかすを炒めてから生米と煮込み、オオバギやオオハマボウの葉で包み、河口に生えるシチトウイで縛るという、土地の素材を生かした味わいがある。
村の古井戸のそばには見事な石造りの三合院「呉家大宅」が佇んでいる。呉さんの説明によると、2~3メートルもある基礎石には、昔の船のバラスト(重し石)が使われている。これは裕福な家が海運貿易で築いた経済力を物語るもので、龍門開拓の歴史の痕跡でもある。また、村の路地に残っている「砂礔厝」という独特な建物は、双渓河の堆積砂岩を使って築かれたもので、風に強く防水性に優れている。地域ならではの建築様式だ。
漁撈文化、漢民族による開拓、河川交通の栄枯盛衰、原住民と漢民族の関係性、龍門の浜辺に広がる多様な海浜植物――それらすべてが静かなこの集落に幾重にも折り重なって存在している。
昭恵廟は龍門地域の信仰の中心で、開漳聖王を祀っており、地元では聖王宮と呼ばれている。
貢寮老街で出会う人たち
郭さんは、ライフスタイルを軸に地域観光を展開するのが台湾らしさだと語る。龍門が河と海にひっそりと抱かれた歴史ある集落ならば、貢寮老街は山と水に囲まれ、人情があふれる空間だ。
この200メートルにも満たない、昔ながらの街並みが残る歴史ある商店街には、豊かな生活の記憶が詰まっている。通りの入り口にある「楽文診療所」では、章殷超医師が長年、住民の健康を守ってきた。自宅への送迎サービスに加えて山間部への往診も行うなど、なくてはならない存在だ。
商店街には、年配者の営むカフェ、理髪店、草仔粿(草餅)の手作り屋台、そして地元住民が季節の野菜や在来種の山芋を自宅の前に並べて売る屋台もある。ある男性はにこやかに「自分が食べても大丈夫なものしか人には売らんよ」と話してくれた。安心して口にできる地元の良品だけを売るこだわりというわけだ。
かつて、この商店街は大変な賑わいを見せ、豚肉屋だけで8~9軒もあった。生活必需品が何でもそろい、山間部や海沿いの住民にとって重要な商取引の場だった。今は昔ほどの賑わいはないものの、質朴な魅力が漂う。通りの端にある「狸和禾小穀倉」には、地元の農産物や手工芸品が集まる。店内の稲わらの壁は、台風で倒れた稲穂を再利用して展示壁に仕立てたもので、農家の労苦を記録するものだ。
「ここにいる一人一人は、まるでNPC(ノンプレイヤーキャラクター。プレイヤーが操作しないキャラクターのこと)みたいなんです。話しかけてみて初めて、その背後にたくさんの物語があることに気づくんですよ」。雨布丁カフェの店主、袁依婕さんは笑いながらそう語る。袁さんの目には、貢寮老街は決して賑やかでも商業的でもないが、「自分らしくいられる」自由と温もりに満ちた場所に映っているという。
東興宮前に立ち、河と海、異なる民族、新旧の地質が交差する風景に思いを馳せる。
海女さんのテングサゼリー
東北角の暮らしは陸上にとどまらず、波のうねりの間にも広がっている。澳底で、60年以上も海に潜り続けてきた海女の陳月雲さんに出会った。
「10歳のときから“蔵水”していたのよ」と、74歳の海女の陳さんが笑いながら話してくれた。地元では「藏水」(ツァンツゥイ)とは、水中に潜ってテングサやウニなどを採集することを意味する。また、「站山」(キャースヮン)というのは、潮間帯での貝や海藻拾いや、岩場をよじ登っての採集を指す。生活が苦しかった昔は、山に住む人は山に頼り、海に生きる人は海に頼るしかなかったと陳さんは言う。
東北角でのテングサの採取時期は、例年4月から6月ごろだ。干潮時に海に潜って採取し、それから「7度の洗いと7度の天日干し」という手間のかかる工程を経て、石や不純物を取り除くと、赤褐色のテングサが次第に黄白色に変化していく。それによって、海の風味が詰まったテングサゼリー(ところてん)ができるという。陳さんによると、白くなるほど海の風味は薄くなるそうだが、「通の人は言うのよ、海の味がなければテングサゼリーじゃないって」とのことだ。
陳さんは潜る時に、器具には頼らずウェットスーツも着用しない。布で髪を包み、自作の木製ゴーグルを着け、腰に網を括りつけて海中を行き来するのだ。海女の仕事には危険が伴うが、陳さんは長年の経験で海の状況を見極めている。実際、もう引退してもよい年齢だが、何十年もの潜りが体に染みついているため、テングサの季節が来ると、自然と海の呼びかけに応じてしまうのだという。海に潜り、テングサを採って、ぷるぷるのテングサゼリーを煮込む。東北角に息づくこの味を、今も守り続けている。
