2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島西北海域でマグニチュード9.0の大地震が発生し、巨大な津波が人口密度の高いインド洋沿海を襲った。インドネシア、タイ、スリランカ、モルディブ、インド、さらにはアフリカのソマリアなども被害に遭い、死者は28万人を超えた。500万に上る被災者の生活を復旧させるには十年の時間がかかると見られている。
大津波発生から3日以内に、赤い制服の背にTaiwan Rescueの文字が入った中華捜救隊の35名の隊員が被災地に向った。レスキュー隊は二組に別れ、タイで最も大きな被害に遭ったピピ島とカオラク地区に赴き、瓦礫の中から次々と被災者の遺体を運び出した。このレスキュー隊の他に、同じく民間の慈済国際人医会や路竹会医療団、それに地方自治体などの救援チームが次々と被災地に向った。
1999年の台湾大地震の時には20数ヶ国から700名近い人々が救援に駆けつけてくれた。救命率の高い黄金の72時間、不眠不休で生還者を探し出してくれた彼らに、私たちは心から喝采を送った。近年、こうしたボランティアが被災者や弱者を救う大切な存在になっている。ネットの発達により、災害救助でも社会的救援でも、ボランティアは国境や文化を超えて活動している。
寒波が襲った台湾の町でも、ワールド・ビジョンや赤十字、慈済会などの募金活動に多くの人が足を止めて応えた。ひとつひとつの善意が大きな力になり、春を待つ勇気へと変っていく。
5年前の台湾大地震の際、全国からボランティアが救援に駆けつけ、その人数と動員力に多くの人が感動した。民間の力を結集した「ボランティア台湾」が初めて姿を現わしたのである。
国連が「国際ボランティア年」を宣言した2001年1月、立法院はボランティア・サービス法を成立させ、我が国はスペインに続いて世界で2番目の、政府がボランティア活動を推進する国となった。陳水扁総統は毎年5月20日の就任記念日を「台湾ボランティアデー」とし、自ら腕まくりしてボランティア活動に取り組んでいる。

普段は派手な服装でビンロウを売るジャッキー(左から二人目)も、休日は野良犬の世話をしている。
盛んになるボランティア活動
行政院主計処が4年ごとに発表している「台湾地区社会発展趨勢調査報告―社会参与」によると、99年の台湾の15歳以上のボランティアは214万人で参加率は13.31%、2003年には14.50%になり、1994年の7.6%から大幅に増えている(表1と表2を参照)。
しかし、多くの先進国では人口の4分の1以上がボランティア活動を行なっている。その割合は日本では25.3%、ドイツでは34%、アメリカでは55.5%に達する。
だが台北大学の公共行政・政策学科の陳金貴主任は、台湾も悲観する必要はないという。なぜなら、ボランティアの定義は国によって違うからだ。我が国では統計上の定義が厳格で、組織の訓練を受けた者しか認めないため、数字が低くなっているのである。
現在、台湾では3000の基金会と2万3000の社団がボランティアを訓練しているが、団体に属さない人も多く、その中にはシステムの整った慈済功徳会の100万人も含まれ、これらを合わせるとボランティア参加率は16%を超える。内政部が2000年に行なった「台湾省省民の社会福祉措置に対する意向」調査によると、25%の人がボランティアをしたことがあると答えている。

路竹会の医師たちが自費でアフリカまで無料診療に行くと、生活は苦しく医療資源も欠乏している現地の人々が診療に長い列を成す。医師は懸命に患者を診るが、こうした衝撃はなかなか忘れられるものではない。(路竹会提供)
世界とともに
ボランティアの人数や年齢の変化は大きくないが、その視野と内容は広がりつつある。近年は国際的なボランティア団体が国境を越えた活動をしており、旅行中にボランティアに参加したり、公益活動をレジャーとする人も増えてきた。
民間の非営利組織や個人のボランティアが世界との連携を強め、アジアのネットワーク・センターを形成するところも出てきた。台湾国際医療行動協会や台湾IAVE、それに中華民国赤十字総会やワールド・ビジョン台湾支部などである。
「台湾のボランティアの最大の変化は活動の国際化です」と陳金貴主任は言う。国際社会で中共の圧力に直面している台湾では、民間の非営利組織が台湾を代表して積極的に国際活動を行なっているのである。

