子供それぞれが作品
顧教授は五味屋を、田舎の子供たちの多元的学習の場にした。「五味屋ではあらゆる仕事が子供の学習になります」大人が子供とともに壁の修繕やペンキ塗りをし、段ボール箱で棚を作る。粗大ゴミの家具も使える部分を用い、五つの机が三つになったり、机の脚の色がそろわなかったりするが、十分使用可能だ。
子供たちは五味屋の仕事でポイントを貯め、生活用品と交換したり、登山や台湾旅行のプログラムに参加する。ギターを習いたいと言えば、東華大学の大学生が招かれ、ポイントを使ってレッスンを受ける。夢を持とうと子供を励まし、夢を実現させるための方法を子供と決める。田舎に住んでいるからと外からの援助を待つのではなく、子供自身に夢を追う能力や勇気を持たせる。
昨年、顧瑜君教授は教育に貢献があったとして温世仁文教基金会のGHF教育創新学人奨を受賞、今年9月にはオーストラリアで講演する。この機会も子供たちの学習の場にしようと、顧教授は発表を子供たちと一緒に行うことにした。参加したい子はまず企画書を提出し、プレゼンを準備しなければならない。子供たちは笑って「顧先生は悪魔だね。それに合格しなければオーストラリアに行けないんだよ」と言う。
五味屋に来る子供は、両親が離婚したり、親戚の家を転々としていたり、親の仕事や家計が不安定で十分に面倒を見てもらえないなど問題を抱えていることが多い。これらが子供に影響し、勉強への興味を失ったり、情緒の起伏が激しくなったりすることもある。顧教授は子供とのふれあいを展覧会に例える。「子供それぞれが作品で、それぞれを見つめて新たに認識、理解、肯定します。何かを指導するのではなく、その子を見栄えのいいように仕立てるわけでもありません」
子供が万引きしたりしないのかと聞かれることがある。彼女はいつも笑って「子供だけではなく、万引きしに来る大人もいますよ」と答える。彼女は「盗みを矯正する」ことはひとまず置き、「盗みをしたら、子供とその行為との関係について子供と話し合い、その子への理解や認識を深めます。盗んだことを子供の成長の養分にするのです。そして引き続き子供の成長に寄り添ってやれば、いつか盗みを止めます」と言う。
一緒に親を愛してほしい
五味屋では大人も子供と一緒に学ぶ。親がどのような状況であれ、子供はできれば親のそばにいたいと思っているからだ。「子供はしょっちゅう行動によって訴えています。『先生から見れば私の親は良い親ではなくても私は好きなのだ。親を認めてくれないと、親は私の人生で正しい役割を果たしてくれない』と。それは子供の心にぽっかり穴を残します」と顧教授は言う。
そこで顧教授は「親は責任感のある大人でなければならない」という考えを捨て、そうした社会の期待には応えられないような親と新たに関係を築くことにし、彼らを五味屋の活動に招く。気後れして来られないような親には、「電球を取り換えてほしい」というような理由をつけて来てもらうこともあるし、出稼ぎに行く親のために地元での仕事を用意することもある。
もし五味屋を訪れる機会があれば、筋向かいにある古着屋「瘋衣舎」にも寄ってみたい。思わぬ拾い物があるかもしれないし、店の奥には食べ物を売るコーナー「築夢踏食」もある。売られているのは地域のお母さんたちによる手作りのお菓子だ。「秀凰母さん」と呼ばれている女性が手慣れた手つきで葱入りパイを焼きながら、客と言葉を交わしたり、自分が作ったローゼル・アイスキャンディーを薦めている。その姿からは、彼女が何年か前には心身の状況が思わしくなく、たびたび姿を消していたことなど、想像し難い。
取材当日、1人のいたずらっ子が自分の髪を1カ所ばっさり切り落してしまった。家に帰ればおじいさんにひどく叱られるだろう。こういう時、五味屋では保護者に「叱らないで」などと言ったりしない。スタッフが子供と帰宅して一緒に叱られるのだ。こうして保護者の感情の爆発を子供とともに受け止めてやりながら、子供に反省の機会を与え、罰を受けさせる。子供の前で保護者を否定すれば、子供は間に挟まれて困ってしまうからだ。これが五味屋の大人のやさしさだ。
花蓮県の豊山、豊裡、豊坪の三つの村は昔は豊田と呼ばれ、日本統治時代の移民村だった。現在も整然とした碁盤の目の町並みと文化的な雰囲気が残っている。