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宋文生と妻ドレセドレセ・パチェンゲラウは、両親の理念を受け継ぎ、霧台郷の山林に台湾固有種の復元に取り組んでいる。植えた苗木が、両親の家の裏にあるこの樹齢50年の大クスノキのように、高く強く育つことを願う。
屏東県霧台郷に住むルカイ族の宋文生は、若くして公務員の職を棄て、年長者に伴われて山林に分け入り、台湾固有種の樹木の植樹に携わる道を選んだ。過去40年間、植樹、伝統的な狩猟場・山林を保護整備することに一心不乱に力を注いできた。宋とその家族の私心を捨てた正義感に満ちた感動的な物語に触れる時、私たちは、自らが身をおく環境を大切にする気持ちを奮い立たせ、不毛の土地を緑化させることで、世界を動かすこともできるという信念を固くするだろう。
台湾は、全土の約60%が森林で覆われ、北回帰線が横断しており、熱帯と温帯の両方の気候帯に位置し、4000メートル近い標高差があるため、豊かな森林景観を形成している。1912年、イギリスの探検家ウィリアム・ロバート・プライス(William Robert Price)が台湾を訪れ、阿里山のヒノキ林を見て、「世界にかくも素晴らしい森があるとは!」と驚嘆した。
日本統治時代、クスノキや高山の貴重なヒノキが伐採され、国民政府が台湾に来てからも、林業経済によって木材で多額の外貨を獲得した。その反面、森林資源の減少や土石流などの潜在的な国土保全の危機にも直面していく。1989年、政府は一級天然林の伐採禁止を宣言した。1991年、天然林は全面的に保全され、台湾の緑豊かな山林の負担を低減し保護育成が可能となった。
以後30年以上にわたり、政府、企業、非政府組織は、森林復元事業に相次いで投資してきた。2018年、林務局が推進する国土生態系エコロジカル・ネットワーク・プロジェクトは、標高ゼロメートルから3952メートルまでの分断された生態系ネットワークをつなぎ、生態系保全の持続可能な発展に向けて前進するために、原住民集落と山林を共同管理する計画を立てた。2022年「人と森林の持続可能なウィンウィン経済」を推進する33の山村を選定し、林務局各林区管理処によって、集落において森にやさしい産業を発展させる支援が行われることになった。民間は、森の里親、または土地取得後の信託などにより、森林資源を幅広く育成する仲間に加わっている。
現在、苗栗県南庄のサイシャット族は、林務局と山林を共同管理し、地元の林区管理処と協力してサイシャット族による養蜂、原木椎茸の植菌、エコツーリズムなどSATOYAMAイニシアティブを展開し、人間本位・協力共生の精神を実践している。
国立屏東科技大学森林学科教授の王志強によれば、日本政府と国民政府は林業経済の発展において時代ごとの経済的ニーズがあったが、一部の原始的な山林は開発に適さず、生態系復元育成は、場所と植生に応じて行って、初めて水土保全・生物多様性の維持が可能になると言う。
屏東県霧台郷のルカイ族神山集落の一員である宋文生(スラ・スキナドリミSula Sukinadrimi)とその父・宋文臣(レゲイ・スキナドリミLegeay Sukinadrimi)は、40年前に家族の力で100ヘクタールの霧台郷の山林の生態系を復元すべく、一万株を超える台湾固有種木のタイワンケヤキ、アラカシ、フウ等を植えてきた。2018年、宋文生は、林務局から林業および自然保護功労者として表彰された。
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ドレセドレセの朝食店の向かい側が、大母母山系である。宋文臣、宋文生一族が育てる山林はこの山にある。
霧台郷の「植樹する男」
神山部落の朝食店に宋文生を訪ねた際、妻ドレセドレセ・パチェンゲラウ(Dresedrese Pacengelaw)は、鍋やフライパンを洗っている最中で、宋の母(デヴァデヴァ・パランゲランゲDevadeva Palrangelrange)はテーブルを拭いているところだった。宋文生が店から出てきて、キッチンの入り口にある長テーブルに我々を招き入れてくれた。
山と村への思いについて語る時、宋は目の前の大きな山を見つめた。それは台湾百名山の一つ・大母母山系であり、ルカイ族の伝統的な狩猟地であった。重なりあう山並み、鬱蒼とする木々、土石が崩落した部分も目に入る。この山こそが、宋文生一家が生態系復元してきた場所である。
長い沈黙の後、穏やかな口調でこう言った。「私たちはここで何千何万年も暮らし、山や森とともに生きてきました」山がなければ水も森も野生動物も人間も存在しない。お互いが密接に結びついている。それはとても単純明快なことなのだ。「なぜ木を植えるのかと問われれば、私にはごく自然なことだとしかお答えできません。」
「土地は傷つき、木々は失われました。人間が土地を癒す方法は、木を植えるしか無いのです。」宋によれば、こうした考え方は、両親、祖父母、先祖代々から受け継がれたもので、彼らと森との相互関係のあり方なのである。