インド洋の大津波は世界中に大きな衝撃をもたらした。我が国の中華レスキュー隊もすぐにタイの被災地に飛び、被災者の救出と捜索に取り組んだ。(中華捜救総隊提供)
心の呼びかけ
1991年から外交部国際合作発展基金会の努力によって、海外ボランティアの育成と派遣が始まり、これまでに158人がアフリカや中南米、カリブ海やアジア太平洋地域に派遣されてきた。
1978年生まれの張幸運さんもその一人だ。幼い頃に家が火事に遭った時、熟睡していた彼女は全く無傷だったことから、父親が彼女の名前を「幸運」に変えたのだそうだ。3年前、張幸運さんは国際合作発展基金会のボランティアとして、コスタリカ巡回医療団の一員になった。インディオの集落で医療活動を行なう傍ら、彼女は自分の時間を利用して集落に学校も作った。
中国語の名前は幸運、スペイン語の名前は「希望」という意味で、敬虔なクリスチャンの彼女は「心の呼びかけ」に従ってボランティアに参加したのだと言う。
内政部の2003年の調査によると、ボランティアをする人々の動機の6割近くは宗教信仰と人助けをしたいという思いからだ。キリスト教の奉仕の精神や中国伝統の「徳を積めば福が得られる」という考えが、長年にわたって人々を善行へと駆り立ててきた。台湾の田舎で橋を作り続ける「嘉邑行善団」のおじさんやおばさんたちも、徳を積めば災いが消えるという思いで、30年来、260もの橋を建ててきた。
宗教心や人助けをしたいという動機(表3を参照)は多いが、パナマの児童ケアセンターで働く孫嘉豪さんは「神秘的なマヤ文明への憧れ」が動機だった。ビンロウ売りの仕事から野良犬保護のボランティアへと転進したジャッキーさんは「犬の方が人より信頼できる」と思って参加した。軍を退役した76歳の張さんは、児童買春撲滅協会が「高齢でも構わない」と言ってくれたので、ボランティアでポルノ・サイトを監視している。一人ひとりが、それぞれの動機や縁からボランティアの列に加わっている。

リサイクルのためにゴミを分類する婦人たち。善い行ないをすれば報われるという観念があるため、台湾では昔から中高年女性がボランティアの主力となってきた。
荒野へと向う文明人
海外ボランティアの第一課は、恵まれた環境から歩み出て、苦難の荒野へと踏み込むことだ。
コスタリカは中米では最も豊かな国だが、張幸運さんが働くのは車も馬も行けない僻地の集落だ。ジープからカヌーや馬に乗り換え、さらに8時間も山道を歩くこともある。泥道や、腰の深さの急流を越えなければ行けない集落もある。実際に経験しなければ、原始の大地の危険を感じることはできない。
1995年創設の路竹医療サービス団は、定期的に台湾の山地でボランティアを行なってきたが、最近は海外へ活動の場を広げている。政局が不安定で、伝染病がはびこる地域に赴く彼らは、家族にはその危険性を隠しているが、家族のために高額の保険に入っている。
恵まれた生活をしてきた台湾人は、海外の劣悪な生活環境に衝撃を受け、人々の暮らしが成り立たないことに心を痛める。
7年の内戦を経験して国中が傷を負い、物資が欠乏しているリベリアで働く路竹会の施良鳳さんは、台湾の習慣通りに「1日3回、毎食後に」と薬を渡した時に、患者から「1日1食しか食べないのですが」と言われ、何と答えていいのか分からなかったという。
コスタリカの僻地にあるインディオの集落ではマラリアが流行していて、子供は5歳まで生き延びられれば、雨靴を履いて働き始める。
張幸運さんは患者の話を聞いたことがある。「その人は、一番近い診療所に来るために、腹痛をこらえながら8日も歩きました。診断の結果は盲腸炎でした」と言う。台湾にはダイエットのために大金をはたく人もいる。同じ人間なのに「どうしてこうも境遇が違うのか」と問わずにいられなかったそうだ。
こうした苦難に直面すると、自分の力のなさを感じる。短期間で任務を終え、現地の人々に別れを告げなければならないボランティアの場合、そうした思いはなおさら強い。

