
「かつて彼らは親に手を引かれる子供でした。が、今は親には背負えない老いた子供になっています」
少子化、高齢化が進む台湾では知的障害者も同様の問題に直面する。彼らも加齢とともに行動の敏捷性を失い、足元もおぼつかなくなってくる。そして彼らの親も高齢化し、あの世に旅立つ前に最も気がかりなのが、面倒を見続けてきた子供のことだ。知的障害者の多くの親にとって「子供より1日でも長く生きたい」というのが、ささやかで切実な望みなのだ。
障害者と親の両方が高齢化した「老老家庭」はかつてない危機に直面している。一刻の猶予も許されない社会福祉問題であり、政策による援助を必要としている。
新北市のある路地裏にたたずむ古いアパート、開け放たれた玄関のドアから1階の薄暗く狭い居間に日が差す。85歳になる古さんと家族がテレビの前に黙りこくって座り、その静けさをテレビの笑い声が破る。
古さんは、1949年に国民政府の撤退にともない台湾にやって来た兵士だった。33年前に中度知的障害のある妻と結婚、生まれた4人の子供もそれぞれ中度、最重度の知的障害を持ち、脳性麻痺を併発した子供たちはほとんど話ができず、自分で身の回りのこともできず、歩くことすら困難を伴う。
低所得障害者手当てと高齢者手当てを合計した3万元ほどが古家の1ヵ月の収入すべてだ。毎日、古さんと妻で簡単な食事を作り、51歳になる妻が食後に子供一人一人を風呂に入れるほか、あとは家族全員がテレビの前で時を過ごす。来る日も来る日も、声のない薄暗い家でこうしてともに老いてきた。
古さんは故郷の広東訛りを交えて語ってくれた。去年のある日、30歳の長男「阿強(仮名)」を自転車に載せて近所の雑貨屋へ行った際、ふと気づくと阿強がいなくなっており、足が棒になるまで探したが見つからなかった。2日間探し回ってやっと近くの駅の待合室にいるのを見つけたという。
かたわらのソーシャルワーカーがこう尋ねた。長年家族の世話をし続けてきて、妻や子供を施設に入れようと考えたことはなかったのかと。古さんは首を大きく振り、「どんなことがあっても自分の家族だから、一家がいっしょにいられて、無事に暮らせればそれでいい」と答えた。数十年間「お父さん」と子供に呼ばれたことはなくても、やはり血肉を分けた親子の絆は断ち難い。

訪ねてきたソーシャルワーカーに思い切り甘える。知的障害者も思いやりと友情を求めている。
政府の統計によれば、台湾には現在15万人の知的障害者がおり、そのうち45歳以上が2万9000人と5分の1近くを占め、しかも年々増加し続けている。
研究によれば、知的障害者は先天的に、脳性麻痺や癲癇、精神障害などほかの疾病をともなうことが多く、生理機能の衰退によって一般の人より20年早く老化が進み、35歳で老化が始まり、45歳で老人となる。「45歳なのに知能指数が5歳程度で、身体能力は65歳程度に下がっています」と中華民国知的障害者保護者総会副主任である劉佳琪;さんは説明する。
第一社会福利基金会のケースワーカーである陳芷;萱さんによれば、「老老家庭」の親は70〜80歳が多く、伝統的な社会観念や周囲の視線が原因で、知的障害の子を家に閉じ込め、外部の協力を求めないことがよくある。学歴が低く、情報を得るすべのない親であれば、頼るのは自分たちだけ、そうして苦労に耐えてきた。
中正大學社会福利科の王国羽教授の研究によれば、高齢知的障害者の93%が家で家族の世話を受けながら暮らしており、施設に入るケースは7%にしか過ぎない。また、重度障害者の世話には1日平均15.77時間必要だという。つまり睡眠時間以外はほとんどが世話に追われ、休む暇もない。
多くの親が子供の世話はしっかりやるのに自分の健康は忘れがちで、年をとると「愛の重荷」を背負いきれなくなる。だが子供の世話に終りはないし、ほかの子に押し付けるわけにもいかないので、将来に怯えながら毎日をやっとの思いで過ごしている。
悲劇も多く耳にする。員林に住む80歳の父親は、自分の亡き後、子供の面倒を見る人がいないのを憂い、まだ動けるうちにと38歳の知的障害のある子供を殺して自分も自殺した。或いは、母と知的障害者の息子とが寄り添うように暮らしていたが、母が亡くなっても子供は気づかないままだった。子供の最期をきちんと看取ってから死にたいと、子が自分より早く死ぬことをこっそり願っている親も少なくないという。

