台湾博物館「発現台湾」展

標本や文物で見る フォルモサ発見の軌跡
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2018 / 3月

文‧陳群芳 圖‧林旻萱


2017年11月、国立台湾博物館が常設展をリニューアルした。「発現台湾(台湾発見)」と題された同展では、ウンピョウ、タイワンマス、モーナ・ルダオのしていたアンクレットなど、同博物館所蔵の百年にわたる貴重なコレクションの数々が展示されている。かつて博物学が急速に発展を遂げた時代、そして台湾博物館の基礎が築かれた時代に、台湾でさまざまなものが発見され、世界に発信された様子がうかがえる展示となっている。


昨年亡くなった齊柏林監督によるドキュメンタリー『天空からの招待状(看見台湾)』は、上空から台湾をマクロに俯瞰した作品だったが、台湾博物館(以下「台博館」)の「発現台湾」展の場合は、博物学者たちが台湾の山や海などあちらこちらを回って採集した標本や文物によって、具体的かつミクロに台湾の多様な姿を展示したものだと言える。

博物学による解析

19世紀、航海術の発達や、各国による版図拡大の需要から、未知なる土地の発見や探検が行われた。そんな中、台湾にも各国の専門家や学者が訪れた。

船乗り、商人、医師、軍人、探検家、外交官などさまざまな職業の異なる国籍の人々が船でやって来て、万物への好奇心からこの地を探検し、さまざまな方法でそれらを記録した。本来の職業とは別に、彼らは「博物学者」と総称される。そして彼らが集めた物は、博物館の貴重なコレクションとなった。

日本統治時代の1908年、台湾で初めての博物館である「台湾総督府博物館」が設立された。博物学者たちの発見が、公開展示の舞台を得たのである。

時代背景の変遷を経て、台湾総督博物館は現在「台湾博物館」と名を変え、国内外の人々でにぎわう台北駅周辺ショピングエリアに建ち、台湾人が自らを理解するための、或いは外国人が台湾を知るための場となっている。決して広いとは言えないが、長い歴史を持ち、展示物は人類学、動物学、地学、植物学などの多領域にまたがる。コレクションの豊かさと多様性を生かし、人々に何度も足を運んでもらおうと、台博館は初めてジャンルを越えた常設展「発現台湾」を設けた。

各ジャンル、各時代にまたがる物をひとまとめにして展示し、しかもそれぞれの主体性を失わないようにする必要があった。異なる学術領域をまとめる作業は博物館の予想を超えて複雑で、準備期間1年半という当初の予定が、最終的には3年以上かかってしまった。

内容の統合に挑戦したのは、台博館人類学チーム長の李子寧で、彼は展示物の説明に人文学的な視点も加えた。自然科学の研究者にとって標本は種を代表するものだが、博物館のコレクションは李にとって単なる標本ではなく、当時の時代背景を物語る歴史的文物だからだ。同博物館の研究員がそれぞれの専門分野の伝統的思考を越えてコレクションを見つめ直し、標本を歴史的産物として、その物語を説明する。そうすることで、新たな視点で展示物を見てもらおうというのだ。

採集によって台湾を発見

当時、博物学者はまったく新たな知識や視点で台湾を調べた。彼らがいかに秩序立ててそれらを収集・蓄積したかを「発現台湾」展では見せたい、と李子寧は言う。新たな種が多く発見されたことで世界とつながり、この小さな島の多様性が世界を驚かせた。

展示ホールに行くと、大きなタイワンスイロク(サンバー亜種)が出迎えてくれる。これは、最も早くに世界に認められた台湾固有の哺乳動物で、イギリスの博物学者スウィンホーによって1862年に発見された。同年、スウィンホーはロンドン動物学会会報にウンピョウ、タイワンザル、タイワンツキノワグマなどを含めた台湾哺乳類についての報告を発表、それは台湾の哺乳類を初めて系統立てて紹介したものだった。

スウィンホーを皮切りに、各分野の博物学者たちが活動を始める。

動物採集や剥製作りを得意とした菊池米太郎は1906年に委託を受けて台湾でミカドキジを採集したが、これは世界初のオスのミカドキジの完璧な標本として大きく報じられた。ほかにも、ハタネズミ、アカネズミ、ハブなどの多くの台湾固有種が菊池米太郎によって発見された。今回展示された雌雄のミカドキジの標本を始め、現在台博館が所蔵する動物剥製の多くが菊池米太郎によって作られたものである。

1945年に館長に就任した陳兼善は彼の生徒の梁潤生とともに、魚類学者としての専門性を発揮した。二人は在任中に264種計376点の魚類標本を採集し、魚類のコレクションに大きく貢献した。タイワンマスなど希少種も多く含まれ、とりわけ台湾在来種のアユはすでに絶滅しているので、現在は陳兼善が残した標本でしか見ることができない。

