空間における景観や動線、器物、肌理、そこに漂う空気、さらに地理的環境などは、その空間の使用目的や設計思想、施工工芸などと関わっている。さらにその当時の政治や権力、統治、経済、消費、文化、流行、内面の欲求などといった複合的な要素と、そこから生まれる需要や支配などともつながる。したがって、空間描写という写真のジャンルを応用して歴史的空間の建造物や器物、痕跡や雰囲気に焦点を当ててみた時、そこに付着している多重な寓意を通して、美学の実践を兼ね備えた写真を手掛かりに、景観をさらに直視し、歴史に接近して新たな時代を構築できるのではないだろうか。
「安康接待室」は、1980年に当時の韓国の全斗煥(チョン‧ドゥファン)政権が、光州で発生した民主化運動(光州事件)を軍事的に鎮圧した時の、「華やかな休暇(Splendid Holiday)」という行動コードネームを思い起こさせる。一見何の問題もなさそうな美しいコードネームの背後には、いまだに明らかにされていない惨烈な歴史が隠されており、現在から見ると、実に荒唐無稽で滑稽でさえある。同じように「安康接待室」という名称は、「安康のどこか」にある、賓客を接待する政府のレセプションルームをイメージさせるが、これも実は目くらましなのである。ここは当時の司法行政部に属する調査局が、1973年に今の新北市の安坑の山の中に建てたもので、1970~80年代に、思想犯や政治犯を監禁し、拷問を行なう尋問型の監獄だったのである。戒厳令下の台湾において、調査局と警備総司令部軍法処が共用する、当時では最も近代的な設備が整った監禁と尋問のための施設だった。ここにはかつて、著名な作家である柏楊やラジオパーソナリティの崔小萍、企業家の楊金梅、それに高雄美麗島事件の当事者などが監禁されていたため、当時多くの尋問型監獄があった中でも「安康接待室」は世界的に知名度が高く、1987年に戒厳令が解除されてからようやく使用が終了した。
川沿いの山の上にある「安康接待室」は、そのランドスケープも建築物も比較的よく保存されている。入口は一ヶ所しかなく、周囲は密集した植物や斜面に囲まれ、門の横には警備員の詰所がある。高台という位置と周囲の環境によって巧みに隔絶され隠されている。外部から遠く隔てられたこの地を故意に選んだことは明らかであろう。警備員の詰所と庭の奥には、山の斜面を利用して建てられた4棟の平屋があり、それぞれ監禁、尋問、事務および生活に用いられていた。そのうち山肌の比較的高いところにある尋問用の建物と、比較的低いところに建てられた監禁用の建物との間は地下道でつながっており、間には鉄の扉がある。こうすることで隠蔽性は一層高まり、尋問に便利であるだけでなく、被監禁者には強大な心理的ストレスをあたえ、また正常な時空の感覚を失わせるものでもある。
今日、台湾の民主化は進んだが、「安康接待室」は歴史の大きな流れの中で数十年にわたって放置されてきた。法の支配と人権意識が高まる中、あの時代の暗黒の歴史の回顧と再構築が各方面から進められている。今後、私たちは歴史を直視し、継続的にそれを発掘して思考し、そこから教訓を得ることで、はじめて真の和解を経て、手を取り合って前進することができるだろう。ここの剥がれ落ちて斑になった石綿瓦や、ぞっとするような声が響く地下道、樹木の気根が絡みついた監禁棟、腐食して崩れ落ちた窓格子、ぶ厚く重たい扉、湿気を帯びてカビの生えた壁、薄暗く陰気な廊下などから、かすかに感じられる地場とそこにいるかのような魂が、あの恐怖の時代に成し遂げられなかった志への無念や、無実と不平の叫びをあげているように感じられる。