1953年に人類が初登頂に成功すると、エベレストとシェルパが世界中に知られるようになった。当時、ネパールのシェルパ族は、まだ原始的で素朴な農業と遊牧の暮らしをしていた。
1953年から現在までわずか67年だが、その間に世界中から観光客やNGOがここを訪れるようになり、シェルパの人々は観光産業に依存して暮らしを立てるようになった。彼らの収入と暮らしは改善されたが、独自の文化は次々と失われていった。
500年前、シェルパ族は戦乱を避け、50人ほどのグループで現在の四川省カンゼ・チベット族自治州からラサへ逃れた。たくさんのヤクを連れ、神聖かつ平和な地で穏やかに暮らすためだ。
しかし1531~33年、ラサはイスラムの大軍に包囲され、彼らは再び戦乱を逃れて現在の中国とネパールの国境にあるティングリに移った。しかしヤクの群れが高山の作物を破壊してしまうため、現地住民との衝突も頻繁に生じた。
その50名のシェルパの中のKira Gombu Dojeという狩人が、山の中でヒマラヤジャコウジカを見つけ、猟犬とともに追った。するとそのジャコウジカは彼らに険峻な山々を越えさせ、クンブ(Khumbu)という修行の浄土まで連れて行ったのである。
現在に至っても、シェルパの人々はかつてのジャコウジカこそ現地の山の神Khumbu Yül-Lhaの化身で、シェルパをネパールへと導いてくれたのだと信じている。これは、クンブというシェルパの村の名の由来でもある。
シェルパ族はチベット仏教の敬虔な信者で、その文化において宗教は極めて重要な位置を占めている。クンブに伝わるチベット仏教経典によると、クンブ地方はチベットおよびヒマラヤ一帯にある108の聖地の一つなのである。
シェルパの伝説によると、チベット密教の開祖であるパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)は、遠くチベットからナンパ・ラを経てクンブに入り、鐘形の巨大な洞窟に飛び込んで修行したとされている。
現地の人々はパドマサンバヴァを深く崇敬していて、心を込めてお世話をした。修行が終了してここを離れる前、パドマサンバヴァは村民たちにどんな贈り物が欲しいか、こう尋ねたという。「あなたたちは、私があなたたちの国に知慧に満ちた仏塔を贈ることを望むか、それとも私の神通力をもって高山と雪によりこの浄土を守ることを望むか」と。すると地元の人々は、この浄土を守ることを選んだ。
経典によると、かつてパドマサンバヴァはクンブの崖にある多数の洞窟で修行をしており、写真の洞窟もその一つである。それから400年、数えきれないほどのラマやリンポチェがこの地で修行をしてきた。
雨季は、シェルパにとって観光産業のシーズンオフである。観光客が来ないこの季節は、多くの家庭が一家団欒を楽しむ時期であり、またこの時期にだけ、シェルパ族の本来の暮らしを垣間見ることができる。
毎年6月から8月、シェルパの人々は特に忙しい。この雨季の間に二つの特別な祭りがあるからだ。ひとつは最も重要なドゥムジ祭りで、400年余り前のパドマサンバヴァの生誕を祝う日である。チベット歴の毎年5月10日、西暦の6月末から7月初旬に行なわれる。
ドゥムジ祭りには非常に複雑な儀式がある。さまざまな金剛舞いが披露され、その合間には楽しい雰囲気の「長寿の神」ミ・ツェリンの舞いがある。そして神霊の面をつけたラマ僧が、災厄や邪霊を象徴する的に火のついた矢を放ち、一年の悪運を焼き尽くす。
最も感動させられるのは、この日は老若男女、信仰や民族、身分や貴賤を問わず、すべての人が平等に扱われることだ。皆がともに祈り、一緒に食事をし、一緒に祭りのために働く。誰もが謙虚であることを学び、秩序と礼儀を守って進められる。
シェルパは登山者のガイドであるだけではない。シェルパの郷はヒマラヤの礼の邦なのである。
エベレスト登頂のベースキャンプ。ここから危険なクーンブ・アイスフォールを経て第二ベースへと出発する前、アイスフォールドクターと呼ばれるベテランシェルパが祈りを捧げる。
パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)がかつて修行したとされる洞窟からの眺め。400年前は見渡す限りの荒野だったが、信仰の関係で少しずつ住民が増え、今では三つの村が形成されている。
この6歳の子供がタミ村のリンポチェの生まれ変わり、Nawang Tsering Dodubリンポチェだ。(李安峰撮影)
右はシェルパの郷クンブの守り神Khumbila(Khumbu Yül-Lha)。(李安峰撮影)
中央に座っているのは長寿の神ミ・ツェリン。ドゥムジ祭りの儀式の中で常に参加者の笑いを誘う。この神につかまっていたずらをされた者は祝福と長寿が得られるとされている。(李安峰撮影)
タンボチェ寺院のナワン・テンジン・ザンポ・リンポチェ(右)は輿に乗り、三日三晩をかけて山を越え、ターメ・リンポチェの生まれ変わりと認定されたNwang Shedrup Sherpaリンポチェのために儀式を執り行った。(李安峰撮影)