フィールドワークの先駆者である森丑之助は、台湾の山々を巡り、数えきれないフィールドワークを行った。パイワン族の楯や古くから伝わる壺、タイヤル族男子の袖なし上着など、先住民の器物を収集したほか、当時はまだ高価だった撮影機材を用いて、頭目の家屋、タオ族の造船の様子などを撮影、その範囲は服飾、宗教、社会階層、工芸、トーテムなどに及ぶ。森丑之助の残したものは、現在の先住民文化研究にとって重要な資料となっている。展覧会では、そうした100年前の先住民の暮らしぶりがうかがえる。

専門家だけでなく

常設展は展示期間が長いので、展示物の保存のために注意が必要だ。それらを美術館のように展示するのも難しい。どのように展示すればいいか、台博館の頭を悩ませた。

何度も話し合いを重ねた結果、「発現台湾」では、標本を壁に並べたり展示物の前に立ち入り禁止のラインを引いたりといったやり方はせず、床に立たせたり、天井から吊るすなどアクティブな陳列となるよう工夫をこらした。広い空間のあちこちに、ミカドキジやタイワンツキノワグマ、タイワンジカ、センザンコウなどの標本が展示され、まるで互いに対話をしたり、ガラスの向こうから飛び出して来そうな感じがする。

標本には、採集者の習慣が残っていることがあり、時代を越えて彼らの存在が感じられる。貝類を採集した堀川安市は、貝殻に採集地点を記す習慣があった。白い貝殻に朱色の文字で「高雄産」「基隆産」などと書かれている。

かつて台湾にやって来た多くの博物学者は、採集だけでなく、見聞を文字として記した。それらは収蔵品の価値を証明する有力な証拠となっている。台博館で2015年に収蔵品の点検を行ったところ、1929年に当時の日本円2円で購入したタイヤル族の貝殻細工のアンクレットは、当時の購入記録に残された日本語のカタカナ表記から、歴史的人物であるモーナ・ルダオのものであることがわかった。崇高な勇士を象徴するアンクレットが、今回ついにモーナ・ルダオの遺品として展示されることにつながった。

博物学では、標本採集とともに重要なのが、図や写真、文字で細かな情報を残すことだ。たとえ現代でも、解剖図を用いたり、標本に欠けている部分を補足するなど、絵図の作成が行われ、そのためにスケッチのプロが雇われるほどだ。

絵の才のある博物学者も多い。川上瀧彌は採集した植物標本を自分でスケッチした。彼の作品『花』は今でも芸術品として通用する。また、陳奇禄は、先住民の器物やパイワン族のトーテムを生き生きと描いて残した。

博物学者が残したこれらの記録や出版物も、今回の展覧では標本とともに展示され、研究者としての彼らの丁寧な仕事ぶりが窺える。従来の展覧ではそれらに長い説明を付して紹介することが多かったが、「発現台湾」では、わかりやすいようにイラストを多用することで、専門家だけでなく子供や一般の人にも親しみやすく、楽しめるようにした。

過去から未来を望む

先人が山や海を回り、苦労して集めた貴重な資料が、台湾というこの宝の島を理解するのに役立っている。アーティストのユマ・タルは、博物館所蔵の先住民の服飾品から、タイヤル族ではすでに失われた織物の方法を発見し、それらを20年余り研究して、ついに伝統の織物を部分的に再現することが可能になった。

過去を理解してこそ未来を展望できる。会場の最も後方に展示されたユマ・タルの作品「古虹新姿」がそれを証明する。再現した伝統の方法で織った部分に加え、まだ再現しきれていない模様がアクリルで描かれ、それらタイヤル伝統の三角模様で祖霊とふれあう虹の橋を描き出した。

すでに絶滅したウンピョウも、今回の展示で姿を見せる。貴重なコレクションは、いにしえの謎を解くカギを後世に残すだけでなく、かつて確かに存在した種が環境や人為的破壊によって跡形もなく消え失せてしまうということを、我々に警告してくれる。

台博館の11万に及ぶコレクションのうち、「発現台湾」展では300余りを選び出し、展示している。定期的に展示替えを行うことで、コレクションを休ませるだけでなく、人々に繰り返し足を運んでもらいたいと考えている。見学には詳しい知識が必要なように思えるが、世界を探索しようという先人の努力や強い好奇心を、見に来た人々に感じてもらえれば、というのが台博館の願いだ。例えば森丑之助がその著作に書いた「まともな暮らしはあきらめ、ただ自分の志のままに全身全力でこれをやる」というような思いだ。

「発現台湾」展に展示されているのは、台博館を作り上げてきた歴史だけではなく、博物学者が全身全霊を注いで研究に当たった情熱である。そうした先人の足跡をたどってみれば、物事への好奇心がかき立てられるだろう。台博館に足を運んで台湾発見の旅に出てみよう。

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