
「南の東南アジアへ向えと言われて来たのに、振り返ってみると皆は西の中国大陸へ行っていました」と、タイ扁友会(陳水扁氏を支持する会)会長の周良宝氏は笑うが、これはタイに進出した台湾企業の心の声でもある。
1997年、アジア通貨危機はタイで始まり、各国へと波及していった。この時、タイでは58の金融機関が営業停止となり、バーツの為替レートは1米ドル25から58バーツまで急落し、タイ経済に大打撃をあたえた。
そうした中、タイの台湾企業は、ほとんど何の支援も得られない状況で危機を乗り越え、実を実らせた。「自分で自分に拍手を送りたいぐらいです」と台湾企業の人は言う。
通貨危機から4年になるが、タイには経済危機の傷跡がまだ残っている。建設途中で工事が停止したままのビルや高速道路などが、にぎやかなバンコクの市街地の至る所で見られる。
この通貨危機と経済危機の時期を、タイの台湾企業はどう乗り越えたのだろう。
タイ台湾商会連合総会の幹事長を務める馮偉豊氏によると、台湾企業の多くは輸出を主とする工場のため、バーツの下落はかえって輸出に有利に働いた。しかし、全体的な経済環境の影響で受注が減り、赤字を出した企業もある。一方、タイの内需をターゲットとした企業の半分は、すでにタイから撤退しているという。
南向投資の最初の目的地
台湾の14倍の国土を持つタイは、これまで台湾企業にとって東南アジア投資の最初の目的地だった。
タイ台湾商会の史料によると、台湾では日本時代の1940年代、日本政府が南進政策を推進していた頃から多くの台湾人がタイに派遣されて働いており、少なからぬ人が戦後もタイに残った。60年代に入ると、タイ政府は国内の軽工業を発展させるために、台湾から繊維、プラスチック加工、製靴、食品などの技術者を招いた。この時期に技術者としてタイに渡った人の多くも、後に当地で創業して成功しており、各宗族会の理事長などを務めている人も多い。そして90年代、台湾政府は南向政策を推進し始め、新たに台湾企業が豊富な資金をもってタイへの投資を開始したのである。
現在、台湾はタイにとって日本とアメリカに次ぐ3番目に大きな投資国となっている。タイの台湾企業は4000社余り、台湾人ビジネスマンは約20万人で、紡織、製靴、エレクトロニクス、プラスチックなどの製造業を主とし、累積投資額は104億米ドルを超えている。
通貨危機とその後の不況に襲われながら、タイの台湾企業の多くは何とか難関を乗り越えた。輸出主導の企業の中には、為替レートの変動によって、かえって大きな利益をあげたところもある。タイ台湾商会の詹泉水副総会長は「通貨危機の中で生き残った企業は力のある企業と言えます」と言う。エレクトロニクスから鋳造、食品、旅行サービス業まで、それぞれの分野に難関を乗り越える道があったのである。
ファクシミリや電話、プリンター、モデム、携帯電話、BSチューナーなどを製造している金宝エレクトロニクス(カル・コンプ)社業務総管理処の方至誠処長は「我が社は通貨危機によるマイナスの影響は受けませんでした。製品の9割以上は輸出しているからです」と言う。
嵐の中の台湾企業
金宝エレクトロニクスは、89年にタイでの生産を開始した。今ではタイに6つの工場を持ち、6000名の従業員を擁している。昨年の輸出額は300億バーツ(約240億台湾ドル)を超え、今年1月にはタイの証券市場に正式に上場した。
精密機械を製造する亜法金属(アルファキャスト)社も、通貨危機の中で動揺することはなかった。
敷地面積2万坪、社員数1000名、年間売上8億バーツの亜法金属は、タイに工場を設置して13年になる。総経理の黄文益氏は、輸出を主とする同社にとって、通貨危機は「好材料」だったと言う。資産は縮小したものの、業績は毎年40〜50パーセントの成長を続けている。さらに通貨危機以来、社員の流動率が低下するというメリットもあった。
だが、上場して7年、それまで良好な業績をあげていたフード・アンド・ドリンクス社は、通貨危機の影響を大きく受けた。97年に融資を受けて工場を拡張したために、5億バーツの損失を出したのである。しかし、幸いなことにここ2年は黒字に転じている。
同社は、各種清涼飲料水やタケノコなどの野菜の缶詰、食肉加工品、調味料などを生産している。取締役の李錫褀氏は、同社は小規模の上場企業だと謙遜するが、年間売上は2000万米ドル余りに達する。タイにはガラス瓶の殺菌技術がないため、現在のところ同社にはライバルはない。ここ2年は調味料で利益を上げており、また最も困難な時期にベビーコーンの缶詰を開発し、それを一般家庭に普及させることに成功した。現在、同社のベビーコーンの缶詰はタイ国内市場の85パーセントを占めており、世界でも10パーセントのシェアを誇っている。
