
秋から冬にかけては冬茶の収穫時で、新北市坪林区は名産の文山包種茶で知られる。坪林を歩くと、お茶の香りが漂い清々しい気分になる。
2006年に台北と宜蘭を結ぶ蒋渭水高速道路(北宜高速道路)が開通し、台北市内から坪林まで車で30分と大幅に時間が短縮された。しかも高原の爽やかな空気と澄んだ谷の水を楽しめる坪林は、人気の観光スポットとなった。特にサイクリストと登山客に人気で、休日は多くの人が訪れる。
台北の後ろに控える桃源郷といった趣だが、他と同じく高齢化と産業流出の危機に直面する。その坪林では、いかにして住民が力を合せて将来への道を開こうとしているのだろうか。
「低炭素の旅」というのが、最近の坪林観光の謳い文句で、台北市内から地下鉄とバスを乗り継いで1時間で着いてしまう。バスを降りると、慣れた旅行者は自転車に乗り、あちこち探索に走る。初心者は無料のシャトル電気自動車に乗り換え、お茶の里を訪ねる。コースには水辺の遊歩道や茶畑体験と旧市街探訪が含まれ、訪れる人は誰もが「台北の近くにこんなにきれいな場所があったのか」と驚く。

坪林には多くの観光客が訪れる。若者たちも古い民家を借りてペンション「金瓜三号」へと改装し、地域に若い活力をもたらしている。
北宜高速道路が開通する以前は、台北と宜蘭の間は北海岸を大回りするか、台北宜蘭一般道路を通るしかなかった。一般道は山間や峠をうねうねと巡るため「九弯十八拐」と呼ばれていた。坪林は、この台北宜蘭一般道路の中ほどにあったため、往来する通行客の休息中継地として賑わっていた。台湾全土に知られた名産の文山包種茶はそういった通行客の絶好のお土産だった。
だが、2006年に雪山トンネルが貫通し、北宜高速道路が正式に開通すると、台北から宜蘭まで40分に短縮され、坪林での休憩はなくなり、店は閉まり忘れられていった。お茶の売上も減り、お茶農家の苦難の時代となった。
「多くの人がやめていきました」とお茶農家の花雲雄は言う。茶葉栽培は苦労が多く、若い人はもともと跡を継ぎたがらず、売れ行きが落ちれば、中年の農家も栽培を諦めてしまった。
1960年生れの花雲雄によると、坪林で栽培を続けているのは高齢者ばかりで、彼はそれでも若い方なので、大林里長に選ばれたのである。里長となった年は雪山トンネル開通と重なり、村の経済への打撃を目の当りにした彼は、住民と役場に呼びかけ、新しい産業対策を模索し始めた。

茶葉農家が自発的に土地を提供してエコ公衆トイレを建てた。通風と採光を良くして太陽光発電を利用し、低炭素の精神を発揮している。
産業発展と言っても、坪林にできることは限られていた。ここは台北一帯の数百万人の生活を支える水資源地帯だからである。
1987年に翡翠ダムが完成すると、水源の水質保護のために、坪林は台湾唯一の水源特定区に指定された。水源保護区とは異なり、特定区ではすべての開発、建設、土地区分変更に経済部台北特定区管理局の認可が必要となる。水源保護の観点から、区域内は現状保全が求められ、坪林の家屋は修理はできても拡張は申請できず、現有の棚田や茶畑は認められるが、新たな開墾はできない。
坪林にはかつて多くの養豚農家があったが、政府が豚と豚舎を買収して跡を絶った。「豚舎の買収で数千元の補償はありましたが、跡地の再利用はできないのです」と花雲雄は言う。住民に犠牲を強い、権利に制限を加えるのも、水源保護のためである。「水源地域の住民は水源保護を誇りに思うし、子供や孫は台北に住んでいるので、水を守る必要があります」とも言う。彼らが求めるのはここの生計を維持し、祖先から伝わる製茶技術を守っていくことだけなのである。
産業と人口が流失し、開発も制限される坪林の住民は、二重の困難に直面しているが、嘆いて座視していても始まらない。既存の資源を見直し、自治体や専門家、地域団体と議論を重ね、制約を課されて30年になる坪林の水源を、発展のために活用しようと考えた。
「翡翠の水を一壺の急須で楽しむ」と、台湾大学城郷研究所の張聖琳教授は言う。水源地帯の住民は、良質の水源の利点を生かし、有機農法を組合せて、付加価値の高い有機茶を生産できる。現在、坪林には茶葉生産班が9組あるが、そのうち2組は有機栽培に転換し、台湾藍鵲茶ブランドで販売チャネルを開拓しつつある。
有機栽培への転換は容易ではない。少なくとも3年はかかるし、肥料の削減と無農薬への努力について地域で共通認識を形成しないと有機基準を達成できない。現在、茶畑の排水口に自然工法を利用した植種沈殿槽の設置を進めている。砕石や砂、調合土と灌木などで排水中のリンや窒素を7割減らせるという。協力した茶葉農家は、環境にやさしい茶畑の認証マークを受け、これがお茶の販売と宣伝に役立つ。