57歳の宋文生は、12歳のときに父宋文臣と一緒に大母母山系に入り、山林の分布、川の流れの方向、狩猟の仕方などから徐々に山林に精通していった。彼は高校生になるまで山から下りてくることはなかった。兵役を終えて、警察官と司法警察に合格したが、平地での生活に慣れず、最終的には村に戻ることを選んだ。
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宋文生は結婚してからも山で植樹を続け、家計はすべて、妻ドレセドレセが経営する朝食店に頼っている。
両親は初代植樹指導員
時は1980年代、林業経済か、緑豊かな山を保全するかをめぐって部族の中で対立が起きていた。宋文臣はそれまでの考え方を改め、パテセンガン(patesengane)に土地を購入し、植樹を始めた。宋文生は、苦学して森林保護管理員(山岳巡視員)の試験に合格し、最後は、両親と一緒に植樹するために故郷に戻る道を選択し、40年間志を貫いてきた。
「初代植樹指導員です」と、宋文生が母パランゲランゲを私たちに紹介すると、はにかんだ笑みが返ってきた。「宋さんの植樹の仕上がりはどうですか?」と尋ねると、パランゲランゲは「うまいです。真面目にやってます」と笑った。
宋文生は、自宅で様々な種類の苗木を育てる。年長者は標高500メートル、1000メートル、1500メートルそれぞれにどのような樹種が存在するかを細かく知っており、次の世代は、長老たちの記憶をもとに大地を復元して行くだけだと言う。宋自身が山で年長者の知恵を学び、樹木、草、つる等の様々な植物を部族の母語で何というかを知ったと言う。
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林業経済が振興していた時期に、霧台の山から膨大な樹木が失われた。宋文生の父・宋文臣が先頭に立って、固有種の樹木の復元に取り組んだ。(ドレセドレセ提供)
朝食屋が支える植樹の夢
宋文生は、36歳の時、都会から戻って朝食店を開いたドレセドレセと結婚した。しかし、宋は「無報酬」で植樹作業を続けたため、家族の経済は朝食店の収入に頼っていた。店の前庭では、一年に約800本の苗木が育てられる。ドレセドレセは「植樹は正しいことですから、私たちはそれを支援するのです」と語る、義父や長老たちが村にとって土地が如何に重要であるかを教えてくれたと言う。「私たちが(植樹を)しなければ、一体、誰がするのでしょうか?」
2009年の八八水害(モーラコット台風)が引き起こした地滑りにより、霧台郷の原住民8集落の内、阿礼(Adiri)、谷川(Kudrengere)、佳暮(Karamemedesane)、吉露(Kinulane)、好茶(Kucapungane)の5集落が移村し、神山(Kabalelradhane)、霧台(Wutai)、大武(Labuwan)の3部族だけが元の村に残った。この水害を契機にして、部族の中から、植樹によって山林を守ってきた宋文生を支援する人々が出始めて、次各山(cekesane)にある放置された遊休林の土地を宋家に植樹のために提供するようになった。
宋文生は、2代目「ランボルギーニ」(実は、貨物トラックである)を運転して、私たちを植樹した山林まで連れて行った。まず両親の家の裏庭の苗床を見せてくれた。樹齢50年のクスノキからはよい香りが漂い、木陰が苗を守っていた。宋文生は周囲を見渡しながら「ここが夢の国なのです」と一言いい、クスノキの苗木を持ち「これが夢の木であり、私たちは夢みる者なのです」と呟いた。
続いて、標高500メートルの第3種植樹区であるツングルガン(cungurugan)に入っていった。ここは、ドレセドレセの実家がローンで購入した山林地で、宋文生とドレセドレセの植樹のために引き渡された。山腹の入り口から遠くないところに、帆布で作った簡素な雨を遮るだけの小屋があった。ここは宋文生が休憩する場所である。小屋の横には水の入ったバケツがあり、宋はそれを山林に運び、若い木々に灌水するのである。
苗木は険しい山壁に植えられ、宋文生は丁寧に磨かれた鎌を手に、土台の間の草を刈り取った。最近、干ばつが続き雨が降らないため、植えたばかりの若木が悲鳴を上げているが、カイエンナッツは、まだ青々としている。宋文生は、観賞植物のカイエンナッツが持ち込まれて、山林のあちこちに植えられたが、この外来種が固有種を凌ぐ勢いで繁殖し、本来多様であるべき森林の様相が単一になりがちだと心配そうに語った。
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宋文生一族が山に植える苗木は、すべて自宅の庭で育てられる。(ドレセドレセ提供)
苗木に「頑張れ」と声がけ
山林の復元は、苗木を植えるだけでなく、苗木が枯れたり蔓が絡まらないようにしたり、灌水したり、除草するなどの手入れをしなければならない。なかなかの重労働で、そのほとんどを宋文生が受け持っている。こうした作業で木の成長が早くなり、生存率が高くなるという。宋文生は、一日のうち7~8時間山林に滞在し、まるで子供に話しかけるように木々に話しかけている。植えたばかりの若木の若葉に手を添え「こうした枯れそうなやつには『頑張れ、頑張れ』と言ってやり、カイエンナッツなら、引き抜く前に、『悪しからず。ここは君のいる場所じゃない』と言うようにしています」と教えてくれた。