一方、観光産業の方は通貨危機や不況の影響は受けなかった。
龍宝グループは、パタヤでタイ最大のSPA設備のあるレジャーランドを経営している。その周良宝総裁によると、年間900万〜1200万人の観光客が訪れるタイでは、観光産業が通貨危機を乗り越える上で大きく貢献したそうだ。国内の不況は観光産業には影響しなかったのである。
かつて中国大陸の海南島に投資した経験のある周良宝氏は、大陸では敗北したと言う。「私は『はい、大丈夫ですよ』という言葉の被害者です」と語る周氏は、言葉の通じる大陸ならうまく行くだろうと思っていたが、思いがけず多くの困難に遭遇した。「さまざまな面で、すでに枠組みができている東南アジアと違い、大陸にはまだ発展のチャンスがありますが、成功するとは限りません。目には見えても、掌握できない事がたくさんあるのです」と言う。
オイシ社の逆転の発想
通貨危機に直面しても、体質の良い輸出主導型の企業は乗り越えられたが、中には悲惨な目に遭い、歯を食いしばって持ちこたえた企業もある。特筆できるのは、オイシ・グループの逆転の発想だ。
通貨危機の時期に、オイシ社は急速な事業展開を進めた。毎月1〜2店をオープンしたのである。
オイシ・グループは、包囲戦略と市場占有率で勝負していた。総経理の邱月進氏は、景気が悪いほどチャンスがあると言う。なぜなら、仕入も内装も安く済み、立地条件の良い場所も安く売りに出るからだ。まさに、逆転の発想の時期だったのである。
オイシ・グループは、バンコクで結婚写真館19店、「味」という日本料理レストラン6店、日本風ラーメン店7店、パンとコーヒーの店3店、寿司屋3店を経営している。
もともと結婚写真の撮影を専門にしていた邱月進氏が中国大陸ではなくタイを選らんだのは、タイの方が人々が善良で人口が多く、市場潜在力があったからだけでなく、言語も重要な要因だったと言う。「言語の関係で、タイ市場に入り込むのは難しいため、将来的に競争相手も増えないだろうと考えたのです」と言う。それから7年の間に、邱月進氏はバンコクのスクムウィットに結婚写真館通りと呼ばれる街を作り出した。
しかし、国民所得が2000米ドルに満たないタイでは、3万バーツに上る写真撮影料は大きな出費だ。「この業種は、いかに価値を持たせるかが鍵となります」と邱月進氏は言う。タイでの結婚写真業は台湾のそれとは違い、メイクも背景も「裕福さ」を追求したものとなり、スターや著名人も家族写真などを撮りに来ると言う。
結婚写真館で成功した邱月進氏は2年前から飲食業にも乗り出した。和風、中華風、タイ風の多様な料理を取り入れたビュッフェスタイルのレストラン「オイシ」は、あっというまに人気店となり、今は6店舗で毎月8000万バーツの売上がある。邱氏は現在、さらにチェンマイやパタヤにも支店を出す計画を立てている。
この他に、同社はラーメン店やベーカリーなども経営しており、どこも業績は好調だ。今年、邱月進氏は台湾から職人を招き、タイで中秋の月餅も売り出した。
アジアのスイス
オイシ社はタイでブームを巻き起こし、フード・アンド・ドリンク社も黒字に転じた。現代染料社はISO14000の認証獲得に取り組んでいるし、龍宝グループはSPAを持つレジャーランドを開発している。このように、タイで優れた業績をあげている台湾企業の業種は実にさまざまだが、全体的にタイの投資環境には魅力が多いようだ。
タイの外交政策は昔からフレキシブルで、数百年前に隣国のミャンマーと戦争があったのを除くと、紛争は非常に少なく「アジアのスイス」と呼ばれている。政情が安定しており、地震や台風などの天災が少ないことも、投資者にとっては魅力だ。また、敬虔な仏教徒が多いため、人々は穏やかで、華人や台湾企業に対する敵意もない。
この他に、タイは人件費の面でも競争力がある。バンコク周辺では、1日当りの最低賃金が165バーツ(3〜4米ドル)で、土地も安い。
また近年、タイ「投資促進委員会」では外国企業による投資を奨励するために窓口を一本化しており、ビザの発給から、工場設置、技術者の導入まで、さまざまな手続を行なっている。
我が国とタイとの間には正式な外交関係はないが、巨大な組織を持つタイ台湾商会総会が活発に活動している。タイの政府や各種団体との交流も盛んで、タイ商工会議所の30名の理事の中にも名を連ねている。
「タイ台湾商会連合総会」は、現在各地に14の台湾企業親睦会を持っており、定期的に集まって情報交換するだけでなく、地元社会にも関心を持って活動している。
