チョコレートとコラボレーション
歴史の必然であり偶然でもあるが、従来チョコレートの生産国は灼熱の南北緯20度以内なのに、消費国は寒冷な高緯度国だった。10年ほど前から、アメリカで「From bean to bar」(カカオ豆からチョコレートバーまで一つの店で手がける)ことがブームになったが、大抵は原料を輸入に頼っていた。最北端の産地である台湾だけが例外になった。「From tree to bar」という贅沢な話ができる条件ができたのである。
今の消費市場では、台湾のチョコレート消費量は年間一人当り0.5kgに過ぎない。だが職人は、台湾の消費者に上質なチョコレートの良さを教えるのは難しいことではなく、市場の成長が期待できると言う。台湾は上質なコーヒー文化が栄え、そして茶の原郷だからである。
食材ハンターで、食ブランドイノベーターの顧瑋は、だからこそチョコレートと他の飲み物との呼応に注目し、新ブランド「COFE」「COTE」を生み出した。
顧瑋の遊び心でもあり野心でもある。「出発点はコーヒーが好きで、チョコレートが好きだから、コーヒーもチョコレートもアピールする価値が似ていることに気づいたのです。産地や品種を強調し、風味の発展の経過も似ていて、風土、品種、発酵過程、焙煎で形作られる。コーヒーをカカオの味で語ったり、カカオもコーヒーの味の形容詞を使ったりします。それに、台湾はどちらも産地です」と言う。
ホワイトチョコの作り方に学び、ホールビーンコーヒーと低温圧搾した屏東カカオ脂に少量の氷砂糖を合わせ、チョコレートのようでチョコレートでない「食べるコーヒー」を作り出した。
「Tea to bar」を謳うCOTEでは、八種の古典的な台湾茶の、同じくホールリーフを用いる。煮出した茶は使わない。また、渋みを抑えるために、顧瑋は巷の茶チョコレートのように粉ミルクで味を修飾するのではなく、なんと、台湾産の金珠大豆のきな粉を使った。これは穀類にも新たな道を開いた。
いつか第一激戦区であるパリに乗り込むのだと鄭畬軒は言う。ヨーロッパで東洋とは、日本とその他である。日本の味と言えば柑橘と抹茶であり、ヨーロッパ人の東洋のフレーバーはとても想像の範囲が狭い。だからパリに店を出しても、台湾風味のチョコレートを作りたいと願う。この強固で強大な市場に、「もっと広い東洋の味を紹介したいのです」と語る。
その話のとおり、千年の歴史を持つチョコレートが台湾に渡り、台湾はチョコレート文化において、世界の版図の小さな1ピースになっただけではない。たくさんの新しいアイディアに満ちた台湾の地で、農家と職人の意気込みが、ココアが伝来した最も川下から出発し、これまでにないイメージを広げようとしている。
(下)テンパリングマシンで温度を調整したチョコレートは油のような光沢を見せ、冷ますとカリっとした歯触りになる。
屏東県の産地では、ビンロウ樹とカカオの木が混生しているのが特徴だ。
(左)インターナショナル・チョコレート・アワードを受賞して、急いで商品化した「曾志元チョコレート」。内埔の店には客足が絶えない。
チョコレートはワインのように味わうことができる。曾志元チョコレートは、優しい熱帯果物の酸味とほのかな木の香りがする。
上質なチョコレートを広めるため、顧瑋はCOFEとCOTEを打ち出して台北市大稲埕に「COFE bar」を開き、テイスティングを教えている。