山の昼食は、ドレセドレセが宋のために準備したチキンナゲット、ねぎのお焼き、マントウで、少しごちそうだと卵を挟んだマントウか、肉ちまきになる。朝食店だけでは、とても家計を支えてはいけず、生活は厳しい。満足を知る者である宋は「私のマネージャー(妻)が作ってくれたものを私は食べていればいいのです」と呟いた。
故郷に戻って植樹を始めたばかりの数年間、宋文生は植樹を諦めて、山を下りて仕事を探すか幾度も悩んだ。しかし、最終的には山に残って大好きな植樹作業を続けた。宋はドレセドレセに視線を向け、感慨深く「私も食い扶持ぐらいは必要です。とにかく(結婚後)20年もこうしてやってこられたのは、家内がいたからです」と言う。
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台南市立金城中学校の許先生がチームを率いて、宋文生について山に上り、アラカシを植える。木は5年で花を咲かせ実を結ぶ。種からまた苗を育てる。(ドレセドレセ提供)
植樹は、神様のお導き
ここまでやって来て「無報酬」で植樹することが如何に大変かが実感できた。宋文生は、以前の自分は甘かったと語っていたが、現実には財源がない以上、若い世代に向かって、故郷に戻り植樹をしろと呼びかけるのは難しい。しかし、宋は、ユーモアたっぷりに続ける。「我々原住民には、三人の金メダリストがいます。2020年東京オリンピック重量挙げ金メダリストの郭婞淳、2021年柔道グランドスラム・アブダビの金メダリスト楊勇緯、そして、植樹金メダリストの私です」
「原住民族は、誰よりも山林のことを知っています。私もどれだけの木を植えるべきかはっきりわかっています。」と語る宋は、植樹と山林の保護を原住民のために専門化分業化させる構想を打ち出した。もし財源があれば、若者を故郷に引き戻すことも可能となる。父親が宋を山林に連れて行ったのと同じように、宋も若者を連れ回すことが可能となる。山林を感じ取り、大地に触れることで、初めて民族の言語や文化がひとりでに受け継がれていくのだ。しかし、宋は、固有種を植樹するという理念は共通でなければならないと強調してこう付け加えた。「さもなければ、一本が100万台湾元の値がつく牛樟(カシ)なぞ、頼まれても私は植えたくない」。
宋文生一家の植樹の物語は、ソーシャルネットワークで公開されると反響があり、宋は、屏東県霧台郷愛郷発展協会を設立し、月額100元で木一本を育てられる里親制度を開放した。里親には米国人、フランス人がおり、こうした里親は多くはないが、幸いなことに、台南社区大学の受講者たちが山に登り、草むしりや力仕事を分担してくれている。
山腹の入り口には、植えられたばかりの若い苗木があり、地面の立て札には、共同保護者の名前が記されている。ドレセドレセによれば、植樹する土地、財源、人材が不足しているという。年間3000本の木を育てる里親がいれば、財源が得られ、より多くの人に植樹の仲間入りをしてもらえ、霧台で失われた600ヘクタールの山林が復元できる。
ドレセドレセは、自分たちが山林復元の仕事に専念できたのは神に選ばれたからだと信じている。「神様は、私たちができると確信していたからこそ、私たちを選んだのです。私が天国に召された後も、少なくともこの木々は引き続きこの土地に残って、私たちの子孫を守ってくれるでしょう」と言う。
宋文生の一族は、大母母山系の3か所の植樹区、合計約100ヘクタールの山林に、アラカシ、タイワンケヤキ、フウなど1万株近くの苗を植えて来た。山を下りる前に、宋は、山中の樹木を指差しながら「私は天国からお呼びがかかるまで、ここを離れることはありません」といい添えた。
現代フランスの文学者ジャン・ジオノのベストセラー小説『木を植えた男』は、名声、財産、見返りを求めず、残りの人生を植樹作業に捧げ、不毛の地を人々が心安らかに暮らし、働くことができる緑の珠宝とでも言うべき庭園に変えた孤独な羊飼いの姿を描いている。その無私の精神によって、荒れ果てた土地は、乳と蜜の流れるカナンの地に変えられた。この本に、世界中の何千万人もの人々が心を動かされた。
台湾版の「植樹する男」である宋文生と妻のドレセドレセは、山林への愛を台湾を守るという行動に移した。そして、我々も心の中に「山林を守る」という苗木を植え、山林と土地を愛する心を行動に移すべきなのである。
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宋文生一家は霧台郷の山に植樹をして生態系を守っている。苗を植えるだけでなく、草や蔓を取り除くなどの手入れをすることで、苗木の生存率が上がり、良く育つ。
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人々が宋文生の植樹の理念に賛同し、苗木の里親となり、共に山林を守っている。