二峰圳から得られる思考
水は万物を育むものだが、大自然は瞬時に変化する。1959年には八七水害が中南部に大きな被害をもたらし、2009年には3日で一年分の雨が降るという八八水害が起きた。水は必要だが、おそろしいものだというのが、この流域に暮らす人々の心情かも知れない。
高屏渓の流域で生まれ育ち、この地で働いてきた70歳近い丁澈士さんは、幼い頃の八七水害の大洪水の際、母親と一緒に屋上に避難したことを覚えている。その時の水の力に抱いた畏敬の念が、彼を関連する研究に進ませた。
彼は学者として、台湾における水資源利用の解決方法を求めてきたが、最終的に、日本統治時代の伏流水利用に答えを見出した。
丁澈士さんによると、台湾での水資源利用はダムや堰を用いる方法が主流だ。これはアメリカの方法に倣ったものだが、平坦で広大なアメリカに比べると、台湾は高山が多く、河川の流れが速い。地形の条件が異なるのに加え、地震帯に属する台湾は土壌が緩く、ダムには土砂が堆積しやすいのである。
かつては地下水を研究していた彼は、1923年に日本の技師‧鳥居信平が設計した屏東県来義郷の二峰圳(用水路)に、台湾の環境条件にふさわしい「伏流水」利用を発見した。
伏流水というのは地表水と地下水の間にある水源で、地表水と連動した関係にあるが、地表の河川が乾いていても、その下には見えない伏流水の「地下ダム」がある。
かつて鳥居信平はこの伏流水を利用し、林辺渓の地下に堰を設け、農業の灌漑用水を引いた。もう百年以上前の施設だが、今も使用されている。

二峰圳の取水塔内部。澄んだ清潔な水がきらきらと光っている。