私が「光華」に加わったのは、ちょうど「光華」の三度目の改革の時期だった。最初の改革は1981年、誌面を大幅に拡張して100余ページの大型刊行物とするもの、二度目の改革は2006年、「台湾光華雑誌」への雑誌名の変更である。英語の誌名もSinoramaからTaiwan Panoramaへと変わった。そして第三の改革は「光華」の読者層を広げるというもので、ウェブサイトの全面改編、そして2015年11月からはインドネシア語、タイ語、ベトナム語バージョンの発行も開始した。我が国初の東南アジア言語の隔月刊誌である。
若い読者層を増やし、オンライン化を進めるというのが「光華」が今後歩む方向だが、雑誌編集者として、かつて覚えた感動を忘れることは決してない。「誰がこの詩人という職業を伝えてきたのか。黄昏にランプをひとつ掛ける」(鄭愁予の詩「野店」より)
雑誌は一つのランプである。「光華」はこれからも新しい時代を照らし続ける。