ダンスに垣根はない
インドネシア舞踊の精神を問うと、張婉昭はふと笑って言った。「それは大きな問題です」
ジャワ舞踊は単なるダンスと言うよりは、人生哲学を含み、あらゆる命、あらゆる神といった天地の万物をどう見るかを学ぶものだからだ。またバリ舞踊は、ほとんどが宗教儀式で、舞踊の前に祈りを捧げる。その瞬間、踊り手がどこの出身で何を信仰するかに関わらず、よろずの神に対し敬虔に心を捧げることになる。
張婉昭はかつて先輩と、キリスト教をテーマにしたダンスを作った。張はクリスチャンではなく、神のイメージも曖昧だ。だがダンスが終わると、多くの人が泣いていた。それは宗教やダンスゆえでなく、おそらく皆で一つの目標に向かったことが皆を結び付け、「私たちはいっしょだ」という感動を生んだのだと彼女は感じた。
彼女はこう言う。演劇と比べ、ダンスは抽象的だからこそ、感情の核心に迫り、より深い感動を生む。ダンスは本能だ。文字の生まれる前から人間は踊っていた。だから自分はこの本能を取り戻し、深い感動や、人と人との結びつきを求め、人種の垣根を取り除きたい。だがそれは強いるわけでなく、心をこめていざなうだけだ。ともに体験し、舞を通して美しい文化を知ってほしいと。
それが使命でしょうと問うと、「いえ、それだけではありません」と彼女は瞳を輝かせた。「私がやりたいのは、観衆に衝撃を与え、疑問を持ってもらえるような、その後に事物を見る角度が変わるようなものです。それが私の使命です」
舞台に立つ張婉昭は美しく、すべての舞を天地と四方に捧げる敬虔な心に満ちている。