自らの物語で生徒を導く
「彼女は私と同じで、天性の才能に恵まれているわけではありませんが、不眠不休の訓練を通して技を磨き、ぎりぎりのところで勝ち続け、国際技能競技大会の国家代表になったのです」と言う。楊弘意は2012年に木柵工業高校の代講教師となり、今年で7年目だが、彼が育てた生徒はこれまでに全国大会で金メダル10、銀メダル10、それに数えきれないほどの銅メダルや入選を獲得してきた。これらの生徒は技能が優れているというので国立科技大学へ推薦で入学でき、職業高校卒業という運命を大きく変えている。同じく楊弘意の教え子で、詹子儀より前に国際技能競技大会で優勝した左孟民も、カナダやオーストラリア、日本など6ヶ国で訓練を受けて海外の選手と交流し、視野を広げてきた。
楊弘意が生徒に技能コンテストに挑戦させるのは、自分も同じ道を歩んできたからだ。彼はしばしば自らの物語を通して生徒たちを導いている。
生徒を優しく教え諭す現在の楊弘意の姿からは想像しがたいことだが、彰化師範大学付属工業高校の機械科に学んでいた頃の彼は、金髪にピアスという、先生にとって頭の痛い生徒だった。
それが、ある先生との出会いで大きく変わったのである。その先生は、彼がのこぎりで鉄をきれいに切断するのを見て、技能コンテストに参加するための訓練を受けさせた。最初の成績は振るわなかったが、先生は彼に再度チャンスを与え、3年生の時に全国技能コンテストで金メダルを取り、国の代表選手に選ばれたのである。
台湾師範大学機電工学科に合格し、2年生の時に再び国の代表選手になろうと毎日12時間も練習したが、選ばれなかった。「当時はロック歌手の伍佰が好きで、髪をポニーテールにしてイキがっていました。私が審判でも、そんな傲慢な態度の学生を合格させないでしょう」と言う。
この経験から、「仕事に対する態度が成敗を決める」と考えるようになった。そのため、コンテストに参加する男子生徒には五分刈りにするよう求め、訓練中は学校に寝泊まりさせる。こうして厳しい規律を守ってきた生徒が金・銀メダルを獲得してきたのである。
「中学の成績はクラスで後ろから5番目で、主要科目はまったくダメでした。それが高校で機械科に入ってから勉強はそんなに難しくないことに気づいたのです」と楊弘意は言う。
楊弘意は、一部の生徒は能動性や積極性に欠けるため、生徒に寄り添わなければならないと考える。また、一人親家庭や貧しい家庭の子供もいて、貧困から抜け出すには勉強しなければならない。生徒によって学力にも差があり、楊弘意は、教科書の内容を分かりやすく図解した資料を手作りしている。その著書『機械加工』を開くと、すべて一つずつ図や表で説明してある。
8月にロシアで開催される国際技能競技大会に向け、先生から特訓を受ける詹子儀。