インド洋の大津波は世界中に大きな衝撃をもたらした。我が国の中華レスキュー隊もすぐにタイの被災地に飛び、被災者の救出と捜索に取り組んだ。(中華捜救総隊提供)
永遠に消えない事跡
だが、中には長期にわたるボランティア活動で現地に永遠の事跡を残す人もいる。
コスタリカの人口の1.7%を占めるインディオの多くは、公用語のスペイン語ができず、教育も受けていないため、外界とのコミュニケーションがとれず、商売で騙されることも多い。本来は医療サービスのために派遣された張幸運さんは、そうした状況を見て彼らの役に立つ方法はないかと考えた。
少しでも役に立ちたいと考える彼女は、現地の華人協会の支持を得て(これは彼女が2年間、週末に往復3時間かけて華人の子女に中国語を教えてきたからだ)、集落の長老の協力も得て、スペイン語とインディオの言葉ができる人を探した。そしてコミュニケーションのためのスペイン語と商売のための簡単な数学を教え、自らの文化も保存できるようにしたのである。こうして張さんは、学校を持たなかったインディオの人々の運命を変え、希望の明かりを灯したのである。
マヤ文明に憧れてパナマへ行った孫嘉豪さんは、一日の収入が1米ドル未満のシングル・ペアレント家庭の児童を預かるデイケア・センターでボランティアをしてきた。子供たちの学習意欲を高めるために、孫さんはネットを通して台湾にパソコンの寄付を求め、パソコン教室を設置して、ここで基本的な数学や理論を学ばせてきた。任期が終わって帰国した後は、青年成長協会を設立し、パソコン教室を維持するために後続のボランティアを探している。

パナマの児童デイケアセンターでの2年間、孫嘉豪さんは腕時計をつけず、ティッシュで口を拭くこともせず、貧しい家庭の子供たちと一体となった。(孫嘉豪提供)
専門性は3割、7割は思いやり
見ず知らずの国で自分の視野と能力を広げ、大きな貢献をすることこそボランティアの目標だ。だが、多くの人はボランティアの仕事に甘い幻想を抱いている。現地官僚の怠慢や住民の無知、資源の不足などに直面して不満を抱き、情熱を失ってしまう人も少なくない。
外交部国際合作発展基金会技術合作処の高小玲処長は「ボランティアの生活に適応できるのは、利己と利他の動機を結び付けられる人だ」と言う。自分のニーズや他者のニーズにこだわりすぎると、適応不良に陥りやすいが、リラックスして過大な期待をしない人ほど、楽しく使命を果たせるという。
長年にわたって厳しい生活環境に置かれてきた現地の人々にとって、ボランティアは贈り物を持ってくる見知らぬ人に過ぎない。そういう場で自分が「救済者」であるような態度に出ると、現地の人々の自尊心を傷つけるだけでなく、自らも挫折することになる。そのため、慈済会では救済の対象となる人々を、奉仕の機会をあたえてくれる「感恩戸」と呼び、インドの修道女はホームレスの人々の世話をするために、自らも清貧に務める。
現地の人々を尊重して、若い孫嘉豪さんも腕時計やブランド品を身につけず、ガムもかまないし、ティッシュで口を拭くこともしない。「現地の人々が贅沢だと思うことはしません。デイケアセンターの子供たちと近づきたいからです」と言う。
路竹会からマケドニアの難民キャンプに派遣された劉明顕さんは、次々と訪れる患者から、家族の行方が分からないことや、故郷に帰れない辛さなどを訴えられた。こうした心の傷を癒すのは食糧や薬ではなく、正面から受け止め、関心を寄せること、つまり「専門性は3割、7割は思いやり」だと言う。

ボランティア活動状況
生と死の境で
何かを人に与える立場に立った時、相手に対する思いやりと尊重、そして対等な関係を築くには、さまざまな配慮が必要になる。「自分が与えるものが、現地の人々が本当に求めているものなのかどうか、充分に考えてから行動する必要があります」と話すのは中華民国ボランティア協会の劉香梅秘書長だ。
インディオの集落に学校を建てる前、張幸運さんは、集落と外界を隔てている川に橋をかけようと思っていた。現状のままでは、徒歩で水に浸かりながら川を渡らなければ余所へ行けないし、インディオの女性たちが子供を高く掲げて川を渡るのはいかにも危険なため、同じくコロンビアに派遣されていた台湾栄工隊の力を借りて橋を作ろうと考えたのである。ところが、インディオの人々の答えは「ノー」だった。彼らは歩いて川を渡ることを苦労とは感じておらず、むしろ橋は醜いものだと感じていたのである
「現地の文化を知らない余所者として、自分の考えが正しいと思ってはならないことを初めて実感しました」と張幸運さんは言う。
張幸運さんは、コロンビアで出血性デング熱にかかり、生死の境をさまよったことがある。白血球が正常の1万から1000にまで下がったのだが、集落にいたために発病から3日目にようやく病院に行った。危険な状態だったため、国際合作発展基金会はチャーター便を出して彼女を台湾に搬送することも考えた。いつもは楽観的な彼女も、発疹で全身が真っ赤になった自分の姿を見て「これが善行の報いなのか」と涙を流したが、多くの人の祈りが功を奏して幸い大事には至らなかった。こうした苦しみを経たことで、張さんは、より一層インディオの人々に近づけたと言う。

