客に合わせたガイド
「島内散歩」は台湾人が自らを知るだけでなく、台湾を外国人に紹介する場でもある。
外交部や教育部といった政府機関の来賓をよく案内する施子真は、ささやかな話で来賓の興味を引き、それによって文化的な共鳴を招くのが得意だ。例えば、台北でYouBikeステーションのそばを通った際に話のきっかけとして使えるよう、ポーランド人の案内では、事前にポーランドのシェア自転車について調べておけば、両国のシェア制度を話題にできる。迪化街の建造物保存を語る場合は、世界で最も早く容積率移転制度を建造物保存に生かしたニューヨーク市の例から話を始め、台湾もその考えを取り入れてURS(Urban Regeneration Station 都市再生基地)を作っていると説明する。URSとは、個人所有の古い建物が転売される際、政府が優先的に買い受ける権利を持ち、容積率移転などの優遇措置を行える制度で、政府は建物の修築後、経営を事業者に委託する。その経営は地元の伝統産業に関連があることや、スペースが一般に開放されることなどが要求される。こうした複雑な内容に外国人客が興味を持つとは限らない。そこで、ニョーヨークの前例を出して興味を引き、両地の建造物保存の経験がシェアできればと考えるのだ。
客に合わせたガイドは、「島内散歩」が特に力を入れる点だ。施子真は、ガイド養成プログラムでカスタマイズを学ぶために出されたこんな課題を思い出す。自分に割り当てられたのは「林語堂(1970年代に没した文学者)と台湾の美而美(朝食店チェーン)を関連付ける」という課題だった。これは、顔志豪が「デザイン思考」の概念を応用し、視点転換を促そうと考えた課題だった。ガイドは初対面の客との距離を縮めるため、彼らとの共有点を探り出し、対話のかけ橋を作る必要があるからだ。「外国人客に良い案内ができたか反省する際には『私の話した内容を半年後にまだ彼が覚えているか』と私は自問するようにしています。だから台湾や大稲埕の歴史を説明する必要があるとは限りません」と施子真は言う。
外国人客を案内する際には、施子真は毎回、客の出生地や学んだ学校、専門といったバックグラウンドをYouTubeやウィキペディアで検索する。かつて客の2ページほどの経歴を招待側が事前に送ってきたことがあった。喜んでよく読むと、その南アフリカの科学者は、カトリックの学校で学び続け、後に青少年の喫煙問題を専門としていることを知った。施子真は彼女を城隍廟に案内して道教の神「七爺八爺」を紹介し、この2神が信と義の象徴である由来を説明した。それを聞き終えた科学者は、西洋の教会でも彫像や絵画を用いて字の読めない信徒に良い行いを説くことにふれ、両者を関連付けた。こうしたやり取りが互いを知る糸口となり、交流の開始となる。「もし彼女が廟の線香の煙は肺に良くないと言ったら、私は台湾の廟では線香使用禁止に向けて努力中だと説明したでしょう」と言う。
顔志豪は、外交部からガイドの委託を受け、来賓名簿を見るたびにこう考える。海外からこうした優れたゲストを招くために、同部門のスタッフはどれだけ労力を費やしたろう。「島内散歩」としては、案内の1~2時間でできる限り双方の文化を結び付け、彼らに台湾の記憶を深く留めてもらわなければならないと。「文化的に結びつくからこそ、外国のゲストは再び台湾を訪れよう、或いは台湾のために声を上げようと思ってくれるのです。もし科学技術レベルや民主化程度のランキングを見るだけなら、それは数値に過ぎません。自らの文化と結びつき、感情的に共鳴できてこそ、『島内散歩』は目的を達したと言えます」
「島内散歩」は、大稲埕を訪れた客に思わぬ収穫を得てもらおうと、常に発想の転換を試みる。例えば「大稲埕博物館」は、海外のオープンハウスに似た、壁のない博物館だ。一般人立ち入り禁止スペースを開放し、そこの持ち主に解説してもらう。これまで漢方薬店やほかの老舗の店主に自らを語ってもらった。話す権利を地元に返還したわけで、家主によるリアルな話を聞くことができる。企画当初は、スタッフがあちこちの店を回ってお願いしなければならなかった。時には創設者の邱翊が顔を出してやっと引き受けてもらったこともある。ところが2年目になると、こちらから申し出なくても、店主たちから声をかけられた。前回がなかなかよかったから、今年もやらないかと言うのだ。
自分たちの暮らす町を案内する「島内散歩」ツアーで、ガイドが迪化街で最も古い町屋建築の「林五胡古厝」について説明する様子。