身近にありながら気づかない
米国から援助を受けていた時期の建物は決して少なくない。2016年に政府文化部が提出した「米国援助関連の建築文化資産評価計画」によると、援助を受けていた時期に借款や基金などによって建てられた建築物は500件余りに上る。内容は軍事施設や工場、オフィスビル、学校など、形態はさまざまだ。
例えば台湾大学。ヤシの木が並ぶメインストリートの両側は日本時代に建てられたものだが、その後ろの建築物の多くはアメリカからの援助を受けたものが多い。
援助は米国の政府だけでなく、教会などの民間からも届き、東海大学はアジアキリスト教主義高等教育合同理事会によって設立された。
台北市の民生地域も、米国からの借款をもとにアメリカの住宅地を参考に区画された地域である。
これほど多いのに、あまり注目されないのは、日本統治時代のような権威的政府による統一したスタイルがなく、また経済効果や機能性が重視されたため、特に一致した美学は強調されなかったからだ。
しかし、台湾の建築史において米国からの援助は意義深い。この豊富な資金は、当時の台湾の建築家に活躍の場をもたらした。彼らはモダニズムの影響を強く受けたほか、プレストレスト‧コンクリートや中空ブロックなど、技術や建材の面でもアメリカの影響を受けた。
当時を想像してみよう。戦争が終わったばかりで物資は乏しく、日本人が残した大型建築物の他は木造の官舎や伝統のレンガ造りの家が並んでいた。そうした中、シンプルながら幾何学的造形美を持つ現代建築が出現し、台湾の建築史に新たなページが開かれたのである。
アメリカからの援助で建てられたモダニズム建築は極めてシンプルだが、建築家は細部に創意ある装飾を施し、幾何学ラインの美を表現した。