ただ研究のみを愛す
カリフォルニア大学リバーサード校で数か月働いた後、同州にあるUNIAX社がフレキシブル‧ポリマー有機EL(OLED)を開発したと知り、楊陽は興味を持った。彼は自らUNIAX社と連絡を取り、面接の機会を得た。ところが面接に行ってみると「すでに英国ケンブリッジ大学の人材を採用することが決まっているが、外国人科学者を採用する際の米国移民局のルールで、他の人の面接も行なう必要があった」という説明を受け、謝罪された。
普通の人なら腹を立てるか、あきらめるところだが、「私は負けず嫌いなので、可能な限り自分の長所をアピールし、彼らが私を断れないようにしたのです」と言う。大学院の専攻は物理学だったが、同時に電機も学んでおり、博士課程では化学も研究し、最終的には高分子物理学で学位を取得した。物理、電機、化学を学んだことで幅広い思考を持つに至ったことが彼の強みとなり、最終的に面接結果は逆転し、この仕事を手にすることができたのである。
UNIAXでの4年間は人生の転機となった。世界でもトップクラスの各種分野の人材とともに働くことができたのである。UNIAXの社長であるアラン‧ヒーガーは2000年にノーベル化学賞を受賞した。ここで実力をつけた楊陽は、1997年にUCLAの材料科学‧工学科で教鞭を執ることとなったが、ここで再び選択を迫られる。一つは終身雇用の准教授となることだが、これは文書手続に10ヶ月以上かかる。もう一つは終身雇用ではないが、すぐに働ける助教である。科学研究は競争が激しく、当時はまさに有機ELが大きく注目されている時期だったため、研究に情熱を持つ楊陽は職位にこだわるより時機を重視し、助教として研究に取り組むことにした。
それからの一年、楊陽は学生を率いて有機ELの研究に没頭した。そして特殊なインクジェットプリンターを使って高分子の有機材料を吹き付ける方法に成功したのである。これはこの分野での初めての試みだった。現在の業界ではこのインクジェット法によって有機ELディスプレーが製作されている。この研究成果は著名な「サイエンス」誌でも報道され、楊陽の研究室は空軍や米国国立科学財団(National Science Foundation,NSF)から資金援助を受けることとなり、楊陽自身はNSFのキャリア‧アワードを受賞した。UCLAで教職を得た当初は、准教授となる機会を逃したと笑われたが、彼は自身の力で1998年に終身雇用の准教授候補となり、2002年には教授に昇格し、競争の激しい米国の科学界で安定した地位を獲得したのである。
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数十年にわたる研究において、楊陽は幾度も壁を突破する成果を出し、世界で最も影響力のある科学者と称えられている。