愛がすべて
スイーツの手ほどきは、黄偈が小学五年のときに父がプリン作りを教えてくれたのが最初である。彰化で生まれた黄偈だが、2歳のとき、黄偈と姉を森林小学校に入れるために、母が一人で子供を連れて台北に引っ越した。父子は月に1度しか会えなかった。「あるとき父さんが台北に来て、家に着くなり焼きプリンを教えるというんです」父はカラメルを煮てプリン液を作る。オーブンの中でプリンが出来上がっていくのを見て、菓子作りの魅力を感じたのだった。後になって振り返ると、もっと美味しいプリンを食べたことはあった。だが、父と過ごしたあの昼下がりは「父の愛の伝え方だったのでしょう。私はプリンを焼く練習をし、父は父親になる練習をしていました」と黄偈は考えている。あの温もりは何ものにも代えがたい。
中学に進んだ黄偈は、演劇やバンド活動に忙しかった。なりたい職業もいろいろあったが、まさかパティシエになるとは思っていなかった。高校に上がって初めて失恋して、再びスイーツと繋がりができた。
抜け殻のようになった黄偈は、ある日たまたま学校の調理教室を通りかかった。アップルパイを食べたこともないのに、リンゴ・バター・小麦粉・砂糖を買ってきて、午後いっぱいかけてアップルパイを作ってみた。友達が香りに引き寄せられて集まってきた。味見をした顔に幸せが溢れるのを見て、心の傷が少しずつ癒されていくようだった。「その瞬間に、これだ!と思ったのです」
菓子作りを愛する黄偈も、社会の期待どおり大学に進学したが、それも一学期で休学する。わずかな貯金でオーブンとミキサーを買い、ファンページ「Dessert diary」(黄先生的甜点日記)を立ち上げ、スイーツを学んだ道のりや感想を書き込んでいった。ウェブ上で手作りスイーツを販売し、一歩一歩夢を実現していった。
思い立ったら即行動。溢れるアイディアをすぐに実践する黄偈は、21歳で自分の店Pâtisserie Rivière(河床)を開いた。