九份の街を描く 胡達華の「釘絵」

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2017 / 5月

文‧鄧慧純 圖‧胡達華


万能はさみを手に、ビール缶から小さな色の塊を切り取り、金づちで平らにしてからヒノキ板に打ち付ける。胡達華は金づちを絵筆に、各色の金属片を絵の具代わりに使って、記憶に残る山間の町「九٪ڤ」を描き出す。

その金属片を用いる技法は国際的にも珍しいもので、アメリカ、日本、中国大陸、韓国などに展示に招かれ、台湾でも朱銘長青芸術創作賞、南٪ڤأs美展の視覚デザイン賞佳作など受賞を重ねた台湾の金属モザイク作家である。


胡達華の一生を物語る三つのキーワードが「九份」「金物」と「美術」である。

台湾北部の山間の町、かつて金鉱で栄えた九份に生れた胡達華は、二十歳を過ぎて台北に職を求めて出たのだが、会社勤めから独立するまで、金属販売業に従事してきた。六十を過ぎて、生家に戻り家を改装した時、空いた壁面を自作の絵で飾ろうと思い立ったという。しかし、美術はまったく独学の彼が手にしたのは絵筆ではなく金づちと釘と缶であり、九份の風景をテーマに、記憶の中の故郷を釘で打ち出していったのである。

記憶の中の九份

「一級品は九份、二級品は台北に送る」と言われたように、胡達華が生まれたころの九份は輝かしい黄金時代であった。「付近一帯は九份が中心地で、市場もここにあったし、人も集まっていました。市場では一日に数頭の豚を処理しないと足りないほどでした」と、若い頃に見たこの町の繁栄を語る。

金の採掘は危険な作業で、死と隣り合わせの不安から、金鉱の鉱夫は享楽的な暮らしを送り、金払いがよかった。商人は高級品を九份に送り、山間の町にはビリヤード場、映画館、酒場などの娯楽施設も集まっていた。

九份には各地から一攫千金の夢を見て多くの人が集まり、通りの両側に立ち並ぶ家を見ると、金の採掘に成功すれば三階建てのコンクリートの洋館を建てたが、来たばかりの者は雨風を凌ぐだけの藁屋根の小屋だった。家の向きはそれぞれ適当に建てられたのだが、どこからでも海や山が望めた。そんなあれこれが、胡達華の作品から見て取れる。

胡達華の作品は当時の純朴な気風を記録している。作品「帯椅赴宴(椅子を持ち寄る宴)」には、宴が始まる時間ともなると、それぞれの家から椅子を担ぎ、子供を連れてやってくる光景が描かれている。土地の狭い九份では、家で宴会を催すにも、隣近所がテーブルや椅子を出し合っていたのである。

九份の家は屋根が重なり合い、窓を開けるとそこは隣家の屋根に連なる。天気が良ければその屋根に布団を干すので、黒いコールタール塗装の屋根に色とりどりの布団が並ぶのであった。今では見かけなくなったが、路地には万国旗のように洗濯物が干される光景も見られた。長い竹ざおにおむつやタオル、日本風の衣服が斜めに干されて、風に揺れている。そんな素朴な風景が、胡達華の「布団干し」や「新生の喜び」といった作品に一つ一つ表現される。

金属モザイク

胡達華が釘絵と名付けた手法は、最初は釘、ねじ、鉄線、アルミ線など金属廃材を板に打ち付けただけで、金属特有の冷たい質感とモノトーンとで、山間の九份の街の有為転変を感じさせた。それが一変して、粉ミルク缶、プルトップ缶、鉄の缶詰などの金属片を切り取って使うようになり、その釘絵はモノトーンから鮮やかな色の世界に入っていった。

使える色彩は手に入れた鉄やアルミの缶の模様で決まるので、胡達華の釘絵は印象派の光と影の技法が創作に採用されている。たとえば、緑の部分は単純な一色ではなく、濃淡の異なる色が交り、時には青や黄色も入るが唐突には見えない。その色調の調整には美術的な素養が求められるが、「よく見て考えればいいのです。何色を用いればいいか想像すれば調和します」と胡達華は長年の経験から結論づける。

最初の頃はさまざまな色の缶を集めるのに苦労した胡達華だが、今では友人たちが、缶を回収してきて作品を作る彼の苦労を知り、集めた缶を家の玄関前に置いていってくれる。外国に行くチャンスがあれば、各国の独特の色合いの缶を集めて持ち帰るのが常である。