今年1月中旬、タイ国王73歳の誕生日に、台湾商会はタイ市役所とともにバンコクの公園で「タイ・台湾チャリティバザー」を催した。地元の台湾企業が各種優良商品を寄付し、バザーの利益はタイのチャリティ基金会に寄付した。当日、会場には中華民国の国旗がはためき、バンコク市長も祝辞を述べに訪れるなど、台湾企業の影響力の大きさを示した。
台湾人の第二の故郷
タイ駐在台北経済文化弁事処新聞組の陳志寛組長は、タイの台湾企業を「尊敬できる愛すべき存在」と形容する。「我が国とタイとの間には国交はありませんが、台湾企業の努力によって、タイ政府も我々の力を軽視できないのです」と言う。
我が国のタイ駐在代表である黄顕栄氏によると、1975年に我が国とタイが国交を断絶してから、政治的な関係は弱いものの、経済面では影響を受けていないと言う。双方は、航空協定や投資保障協定、二重課税回避協定などを結んでいる。また我が国の農業技術団はタイ北部に人員を派遣し、山地の人々が麻薬ではなく経済価値の高い作物を裁培できるよう協力している。このプロジェクトはすでに30年間続いていて、大きな成果をあげており、我が国とタイ国王との関係も深まった。
実質的関係も密接だ。台湾からタイへの空の便は週91便もあり、昨年はのべ55〜60万人がタイを訪れた。また、我が国では14万に上るタイの労働者が働いているのである。
地元で観光産業に携わって16年になる龍宝グループの周良宝総裁は、タイは台湾人の第二の故郷になりうると言う。タイは安定していて包容力があり、台湾からはわずか3時間で行ける。さらに今は衛星放送が発達しているので、タイ在住の台湾人も異郷の寂しさを感じることはない。近年、タイでは定年退職後のシルバー移民も奨励している。55歳以上で、80万バーツ以上の定期預金のあれば、シルバー・ビザの発給を受けるチャンスがある。
通貨危機を乗り越えて
ビジネスチャンスは多いが、タイの厳格な法規、特に税務関係は外国企業にとっては大きな制限となっている。台湾商会連合総会の龔偉豊幹事長によると、台湾商会では、しばしばタイ政府に税務に関する意見を伝えている。労働基準法、交通法規、税務法規などがどれも高い基準で定められているが、徹底的には執行されておらず、そのためフレキシブルな認定が疑問の対象となっている。
台湾企業が直面する最大の困難は技術者の不足だ。方至誠氏によると、タイでは技術教育が成熟していないため、台湾企業の多くは台湾や中国大陸から技術者を招かなければならない。
一般社員に関しては、台湾企業は独自の教育プログラムを持っている。タイにある台湾企業の工場に共通しているのは、至る所に中国語、英語、タイ語の標語が書かれていることだ。
現代染料社の呉栄輝総経理によると、タイの労働者はあまり能動的ではない。一度に複数の指示を出すことは避け、絶えず進捗状況を確認する必要がある。そのため呉栄輝氏は台湾から独自の教育方法を導入し、毎月テーマを定めて社員教育をしている。
亜法金属では朝礼制度を採用しており、毎朝10分間をかけて、前日の生産量や品質を知らせ、会社のポリシーを教えている。
社員6000人を擁する金宝エレクトロニクスは、「品質大学」を設け、休暇を利用して学ぶよう社員に奨励し、一定の単位を取った者は昇級できるようにしている。同社では早朝訓練も行なっている。勤務開始前の15分間を利用して、前日発生したミスについて説明し、それを防ぐ方法などを説明するのである。また作業行程の簡略化や自動化によってミスの発生を防いでいる。方至誠氏によると、タイの人々はルール通りに動くので、製造工程を管理しやすく、ミスが生じた場合も、問題点を見つけやすいと言う。
世界中を探しても、完璧な投資先は見つからない。産業分野や時期によって、ニーズも危機も違ってくる。通貨危機を乗り越えたタイの台湾企業の努力は称賛に値するだろう。

オイシ・グループは、逆転の発想から不況の中で業務を積極的に拡大してきた。結婚写真館、レストラン、ベーカリーまで、すべて急速に成長している。

金宝エレクトロニクスは12年前にタイに進出し、今は6つの工場に6000名の社員が働いている。写真は同社業務総管理処の方至誠処長だ。

オイシ・グループは、逆転の発想から不況の中で業務を積極的に拡大してきた。結婚写真館、レストラン、ベーカリーまで、すべて急速に成長している。

(右)工場内の壁一面に書かれた標語は、タイの台湾企業に共通する特色だ。敷地2万坪の亜法金属社では工場の環境美化を推進し、壁にはイラストや標語を書いて社員教育に努めている。