人々を魅了する台湾の香り
フォーラムが始まる前、会場に入ってきた一人のロシア人紳士が、席につかずに黄素秋のところへやってきて「これは何ですか?」とたずねた。紳士は会場に漂う香りに好奇心を抱いたのである。後から分かったことだが、この男性はフォーラムの来賓の一人、モスクワ商工会議所のヴァルダンヤン副会長だった。ヴァルダンヤン氏はヒノキの香りに魅了され、休憩時間にこの「台湾の香り」を購入した。
ロシア人は台湾のヒノキを知らないが、日本人はヒノキの香りを良く知っている。2018年、国家発展委員会が東京丸の内で「台湾地方創生展」を開催した際、金点デザイン賞を受賞した檜山坊の「檜意人生」旅行用セットを貴賓への手土産にした。台湾のヒノキの香りがするシャンプーとボディソープは、日本工商会の大橋悟理事長の心をつかみ、夫人からも、次に台湾に行く時は買ってきてほしいと頼まれるほどだった。
ヒノキの香りには、ラベンダーやローズのような華やかさはないが、落ち着いた香りに、その貴さが表れている。「タイワンベニヒノキ(ベニヒ)とタイワンヒノキは台湾のみに生息し、台湾精神を象徴しています」と言い、李清勇は分厚い資料を取り出す。そして、まだ小さな木の写真を指差して「このベニヒとタイワンヒノキは樹齢500年を超えます」と言うのである。
樹齢千年への困難な道
ヒノキの生長は遅く、ベニヒが高さ43メートルまで伸びるのに2800年もかかる。世界のヒノキは7種類しかなく、北米と日本、台湾にのみ生息する。台湾の山林にはかつて巨大なヒノキ林があり、氷河期から生物の進化を見守ってきた。
その特殊な香りが、檜山坊が世界と交流する名刺代わりとなる。数々の見本市に出展してきたが、常にその香りに惹かれて多くの人が集まってきた。「マレーシアの美容展では、多くの人が色とりどりの美容用品エリアを通りぬけて来てくれ、この香りが最も心地よいと言ってくれました」と黄素秋は言う。資金の関係で会場のメインエリアには出展できなくても、ヒノキの香りに惹かれて次々とお客が訪ねてくるのである。
檜山坊のエッセンシャルオイルは、親を思う心から生まれた。以前、二人はがんを患った李清勇の父親を連れて、よく烏来や拉拉山を訪れた。「義父は若い頃の煙草のせいで慢性閉塞性肺疾患にかかっていました」と言う。空気が吸い込めず、家には大型の酸素吸入器があった。
拉拉山の桃の季節には、呼吸の難しい父親も山へ行って森の空気を吸いたいと言った。親孝行な二人は車で父親を連れて行き、車椅子でゆっくりと森林の空気を堪能した。
父親のお気に入りは棲蘭山の巨大ヒノキ林だった。雲に届かんばかりのタイワンヒノキの巨木がそびえ、空気中には雨後の湿った草の香りが満ちていて、その静かな時の流れが、年寄りの不安や焦慮を慰めてくれたのだ。「父は日本式の教育を受けた厳格な人でした。もともとヒノキの香りが好きで、棲蘭明池へ行くと、帰りたくないと言い張ったものです」と言う。
ヒノキ本来の香りを残すために、1トンのヒノキの木屑から1キロのエッセンシャルオイルしか作らない。