年老いた親が必要としているのは、中年になった知的障害の子供が安全に生活できる施設である。
中華民国知的障害者保護者総会は5年前から「中高年齢知的障害者家庭のための準備及びサポート・サービス」を推進してきた。台湾では知的障害者を「憨;児」などと呼ぶが、同会は「憨;」の字を上下に分けて同サービスを「救敢心公益募金計画」と名づけ、宜蘭蘭智社会福利基金会や嘉義聖心教養院など33の社会福祉団体と協力し、知的障害者のいる家庭をサポートしてきた。現在までで1000を超える家庭を訪れている。
同会の劉佳琪;さんによれば、障害者とその家族が直面する問題は、子供の加齢にともない、より複雑化、重度化しており、サポートも医療やケアだけでなく、経済問題や将来の計画、生活の質など多岐にわたると言う。例えば、一家に複数の障害者がいて、外国人のお嫁さんをもらったとなれば、彼女が産む子供の世話なども加わって、問題もより複雑になる。
したがって、ソーシャルワーカーが各家庭に応じたサービスを見積もることが必要で、それに伴う補助申請や、緊急一時保護、在宅ケア、迷子対策用リストバンド、救援ホットライン、食事宅配、法律相談といった外部支援とのコンタクトも手配する。また専門的な精神的サポートを与えながら、今後の日々にともに向き合うのである。
同会がケアしたあるケースを紹介しよう。中年になる重度障害の阿莉さん(仮名)は、家族が服を着替えさせるたびに大きく抵抗し、胸のところで服を引き裂いて裸で過ごそうとする。ワーカーが付き添って医者に診せたところ、当初は精神障害による情緒不安と思われていたのが、阿莉さんが泣くだけでどこが痛いとも言えないことから様々な検査をし、ついには乳癌を患っていることがわかり、すぐさま治療が開始された。
中度知的障害の阿光さん(仮名)の場合、遠方の親戚に「仕事を探してあげるから」と騙されて身分証を持って行かれ、阿光さんの名義で会社を3社も作って脱税に利用された。阿光さんは1000万元を超える追徴金を科せられたが、無料法律サービスを受け、彼には判断能力がないとして後見人を申請し、法的責任を免れた。
同会によるケア最高記録を持つ家庭は、家族13人全員が知的障害者で、そのうち最高齢者は92歳、外部に助けを求める能力はまったくなかった。こうした例はいずれも、ケアの必要な家庭を探そうとワーカーが地域に足を運び、見つかるのである。

長年にわたって一人で知的障害の子供を育ててきた85歳の父親。社会からの支援が求められる。
老いてきた知的障害者には専門的なケアが必要だが、台湾は深刻な施設不足で、これが「老老家庭」にとって大きな問題となっている。
今年48歳の瑞瑞さん(仮名)は出生時にダウン症と診断された。30年前に重度知的障害児の教育訓練を主旨とした第一社会福利基金会が設立したばかりの頃、同会で教師による辛抱強い指導を受け、自分の身の回りの世話や一人での登下校を徐々に学び、同会で調理クラスの調理長も務めたこともある。
だが加齢とともに、反射神経や体力が急速に衰え、歩行も安定せずたびたび転ぶようになり、車椅子が必要となった。瑞瑞さんの母が7年前に亡くなった後は80歳になる父親がつきっきりで彼の面倒を見ている。
今年5月、瑞瑞さんは第一基金会が設立した「象山グループホーム」に移り住んだ。昼間は付設の「永愛発展センター」で生活訓練や技能学習をプログラムに参加、午後4時になるとグループホームに戻り、週末だけ父が迎えに来て家に帰る。
早くから児童療育を主に行ってきた第一基金会はケア対象を成人に広げた。老いてきた知的障害者とその家族のニーズに応えるため、そして元の施設が老朽化して狭くバリアフリーなどの設備も整え難いことから、信義路五段に新たな施設を建設すべく何年も前から寄付を募って準備をしてきた。それがデイケアと宿泊を結びつけた「第一家園」で、2009年に完成、運営が始まった。
15歳以上の中、重度、最重度知的障害者は申請して順番を待てば入居できる。日間の発展センターは月1万4700元、グループホームは9800元、世帯収入と障害レベルによって25〜100%の費用免除がある。現在、象山グループホームには18人の知的障害者が暮らし、平均して1名の職員が4名の障害者を指導・ケアする。
台湾では第一基金会のほかに、心路基金会や仁愛啓智センター、徳蘭啓智センターなど、30の社会福祉団体などで同様の「地域居住型」ケアサービスが行われている。
第一基金会の事務局長である頼美智さんによれば、象山グループホームには三つの小家庭があり、それぞれがリビングと2〜3室の寝室を持つ。普段の家庭での暮らしに近い状態で自分の身の回りの世話ができるよう訓練を受け、またプロの教師が一日中ついていることで、家庭らしい温かさと行き届いたケアの両方を受けられるようになっている。
瑞瑞さんのお父さんによれば、先生は瑞瑞さんがベッドから落ちないよう、そばの床に布団を敷いて寝てくれることもあるという。瑞瑞さんは週末家で寝ている時も、寝言で先生の名を呼ぶほどで、その細やかなケアのおかげで、お父さんの負担はずいぶん軽くなっている。
だが、すべてが瑞瑞さんのように幸運なわけではない。ベッド数が需要に追いつかず、すがる思いで順番を待っている親は多い。現在台湾に279ある養護施設では、心身障害者の1割しか収容できない。とりわけ高齢知的障害者にはより多くの医療とケア人員のコストがかかるため、どの施設も受け入れてくれるとは限らない。