胡達華はこれまで何回も招待を受けて海外で展覧会を開催してきた。その独自の手法を釘絵と名付けたが、外国人にもわかりやすいように、釘絵ではなく金属モザイクと紹介することにしている。また缶からTaiwanの文字を切り取り、作品に忍び込ませるのも独特のお約束となっている。「こうすれば、外国の人に説明するのが楽ですから」と、彼は笑いながら話す。

ディテールが織りなす表現

空き缶の金属片を貼り合わせると何とも懐かしい味わいが生まれる。冷たい質感の金属片が光を反射する特性を利用して、霧に煙る魅力的な九份の風景を表現した作品「霧中晴」「霧中橋」を見れば、あたかも山あいの町に身を置いているような気持になる。「藍天銀雲」では、アルミ缶の底の弧状の部分を利用し、巻雲が重なるような立体的効果を上げるのに成功している。

2004年の作品「基隆雨港」は、金属素材を用いて柔らかさを表現するという胡達華の力量を見せた。92×54センチの板5枚を組み合せた長さ460センチという、長軸の水墨画のような作品である。この作品をつくるために胡達華は何回も基隆に通い、港の全景を詳細に観察し、金属の色彩を重ねて、斜めに雨が煙る港町を表現した。

著名な鉄道画家の李賢欽は胡達華の作品について、油絵のような質感で、生き生きした具体的な図形を生み出したと称賛する。

胡達華はまた、金属片で無形の風を表現することもできる。作品「大竿林の芒の波」では、色の塊を積み重ねて山に風が吹き付け、山に沿って流れる様を感じさせるし、芒(ススキ)の形状に切った金属片を微妙な角度で重ねることで、風に揺れる姿をイメージさせた。

「祖孫行」では、石段を行く祖母と孫の姿を描いているが、祖母は微かに頭を傾けて孫を見守るかのようである。「雨中行」は、傘を差して風に向かう大小の二人の姿で、コートが風にあおられて斜めになり、雨風で荒れる山間の九份の風景を表現している。

釘絵の外の九份

美術に関する専門的訓練を一切受けていない胡達華だが、金づちを振るえば懐かしい九份の風景が浮かび上がり、サインペンを持てば、町の風景をさっとスケッチできる。ただの竹片を絵筆にして、インクを付ければ、にぎやかな街の風景が目の前に出現する。

胡達華は自身で創作するだけではなく、その技術を教えることも楽しんでいる。九٪ڤのアトリエで教室を開いており、外国での展覧会でも、外国の友人に釘絵を教える。また、彼は旅に出ればその時の印象を作品にする。チェコの赤い屋根やウィーンの町並み、エジプトのピラミッドなどを釘絵にしてきた。

胡達華の釘絵創作は今では20年におよび、200点余りの大型の作品を完成させてきた。その技法をいかにして後世に伝えていくかと問うと、「この技法を学ぶ人などいませんよ。美術のわかる人は学ばないし、わからない人では会得できないし」と言う。

最近、胡達華の生活は釘絵以外にも広がってきた。2008年には、この釘絵画家は才気あふれる月琴のミュージシャン高閑至に出会った。意気投合した二人は、胡達華が詞を作り、高閑至が作曲したアルバム「老九份之歌」を完成させた。これには「軽便車夫」「電火戯」などの歌が入っているが、胡達華が台湾語の漢詩として九份の物語をつづり、かつてゴールドラッシュに沸いた時代の人生のあれこれを記している。

胡達華は旅に出ると、かばんにスケッチブック一冊を入れて、目にした街や風景を描くのだが、そのスケッチブックを開いてみると、必ず12枚は九份の古い町並みが現れる。その子供時代の思い出を聞くと、トロッコが走るときのギイギイという機械音や、按摩師が歩きながら吹く笛の音、鍋釜を修理する行商職人の立てる音などが記憶からよみがえり、それが何年も経った今、釘絵を打つ音と遠く響き合うかのようである。

楽しく遊ぶ方が創作よりも大切だと言う胡達華だが、「そう言えば、まだ金精製の場面を釘絵にしていないな」と笑う。すでに齢八十。九份の街を深く愛するこの釘絵画家は、今も創作のエネルギーが次々と湧き出しているようで、手を休めるのはまだ早いようである。

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