年齢別ボランティア活動状況
無言の暖流
このような事例から、多くの人が国際ボランティアに注目するが、国内でも同じような物語が繰り広げられている。慈済会やワールド・ビジョンの働きかけで、多くの人が人助けをしたいと考えるようになってきたのである。
恵まれた環境に育った陳玉庭さんは、中学生になるまで母親に靴の紐を結んでもらっていた。家庭では「やった分だけ、何かが得られる」と教えられてきたが、大学卒業後に工場で働くようになり、毎日機械と向き合う生活に疑問を抱き始めた。そこで、家族に黙って創世基金会に入り、植物状態の人のホームヘルパーのボランティアを始めた。
陳さんは、週に2回患者の家を訪れている。植物状態の人が口を開いて礼を言うことはないが、マッサージをしてあげると表情が穏やかになり、身体がリラックスするのを見るだけで充分だという。汗まみれになってマッサージした後に、わざと「スポーツジムに行ったみたいだ」とおどけてみると、涙ぐんでいた患者の家族が笑みを見せたこともある。「辛い思いをしている家庭に少しでも明るさをもたらすことの喜びは、人と競争して業績を上げる喜びとは全く違います」と言う。

郷に入っては郷に従え。コスタリカの僻地にあるインディオの集落で、張幸運さんは現地の人々と同じように木造の家に住み、毎日三食バナナと豆ご飯を食べている。(張幸運提供)
善の心に火を灯す
ボランティアは人間性に深く関わり、国境を越える架け橋でもある。酬いを求めずに奉仕すれば人と人との信頼関係も生まれ、社会的犯罪を減らすこともできる。
1998年に週休二日制が実施されてから、台湾のサラリーマンの余暇は200時間余り増え、高齢化も重なって、教育を受けた中高年がボランティアに加わり始めた。
76歳の張さんは、児童買春撲滅協会のサイトweb547で市民からの告発を受ける窓口のボランティア150人余りを率いている。告発のあったサイトを監視し、資料を警察に送り、ポータルサイトや教育部にブラックリストを送る仕事だ。
「この年齢は最も時間があるとも言えるし、最も時間がないとも言えます。何かに力を発揮して晩年の生活に意義を持たせるのもいいものでしょう」と張さんは言う。
長年にわたり、ボランティアの主流は30〜45歳の主婦層で、全体の3分の1強を占めてきた。だが、かつてはサービスの対象だった中高年層や、比率の低かった若年層が社会の変化によりボランティアに加わり始めた。また、多くの人がボランティアを家族共同の活動へと発展させており、子供たちにも奉仕の観念を教えている。「ボランティア全国総動員」の時代が到来したのである。
車が激しく行き交う交差点では、ボランティアの母親たちが道を渡る小学生を見守る。火災が起きれば、日頃は私たちと同じ忙しいサラリーマンのボランティア消防団が、火災現場に駆けつけて命がけで火と戦う。タクシーの運転手も、腎臓透析の必要な患者のために無料で送り迎えする。ハイテク技術者は防塵服を脱ぎ、台中の国立自然科学博物館まで出かけて専門性の高い解説員のボランティアをする。リタイアした元校長先生も、図書館で一冊ずつ本を書架に戻している。
長い歳月をかけて人類の技術や文明は発展し、国家体制や社会も変ってきた。しかし善の追求が止まったことはない。かつて人々は良い報いを得るために人を助け、隣近所で助け合ったが、こうした観念がボランティアという形で現代社会に再現されつつある。これは決して古い観念ではなく、人類の永遠の責任であり希望でもあるからだ。

マッサージをすると植物状態の患者の表情も穏やかになるのが陳玉庭さんの何よりの喜びだ。
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ボランティア関連のホームページ
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内政部ボランティア情報ネット |
vol.moi.gov.tw/default.aspx?NO=2 |
ボランティアに関する |
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台湾公益情報センター |
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ボランティア情報プラ |
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青年輔導委員会ボランティアネット |
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青年ボランティア学習 |
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ボランティア訓練計画 |
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創世基金会植 |
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植物状態の人の |
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ボランティア活動の動機

1996年、慈済国際人医会はフィリピンで無料診療を行ない、3日間で1500名の貧しい患者を診た。写真はこの時に白内障の手術を受けた患者たちだ。(慈済基金会提供)

「南アジアに愛を届け、苦難をともに」という証厳法師の働きかけで、慈済会のボランティアは街頭に立ち、頭を下げて募金活動を行なった。多くの善意を集めて台湾のボランティアの情熱と力が最大限に発揮されている。