多様性を伝統に
1874年、清朝の官僚である沈葆禎が視察の途中で万金を通り、当時としては異様な建物に驚いて調べさせたところ、教会には民の教化や先住民の順化といった働きがあることを知り、彼らの布教を支持すべきだと朝廷に奏上した。やがて同治帝から「奉旨」「天主堂」と彫られた花崗岩が下賜され、教会入り口上方の壁に掲げられた。今でもこの二つは教会の正面に残る。
太平洋戦争中は、日本軍の司令部が教会に置かれたため、神父は信徒の家などで教会儀式を行った。幸い教会は戦火を逃れた。
1984年、万金聖母聖殿は教皇ヨハネ・パウロ2世によって上位の教会堂「バシリカ」に認められ、その後、来訪者が増えた。2011年、スペインのドミニコ会は万金教区を台湾修道会中華ドミニコ会に譲り、さらなる伝統の継承を図った。
聖母崇拝は神学的に信仰の道からそれるのではという疑問もあるが、李神父はこう説明する。カトリックはプロテスタントより聖人を敬う伝統があり、イエスの母である聖母は特に敬われるのだと。毎年の巡行を計画準備する万金生聖家聯誼会の元会長である潘宋伯さんもこう言う。「聖母のイメージはより人に近く、言わば信仰の仲介役です。聖母に祈りを捧げることは、つまり三位一体の神に祈ることなのです」
巡行が有名になったので、屏東県は2011年に観光化を推進、100万を超える観光客が訪れるようになった。が、儀式の妨げになったりゴミが増えるなどの弊害が出た。そのため2017年からは再び宗教活動を重んじた行事に回帰した。
万金聖母の巡行は2012年に「民俗及び文物関連」の文化財に指定された。「西洋の宗教と地域の風俗文化を結びつけた活動であり、地域におけるエスニックの発展を示す、台湾最大規模のカトリック行事である」というのが指定理由だ。
台湾にカトリックが伝わって161年、万金聖母聖殿は台湾全土のカトリック教徒にとって重要な巡礼地、そして心の拠り所になった。そんな宗教文化に、あなたもふれてみてはいかがだろう。
まるでスペインの古城のような万金聖母聖殿は築150年近い。正面の二つの塔が特徴的だ。
万金聖母聖殿の創立記念日のミサの様子。2018年には高雄教区の劉振忠・大司教(上の写真・中央)が祭主を務め、台湾中の信者と聖職者が駆けつけた。
万金聖母聖殿の創立記念日のミサの様子。2018年には高雄教区の劉振忠・大司教(上の写真・中央)が祭主を務め、台湾中の信者と聖職者が駆けつけた。
聖母のパレードで、信者は祈りを捧げつつ楽隊とともに聖歌を歌う。
聖母の神輿の重さは300キロに上るため、8人で担ぎ、電信柱3本分進むごとに号令とともに交替する。
聖母のパレードは教会への帰還でクライマックスを迎える。担ぎ手が神輿を高々と掲げ、駆け足で教会へと突き進む。