皇珵醤油:醤油のため大豆栽培
南へと足を運び、台湾最南端の屏東県へやってきた。内埔は、醤油大手「萬家香」や、屏東科技大学が開発した減塩醤油の産地として知られる。内埔の反対方面にある新園には、2015年に創業し、確かな技術力で急速に頭角を現した「皇珵醤油」がある。食材の専門家・徐仲さんも「この醤油には心を奪われた」と語るほどだ。
多くの醤油醸造所が代々受け継がれてきた家業であるのに対し、皇珵醤油の創業者・簡志斌さんは異色の経歴を持つ。もともと電子産業に身を置いていたが、大きな転機を迎え、故郷に戻る決意をした。理由はシンプルで、一つは家族と過ごす時間を大切にしたかったこと、もう一つは自らの事業を築き上げたいという願望からだった。
萬丹から移転したばかりの新園の工場を歩くと、広々とした屋外には醸造用の甕が並んでいる。工場は清潔に保たれ、自動蒸豆機や圧搾機が整然と並び、製麹室や瓶詰め室も完備されている。さらに、近隣の萬丹には、合計6~7ヘクタールにも及ぶ農地を借り受けており、これも事業の一環として運営されている。
伝統の枠にとらわれない皇珵醤油は、科学的なアプローチを取り入れるだけでなく、原料からすべてを自社で管理する極めて珍しい一貫生産の形をとっている。あらゆる工程を自ら手がけることを好む簡さんは、自ら田畑に立ち、農作業に費やす時間は全体の6割にも及ぶ。品種の知的財産権の制約を克服するため、新たに「皇珵1号」「皇珵2号」という豆の独自品種まで開発した。さらには、麹菌の培養や繁殖まで他人に頼ることなく、自ら管理するという徹底ぶりだ。
醤油造りの複雑な工程の中で、簡さんが最もこだわるのが「原料」だ。これは、もともと酒造に関心を持っていたことが影響しているのかもしれないと語る簡さん。「ブドウの品種が異なれば、ワインの味わいも大きく変わります。醤油も同じで、原料の違いが風味の土台を決定づけるんです。醤油造りの三大要素『原料・製麹・時間』で、最も重要なのは原料だと私は考えています」
簡さんと妻の蘇家秀さんは、夫婦そろって原料へのこだわりを熱く語る。自社栽培の大豆は、何よりも鮮度が抜群だ。また、創業当時、有機や環境に配慮した大豆は市場にほとんど流通しておらず、コストも高かった。そこで二人は「原料の自主権」を確立すべく、自ら農業に乗り出した。
「原料と醸造技術、この二つを両輪として進めてこそ独自性があり、地域の風土を映し出す醤油が生まれるのです」という言葉を体現するように、皇珵醤油は日本醤油協会の基準に準じた分類を採用し、濃口・淡口・白醤油・溜醤油、そして黒豆醤油などを展開し、それぞれ、異なる原料の組み合わせにより個性的な風味を生み出している。
伝統的な味の再現にとどまらず、新たな風味への挑戦も怠らない。まさに、蘇さんが語るように「伝統と革新の十字路に立っている」のだ。そして、その要となるのが小さな大豆だ。醤油の原点であるだけでなく、醤油造りの初心を象徴する存在となっているのだ。

萬豊醤油三代目‧呉国賓さん:「醤油の風味は『製麹(麹造り)』が主体、『煮醤(火入れ)』は補助的なものです」

御鼎興は、さまざまな調合によりそれぞれの特徴を際立たせ、現代人が使いやすいような商品を開発した。

もろみをすくい取ると、濃厚な汁が染み出る。熟成醤油の最も濃い部分、一滴一滴が貴重な「壺底油」だ。

麹菌が順調に育った豆麹は、醤油の重要な風味の源となる。

萬豊醤油の甕置き場は川沿いにある。豊かな湿気が醤油甕の水分の蒸発を防ぎ、草地が温度を調整する役割を果たしている。これにより、醸造に適した微気候が生まれる。

実験好きな呉国賓さんは、一般的な黒豆醤油だけでなく、ローズ、馬告(台湾原生スパイス)、ハーブなどを加えた醤油の開発にも挑戦しており、デザートにも使える新たな風味を生み出している。

皇珵醤油の創業者‧簡志斌さん:「醤油造りにおいて最も重要なのは原料です」

農業にますます関心を持つようになった簡志斌さんは、品種改良の楽しさに魅了され、自ら栽培する香り米「高雄147」は、かつてチャンピオン米の称号を獲得し、美味しさを評価する食味値で80点以上を記録した。

簡志斌さんは、自ら酵母菌‧乳酸菌‧麹菌を培養し、それぞれの菌の特性を活かして原料と組み合わせ、最適な製麹(麹造り)をおこなう。写真は、醤油甕に仕込まれる前の豆麹。表面に黄緑色の胞子がびっしりと付着している。

皇珵醤油では、原料の種類によって商品を分類している。

蘇家秀さん(左)によると、「皇」は極致を意味し、「珵」は古代の穀物輸送官が身につけた玉飾りを指すという。皇珵醤油では科学的なアプローチを取り入れ、醤油の技術を極致まで高めることを目指している。