台北の都心から車でわずか30分の坪林には清らかな山と川があり、美しい自然に恵まれている。
だが、優れた農産物があるだけでは復活の力には足らず、観光推進が不可欠である。山間地で資源利用に制約がある坪林は、どうやって観光客を惹きつけるのであろう。
「私どもの資源は二筋の渓流だけです」と花雲雄は言う。北勢渓と支流の金瓜寮渓が坪林全体を貫いていて、昔から住民は魚やエビを捕り生活用水に利用してきた。1999年から坪林役場は立入制限の資源保護を開始していた。渓流に魚群が姿を見せれば水質に問題がなく、水源の保護がうまくいっていることを証明できるからである。雪山トンネルが開通してから、地域では何回も会合を重ね、魚資源保護の認識を共有してきた。もともと釣り好きの住民が保護チームを結成し、自転車で巡回するようになった。釣り人の心理を心得え、土地に詳しい彼らの巡回は成果を挙げた。
地域住民が自発的に清掃チームを組んで、定期的に巡回清掃も行ったため、坪林の岸辺10数キロには奇跡的にほとんどゴミがなくなった。
「水面に銀鱗が閃くところに苦花魚(コイ科の台湾固有種)が水苔を食べています」と花雲雄は言う。苦花魚は清流に住む魚で、汚染には弱く水質指標生物となる。岸辺に足を止めると、碧の渓流に山が映え、底まで透き通る水に目を凝らすと、魚群が泳ぎまわっていて、陽光が差し込むと銀の魚がさざめき、実に美しい。
両岸には水辺の遊歩道が設置され、水面から距離はややあるが、それでも魚群が見られる。台北市立動物園の研究チームが調査したところ、1平方メートル当りの魚群の個体数は50尾以上で、魚資源の保護に成果が上がっている。
立入制限による保護の効果は坪林全体に及び、晩春から初夏の夕暮れには茶畑や遊歩道にホタルが点々と飛び交うのが見られ、魚群が戻ってくると、水鳥も再び集まるようになった。本来豊かな植生が見られる土地のことで、エコツーリズムの条件を備えることになった。
低炭素地域の確立エコツーリズムの導入には、地元住民の協力が欠かせないが、坪林の成功には三つの重要な要素があった。
まず水源特定区として開発が制限されていたため、エコツーリズムの条件を備えていて、しかも開発制限のためそれ以外に選択肢がなく、住民の積極的な協力が得られた点である。次いで、坪林では人口の8割以上をお茶農家が占めるが、茶葉の品質は環境に左右されるので、環境保護が産業保護に繋がったことがある。最後に、産業流出による危機感が高まり、住民が一致団結して共通の目標に努力できたことであろう。
北宜高速道路の開通で中継地としての優位性はなくなったが、台北との距離が縮まり、都市部から30分の距離で坪林ほどの自然環境を備えた場所はまずないのである。
「清潔で静か、そして台北に近いというのが利点です」と花雲雄は笑う。茶葉栽培はそもそもお天気次第なので、お茶農家の人々は天命に順応する人生観を持ち、数多くの危機を正面から受け止めて転機とすることに長けている。
静かできれいな環境という利点をさらに深化させようと、地域は自治体と協力して省エネ技術を取り入れた低炭素地区の構築を目指している。
ここの廟宇では、太陽光発電や節電照明などの低炭素技術を取り入れ、紙銭を燃やして出る二酸化炭素を相殺する台湾最初の技術も取り入れた。また、茶葉農家が土地を提供して設置した環境にやさしい公衆トイレでは、自然換気と自然光を取り込み、太陽光発電とLED照明も設置して低炭素と省エネに力を尽くしている。
川岸には22キロに及ぶ自転車道が設置され、来訪者は坪林の新鮮な空気を吸い込んで、日頃の鬱屈した気を吐き出し、心身を浄化できる。
「お茶栽培は本来低炭素産業です」と、昔ながらの茶葉農家は低炭素コミュニティ推進を自慢にする。こういった行為が次第に生活に浸透し、飲食店は使い捨て食器を使わなくなり、LED照明に切り替えた。炭素排出量が減少すると、人の流れも変わり、以前よりも観光客が増えてきた。
雪山トンネル開通1年の2007年には、坪林を訪れる観光客数は3万3000人に過ぎなかったが、低炭素とエコロジーを組合せてから、去年の観光客数は23万人と7倍に跳ね上がった。坪林は中継地から目的地に変わったのである。2013年に金瓜寮の豊かな自然に魅せられた若者たちが古い民家を借り受けて坪林には数少ないペンション経営を開始し、手作り工房や体験コースも開設した。その食材はすべて地元産で、お客がいないときは付近の茶葉農家とお茶を入れて談笑し、地域に新しい活力を注ぎ込んでいる。
中継地ではなく目的地にお茶の里坪林のイメージを強化しようと、今年から遊歩道や茶畑でお茶の花を見られるようになった。お茶の香り漂う緑の景色はまた美しい。
雪山トンネル開通の衝撃を乗り越え、新しい観光産業を生み出した坪林だが、まだ危機は終わっていない。「あと15年で文山包種茶は消えてしまいます」と花雲雄は言葉が重い。若者が流出して住民のほとんどが高齢者となり、若者が戻らなければ家々は空き家と化す。花雲雄は門が開いたままの平屋を指し、こういった空き家が増えると、包種茶も消えていくでしょう。
地域では大学や研究機関と協力し、製茶技術を伝承すると共に、観光に力を入れ、若者が故郷に戻ってくる原動力としたいと考えている。
坪林を歩くと、茶の香り漂うきれいな空気と水に、人々との触れ合いがあり、心身ともに癒されることだろう。