蔡爾平

郷土への深い思い
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2018 / 3月

文‧蘇俐穎 圖‧林格立


クリエィターとしての蔡爾平は位置づけが難しい。その創作は陶芸、金細工、絵画、彫塑、園芸など多彩なジャンルに跨り、しかも繊細な作品を作るアクセサリー・デザイナーであり、また大規模な造園まで、無から有を生み出してきた。

ニューヨークでデビューし、一般に認知度の高い彼の創作記号は、独自の陶芸と金属細工を結び付けた技法で、ヒラリー元国務長官やオルブライト元国務長官など政財界の著名人に愛されてきた。1993年に「アメリカの傑出した工芸家」に選出される名誉を受けた。今年還暦を迎えた彼は、今まさに人生の絶頂期を迎えているが、そのエネルギーを自身の成功よりも、生み育ててくれた故郷の土地に注いでいこうとしている。


華やかな色彩の精緻な技、誇張した表現の蔡爾平の作品は、最初に見た時から鮮やかな印象を人に残す。そのブランド「ジュエリー10」を代表する製品は、10~15センチの大きさの伊勢海老、カメレオン、トカゲ、蜘蛛などのアクセサリーである。普通の人が見逃しやすい昆虫や動物の荘厳な美を、芸術的な手法で引き出す。その作品は小型の彫刻に見えるが、ファッションにコーディネートできるアクセサリーでもあり、金属細工の華やかなラインと陶磁器の滑らかさとを兼ね備えている。一部を拡大してみると、精巧な構図はファッショナブルな文様そのもので、創作のテーマと素材の応用に工芸の技法が組み合わさり、芸術的な緊張をはらんでいる。

 蔡爾平の芸術世界を解読

蔡爾平の作品には一種の魔力があるという。だが、その芸術の秘密を覗くには、その故郷、雲林県北港に戻る必要がある。小さな北港の町の繁華街である中山路に立つと、突当りに民間信仰の中心「北港朝天宮」がある。国家二級古跡に指定された古い廟の梁や柱、屋根には民間工芸の精髄である交趾陶の盛上げや、剪黏の作品が装飾され、その芸術の養分となってきた。さらに南に60メートルほど行くと、百年の歴史を誇る諸元内科医院が見える。ここは蔡爾平の父の蔡深河博士が開いた医院で、多くの人の命を救い郷里に貢献し、また蔡爾平の生への態度を培った。

医院に近づくと、赤煉瓦の福建風アーチの建築に、豊かな緑が映える。そこに飾られた装飾は、遠くの朝天宮と色彩で呼応するが、俗に流れない稚気に富み、さらに屋上の空中庭園には草木の間に壁画や多くの彫刻が点在する。蔡爾平の弟、諸元医院の蔡爾信副院長によると、これらの作品は蔡爾平が中心になり、多くの人の力を集めて完成させた創作品だという。使われた素材は、すべて廟の建築に使われる龍の鬚、鱗、牙に、樹木や手毬、鳳凰など交趾陶の部品で、これを脱構築して剪黏技法を用いて作品に嵌め込むことで、伝統的な工芸を現代的に蘇らせた。

医院の名である諸元とは、祖先の家訓「諸事掄元(何事にも全力で行う)」によるが、何事も源に遡るという「諸行帰元」をも意味し、さらに多様性の意味もある。芸術の発展は大樹が幹から枝葉に至るようなもので、根源に戻って考えなければ波に流されてしまうと、蔡爾平は言う。

そこで、その作品には原始芸術に用いられる陶土や銅などを素材とし、先住民文化に固有の紋様やトーテム、台湾の廟建築にみられる交趾陶や剪黏の技法を用い、これらの創作記号が色彩、素材から技法など各面に展開し、その作品に嵌め込まれて鮮やかに光を放つ。現代美学のリズムと造形をもって、神秘的で生命力に富んだ作品を創作し、観る者の内心に呼応する部分を引き出す。

自然は永遠の住処

蔡爾平の芸術の道を振返ると、まず国立芸術専科学校(現在の台湾芸術大学)で陶芸の基礎を学び、その後アメリカに赴き、パーソンズ美術大学とNew York Studio Schoolにおいて彫刻と絵画を学び、しっかりした基礎を築いた。さらに枠に囚われない、がむしゃらな性格が加わり、創作そのものが日常的な行動となった。しかし、その創作は単純な視覚的美を表現する芸術行動ではなく、より深い価値への思考を内包するという。「空間に芸術作品がなくとも構わないが、作品に芸術的意義、生活との関り、現実が溶け込まないと、薄っぺらになります」と言う。作品とは媒体であり、土地や故郷への愛情を表現するもので「私の作品を身につけてもステータスにはならず、反対に、身分や地位を忘れさせます。多くの貴重な宝石は大地を切り裂いたものですが、私は高価な素材を使わず、自分自身と大自然に帰属する小さな生命を振り返らせるのです」と語る。