夕食後、手分けして食器洗いや片付けを済ませる。グループホームの生活を通して自分で身の周りことをする能力が培われる。
人口の多い台北は知的障害者が最も多いが(約4万人)、他地域より施設が少なく、どの施設も入所待ちリストがずらりと続き、いつ入れるのかわからないほどだ。中南部の施設は年老いた親にとって面会に行くのも大変で、都会との医療資源の差もあり、気が進まない。
頼美智さんによれば、欧米や日本などの先進国では1990年代末にはすでに大型施設は徐々に閉鎖され、小規模な家庭的宿泊方式への変換が進んだ。こうしたケアサービスは「老老家庭」にとって今すぐにでも必要なものだ。だが社会福祉団体など民間の力では土地購入・施設建設も困難を極め、政府の支援が必要である。
頼さんは香港の例を挙げる。香港では障害者手帳システムがないので、障害者や家族は政府機関に赴いて登録し、ケアサービスを紹介してもらわなければならない。だが、政府は登録者数から地域ごとの需要数を推計して施設を建設しているため、需要と供給のバランスが取れている。
しかも台湾の法規では養護施設の教員は、専科学校や大学の看護医療やソーシャルワーク、教育などの学科で幼児教育教員資格を取得していなければならない。だが、成年障害者のケアは仕事がきつく、やりたがる人が少なくて、どの施設でも応募者がいないのが悩みだ。
頼さんはこう提案する。日本のように政府による養成機関を作り、一定期間のコースを終了して試験に合格すれば学歴に関係なく資格を取得できるようにすれば、人手不足の解消になるだろう。

グループ生活では健康維持を非常に重視する。規則正しい生活や定期的な運動の他、歯磨きにも手を貸してくれ、生活習慣病を予防している。
今年7月の「社会救助法」改正で、最低生活費の計算方法が修正されて中低所得世帯が増えたことになり、同時に貧困線も高められ(9829元から1万244元に)、台湾全土でさらに54万人が恩恵を受けることになる。
ただし、ケアの第一線にいる第一基金会の陳芷;萱さんは、低所得者補助を現行の申請制から自動発給制に変えるべきだと訴える。現行の申請手続きは、多くの書類準備に奔走し、各機関の認証を受けるなど、弱者家庭にとって煩雑すぎる。法規にうとい地域の公務員がよく調べもせず却下することもあり、申請者は「資格がないのだ」とあきらめ、廃品回収などで得るわずかな収入で暮らすことになる。
劉さんは、台湾では身体障害者、高齢者、特殊支援教育など領域ごとに福祉が別々に行われ、統合的な「シームレスサービス」になっていないと感じている。また、ケアを受ける側とケアする側を分けるのではなく、「家庭」を一単位としたケアが行われるべきだと考える。
例えば、知的障害者は学校に通う間は特殊支援教育を受けられるが、卒業してしまうと行く所がなくなる。成人した知的障害者をデイケア・センターに預けたくても、孤軍奮闘の親は、家から通えそうな施設がどこにあるのか、どこに空きがあるのか、といった情報が得られない。或いは親が死ぬと、知的障害者は地域で孤立無援の状態になる。つまり福祉ケアがつながっていない。
知的障害者保護者総会による「救敢心」計画が進められて5年、当初は「来年になっても来てくれるのですか」と家族に聞かれることが多かった。なぜなら、それまで福祉政策は年度制で、その年度の補助が終わるとケアも途絶えてしまうことが多かったからだ。だが今では民間の募金活動により、家族らも孤独に闘う必要はない。
生涯の安心家族の負担を軽減し、悲劇の再演をなくすため、知的障害者保護者総会は近年、各地に60に上る「放手放心団体」という組織を立ち上げ、知的障害者の家族に将来の生活設計やケアに関する情報を提供している。また臨時のケア・サービスも提供し、その間に家族には講演などを聞いてもらい、障害者にとっては新たな友人と知り合うなど、社交的空間を設けている。
現在、第一基金会による三つのグループホーム(象山、楓橋、三興)には100名の知的障害者が暮らしているが、今後5年内にグループホームを二つ増やしてさらに60名を収容する計画だ。現在の予算は、政府の補助と宿泊費支払いによるものが60%、基金会経営のパン屋と家事清掃サービスによる収入が20%、寄付金が20%である。今後新たにグループホームが設立されると、建物や人員の確保はすでに目途がついているとはいえ、運営資金としてさらに500〜600万元の寄付金が必要と推計されており、社会からの更なる助けを求めている。
瑞瑞さんの生い立ちなどを語りながら、お父さんは誇らしげに「いずれにせよ、神様が私にくださった子供です」と言いながら、目を赤くした。
どの子供も親にとっては一生、気にかかる存在だ。知的障害者の家族の心配は、彼らだけで背負うべきものではなく、政府や民間の力を合わせてこそ、誰もが生涯安心できる「家」の実現が可能になる。