就職のための力を蓄積
台湾との縁は続き、彼は再び外交部に奨学金を申請し、銘伝大学のEMBAコースに入った。そして成績優秀だったことから今度は銘伝大学の奨学金を得て博士課程まで進んだ。
博士課程の一年目の時、広穎電通(Silicone Power)が市場開拓のために中国語のできるインド人を求めていた。マノジは、まったく仕事の経験がない中で努力し、メモリカードの市場をゼロから開拓し、シェアで台湾企業のトップにまで成長させた。
2011年、当時の上司だった人が彼を連れてASUS傘下のASRockに転職した。当時、同社のインドでのシェアは2%に満たなかったが、マノジが代理店と話し合ったところ、ブランドの露出度が低くて販売が困難な上、アフターサービスもよくないことが分かった。これらの問題を一つ一つ解決し、代理店にとって魅力的な販売計画を提案することで、業績を上げることができたのである。
「インドでは何よりコネが大切で、価格やサービスは二の次です」とマノジは言う。彼は代理店を頻繁に訪ね、手土産を持って行って信頼関係を築いていった。だが、大手と取引している代理店は最初は彼を相手にしてくれなかった。「私は営業マンとして必要なことに気づきました。一つは失敗を恐れないこと。もう一つは決してあきらめないことです。今日は成功しなくても、明日は成功するかも知れないのですから」と言う。中には訪問し始めて3年目にようやく取引を始めてくれる代理店もあった。マノジはこうして営業範囲をインドからパキスタン、バングラデシュ、スリランカ、さらには南アフリカまで7ヶ国へと広げた。
3年前、彼は建設や工業団地開発計画を手掛ける世正開発公司へと活躍の場を変えた。マノジによると、近年、インドではモディ首相の指導の下、ビジネス環境が大きく改善しつつある。台湾企業もその市場の可能性に大いに注目しているが、理解が不充分なためまだ傍観している状態だ。
そうした中、マノジは長年にわたってインドで人脈を築いており、世正開発公司はそれを見込んで好待遇で彼にインド市場開拓を求めた。以前の勤め先からも引き抜きの声がかかっているそうだ。マノジによると、中国語のできるインド人は、すぐに中国の企業に高給で引き抜かれるという。「それでも私が台湾に留まるのは、かつて台湾の奨学金をいただいたので台湾に貢献したいというのもありますが、何より台湾が好きだからです」と言う。
マノジはバイクで台湾を巡ってはストレスを解消している。写真は合歓山の山頂付近。(マノジ提供)