内に活きた水源を求める
「学を為すは日に益(ま)し、道を為すは日に損ず。これを損じて又損じ、以って無為に至る。無為にして而も為さざるはなし」しばらく前に読んだ『老子』のこの言葉を、私は自分の机の横に書きました。創意の基本功を考える際、この言葉には興味深いものがあります。
一般に学習は「日に益す」つまり毎日増えることを求めます。知識であれ技術であれ、学べば学ぶほどレベルが上っていきます。しかし修道はその逆で「道を為すは日に損ず」つまり日に日に減って、無為に至る。目標は「無為」なのです。無為とは何もしないこと、何も求めず、計算もせず、心と時勢に従っていけば「為さざるはなし」というのです。心の解放とか悟りなども、こう解釈できるでしょう。
建築家でも画家でも「日に増す」つまり外に向かって何かを追求している時、実は自分と全体を融合できず、いわゆる創意は生まれません。創意を一つの「道」とするなら、それは精神や内面に近いもので、その訓練は引き算なのです。
何を引いていくのか。仏教で言うなら、執着や自我、「我執」を減らしていくということです。それがなぜ「為さざるはなし」になるかと言うと、すべての人がもともと仏性を備えているからです。
人のさまざまな思いが雲のように仏性を覆っていますが、その雲が晴れると本来の知恵が現われ、努力しなくても創作できるようになります。世界中に修道や修行の方法や名前はたくさんありますが、説いているのは同じ道理です。
現代社会は物質主義や功利主義に満ちていて、物事の外面に注意が向けられます。人を外面の地位や財産や影響力などで評価しますが、これでは「増加」の部分を重視しすぎで、内面の修行による「減少」を忘れてしまっています。
私はほとんどテレビも見ませんし、ゴルフも接待もしません。時間があれば本を読み、仏教を学びはじめてからは座禅も始めました。座禅は基本功で、何事にも適用できる最も良い基本功です。人の心を静めてくれるからです。
私たちは心が忙しすぎます。あまりにも多くの情報や事件に刺激され、かき乱されていて、常に反応しているので、落ち着く暇がないのです。こうした充満しきった状態では、内的なものを見つめることができません。ですから、忙しく焦るのをやめるようにすれば、本来の知恵が多くの疑問に答えてくれます。理論的には、あらゆる疑問に簡単に答えが見つかるはずです。
もう一つ、あまり急いで先に進もうとすると、周囲の景色を見落としてしまいます。何かが気にかかっていると、心が狭くなってしまうからです。心を開けば、多くのものが私たちに語りかけていることに気づくでしょう。これは先ほどの老子の「道を為すは日に損ず」や「学を絶てば憂えなし」に通じるものです。執着を持たず、心が開いているほど、入ってくる資源は多いものです。一見無関係に見える物事も、その心の中では何らかの意義を持って結びつくかも知れません。深いメタファーのように、それが創作の源になります。
私は幸運なことに建築に従事しています。私にとってこれは仕事ではなく、生命の中で最も重要な、不可欠の部分です。ですから、私の建築作品にはしばしばそれぞれの段階の自分の変化が反映されています。自分の過去の作品を振り返ると、間違いを見つけることもあれば、当時は気づいていなかった良い面を見つけることもあります。人の成長の過程における人生に対する疑問や追求や、その答えは、己の作品に反映するものです。
これが一種の「道」と言えるかどうかは分かりませんが、少なくとも路ではあるはずです。その行く先が明るい場所であって、行き止まりでないことを願います。

西洋の建築学教育を受けた姚仁喜だが、近年はオリエンタルな作品を発表している。台中にある養慧学苑は中国の仏教寺院の建築法則を参考にしたもので、99年に「台湾建築賞」を受賞した。

西洋の建築学教育を受けた姚仁喜だが、近年はオリエンタルな作品を発表している。台中にある養慧学苑は中国の仏教寺院の建築法則を参考にしたもので、99年に「台湾建築賞」を受賞した。

名建築家の姚仁喜は敬虔な密宗信徒でもある。建築と仏学の双方が支えあって、より大きな世界を開いている。