台湾のためにすべてを捧げる
今回のIEEE-UFFC-JSの開催権を獲得したことについてたずねると、徐萬泰と李百祺は表情をやわらげ、「一度だけでなく、二度もバカをやらなければなりませんでした」と笑う。
もともと長年にわたってIEEEに関わってきた彼らは、それぞれの専門分野において会議やシンポジウムを取り仕切ってきた経験がある。
2017年に、海外の友人たちから二人に再びIEEE-UFFC-JSを開催してほしいという声が届いたが、二人はそれぞれ2015年のIEEE IUS(超音波シンポジウム)と2014年のIEEE IFCS(周波数制御シンポジウム)の議長を務めたばかりで、ようやく一息ついていた時だった。
「前回のジョイントシンポジウムはプラハで開催され、今回はアジアの都市ということだったので、友人たちはアジアならぜひ台北で、と希望していたのです」と李百祺は言う。二人は幾度も辞退し、他に開催可能な都市を探していたのだが、ある電話で「中国が開催権獲得に動いている」という情報を得た。
これを聞き、米国ミシガン大学博士課程の同窓生である二人は互いにメールで連絡を取り始めた。徐萬泰が「先輩、やりますか?」と問うと、李百祺はひとこと「やろうじゃないか」と答えた。この簡単な対話から、IEEE-UFFC-JS開催権をめぐる競争が始まったのである。
だが、徐萬泰は周波数制御、李百祺は超音波が専門で、強誘電体分野のサポートがなかった。そこで二人は、かつてUFFC委員会の主席を務めたペンシルベニア州立大学のスーザン‧トロリエ‧マッキンストリー教授に手紙を書き、支持を依頼することにした。
「実際のところ、教授が応じてくださる確証はありませんでした」と李百祺は言う。だが、マッキンストリー教授は快諾してくれ、3人のチームが結成されたことで、開催権獲得へ大きく歩み出したのである。
当時の唯一の障害は、国内にふさわしい会場がないことだった。そうした中で、建設中の南港展覧館二号館が2500人収容できることを知り、開催権獲得のためのプレゼンテーション資料に、その青写真を入れることにした。その時のことを李百祺は「委員会のメンバーに蜃気楼を提出していたようなものです」という。
だが、ライバルも負けてはいなかった。彼らはアジアで最高の国際会議場を持つ都市を打ち出し、国を挙げて資金を投じて彼らの優位性を強調していたのである。
それでも、あまり心配はしていなかったと二人は言う。なぜなら、それまで彼らが大会のために募ってきた資金は常に右肩上がりだったからだ。2026年にUFFCの主席に就任するデブラ‧コーラー氏からも、どのように財界から資金を集めるべきかと相談されるほどなのである。
開催権獲得のためのプレゼンテーションは徐萬泰にとって忘れられない日になった。プレゼンテーションの後、通常ならすぐに結果が出るのだが、その日は1時間ほど待たされ、2017年当時の主席だったClark T.-C. Nguyen氏から、ようやく台湾での開催決定を告げられた。
後から聞いたところ、待たされている間、議論を経た3回の投票で2都市が同点となり、最終的に主席が決定したということだった。
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セミナーの合間に多くの専門家がポスター発表会場を訪れ、世界各地から参加した大学院生と研究成果について議論し、交流を深めた。