地元に根ざした建築「砂礔厝」を紹介しながらまち歩きガイドをする曙旅文化スタジオの呉函恩さん。
大海の味を体験
海岸沿いをさらに北へと進むと、三貂湾の陽光が養殖池一面に降り注いでいる。「鮮物本舖」がある場所だ。三貂湾の海域は海流が交わり、安定した塩分濃度と多くの岩礁がある潮間帯によって、トコブシが育つのに最適な環境となっている。台湾の約8割のトコブシが、実はこの地域から来ていると言われている。
鮮物本舖の経営者、李勝興さんは生まれも育ちも貢寮だ。10年余り前に故郷に戻り、父親の養殖業を引き継いだ。初めはトコブシの養殖だけだったが、今ではバナメイエビ、海ブドウ、ムラサキウニまで育てており、かつて放置されていた養殖場に、再び海の命を吹き込んでいる。トコブシの温水はバナメイエビの池に引かれ、さらにその上で育てる海ブドウが水中のアンモニア‧窒素を吸収し、水質を保つという、循環型の持続可能な養殖モデルが確立されている。
「鮮物本舖」では、新鮮な水産物を購入できるだけでなく、養殖見学ツアーにも参加できる。参加者は自ら炙り焼きしたトコブシを味わったり、ホースで藻を撒いてトコブシに餌やりをしたりできる。トコブシ料理を知り尽くしている李さん曰く「炙り焼きこそ、トコブシの美味しさが一番わかる食べ方ですよ。だって、あれは記憶に刻まれた味ですからね」とのことだ。収穫期は秋から春にかけてだ。寒さ厳しい秋冬の季節、東北季節風が吹きつけるなか、大人たちは収穫に忙しく、子どもたちは火を囲みながら、こっそりトコブシを炙って食べたものだった。よく叱られたそうだが、その味は今も忘れられないという。
今ではそれら海の恵みを使って、海ブドウ入りの「波波麵」や、海の風味が詰まったピザなどにアレンジして、東北角の味を日常に取り入れている。「地方創生には、その土地の特色ある産業が欠かせません。そうしてこそ人が戻ってきて、定着することができますから」と李さんは語ってくれた。海風が吹き、陽光で水面がきらめく池は、単なる養殖場というより、東北角の風土の味を少しずつ育む確かな暮らしの実践場となっている。
郭さんは、エコツーリズムを、一種の「心の旅」だと考える。ただ動植物を見るだけではなく、新しい視点を持って、人と土地の物語を発見する旅ということだ。三貂湾一帯には、自然の地形、文化と歴史、漁村の自然環境と営み、海浜植物、そして海辺の職人文化が残されており、旅人の訪れを待っている。ここで少し立ち止まり、五感を開けば、この東北角の海辺の集落が、思いがけない形でその存在を感じさせてくれるだろう。
龍門の「呉家大宅」は三合院形式の伝統家屋で、バラスト(船の重し用の石)を建材として使用し、かつての海運の繁栄を物語る。
貢寮老街は短い通りながら、地元の暮らしの息づかいが感じられる。日向ぼっこする犬や、ふいに現れるウサギが旅にのんびりとした彩りを添える。
貢寮老街では、住民が家の前で自慢の地元野菜を並べて販売している。
貢寮老街にある「狸和禾小穀倉」は、環境にやさしい農業とエコの発信空間だ。棚田の再生にまつわるストーリーを旅人に伝えている。

「雨布丁カフェ」は、挫折を経て貢寮にたどり着いた袁依婕さんが、素朴で自由な暮らしに癒され、この地で夢を育むことを決めた場所。(陳群芳撮影)
澄んだ水をたたえる枋脚渓。かつてはほとりで洗濯をしながら語らう人々の姿が見られた。
60年以上も海女を続けている陳月雲さんは、自作のゴーグルをつけ頭には布を巻き、シンプルな道具だけで海に潜る。
手摘みされたテングサは、7度の洗いと7度の天日干しの工程を経て、赤褐色からやがて黄白色に変わり、海の旨みが詰まったテングサゼリーに生まれ変わる。
テングサゼリーは、東北角の海と職人が共に織りなす味。ひと口ひと口に手間と時間が込められている。
鮮物本舗の李勝興さんは、かつて放置されていた養殖場を再生し、環境に配慮した方法でバナメイエビやムラサキウニなどを育てている。
鮮物本舗では、東北角の自然海域を生かし、持続可能な養殖法で育てたトコブシや海ブドウが、地域の風土を映す味わいとして提供されている。