自然への鋭敏な感覚、鳥獣や虫、魚、草木への愛着は、その独自の成長過程が影響している。同じく北港にある蔡爾平一家が所有する「深情花園」に来てみると、それが理解できる。これは両親が土地を買い、仕事の合間に花や木を植えていったもので、花園とは言うが、色とりどりの華やかさはない。生物の多様性と森林再生を意図した花園は植物園のようで、その豊かな自然の風景が、兄弟姉妹の幼年期を育んだ。親が世を去った今も、一家はこの花園を守り続けている。

博学な父はしばしば「Live in nature, live on nature,live for nature」と言い、小さい頃は屋根に共に上り、青い空を指して「これが宇宙だ」と言い、また地上に降り立ち、土を拾って顕微鏡で観察し「これも宇宙」と話した。自然と共存し、自然に生きるという態度は、その一生に深い影響を与え、地球を半周したニューヨークのロングアイランドで、もう一つの珍しい植物で一杯の花園を作り上げることとなった。

蔡爾平にとっては、名声も利益も価値はない。すべての生命を尊び、自然環境を深く考察し、万物の魂として宇宙すべてに謙虚に向き合うこと、それが彼の重視する価値なのである。父が残してくれたものを自分の子女に残し、形ある芸術作品として、ほかの人にも伝えていくのである。

 深情の流れに跡が残る

旧正月が近づく中、蔡爾平は嘉義県の招きを受けて、2018年の台湾ランタンフェスティバルに参加することとなり、台湾に戻って百人以上を動員する大規模イベントを指揮する。大規模なイベントでは、毎回多くのゴミが残され、資源の無駄使いとなることに心を痛めた彼は、芸術の観点から鑑賞と所蔵価値のある大型のランタンをデザインするとともに、屑鉄工場に出向いて、使えそうな廃材を集めた。これによって「recycle、reuse、renew、repair、refunction」の価値を表現しようと考えたのである。

蔡爾平の後を追い、北港の鉄製窓格子の工場に入ると、袖口を捲り上げ、軍手をはめた彼は、同郷の北港の職人と作業の細部を議論していた。彼自身は細部まで精緻な作品を作れるが、現在は他の人と共に創作に取り組み、より価値があり、意義のある事を生み出していきたいのである。それは自然から得た啓示でもある。「以前は、自己の成就のためであったが、ある段階まで来ると、生涯積み上げた知識と技術を解き放つのです。それは日月と大地の精華を吸収した大樹が、ある段階に来たら花開き、実を結び、木陰となり万物を守るように、生を全うするのです」と語る。

「森生不息(たゆまず生きる森)」と名付けた大型のランタンは、大量の屑鉄を使用していて、鉄製のスプーンや鍋蓋、漉し網などの姿が見え隠れするが、それが脱構築を経て、新たな建築に再構築される。蔡爾平はわくわくとした様子で「豚肉スープが大好きで、これはスープ用大なべの蓋です」(この蓋は、城の丸屋根に使用)と言うが、華やかで壮大に生まれ変わった作品には、その土地の人々の生活が込められている。

一家の庭園を「深情花園」と名付けたのは、父の蔡深河を記念するためである。その当時、台北帝大医学部(現在の台湾大学医学部)の学生だった父は、僻遠の故郷に戻り、肝臓腫瘍の新しい治療法を開発し、3600人余りの命を助け、郷里に貢献した。その貢献を深情と表するのは「深情流過的河流、必留下感情(深い思いが流れた河には愛情が残される)」を意味するが、蔡爾平も同じことである。夫人の荘恵芳は「台湾では多くの産業のサプライチェーンが途切れ、台湾で設計したパブリックアートの大多数は、大陸で加工し完成されます」と話す。蔡爾平はそのパブリックアートの作品を、多くの人が共同で参加する運動に拡大し、地元の部品を用い工場で作成したいと願う。こうして郷里の人材や資源を活性化し、そこに新しい活路を見出そうとしている。現在、彼は深情をもって荒れ地を耕す園丁のように、希望の種をまき続け、新しいページを開くのである。

 

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