豊作を祝い春を迎える
ホーリー祭の起源には諸説ある。台湾夢想インド博物館の呉徳朗館長によると、そのうちの一説では、ヴィシュヌ神の分身の一つクリシュナ神はいたずら好きで、羊飼い娘に色鮮やかな粉をふりかけて戯れていたのが、千年の後にインド固有の習俗となったという。
インドで最も知られた伝説は、有名な叙事詩マハーラバータに記載されている。伝説によると、ある国のヒラニヤカシプ王は梵天の加護を受けて不死の身となったが、生まれつき傲慢で残虐な性格で、民には王への崇拝を強要し、ヴィシュヌ神への崇拝を禁じた。
その息子のプラフラーダは敬虔なヴィシュヌ神の信徒で、国王はこれを憎み、これを殺そうと試みた。そして最後には、火を恐れぬ妹のホリカに王子を抱きかかえて火に飛び込ませた。ところが王子は無事で、ホリカが燃えて灰になってしまった。人々は王子の無事を祝い、王子に七色の粉や水を振りかけ、その勇気と信念を称えた。
馬友友インディアン・キッチンのシェフ馬友友によると、インド南部では春の最初の日にホーリー祭で祝うという。色彩の乏しい冬が終わり、大地万物が復活し、花開く暖かい春の到来を意味するが、また新しい年の豊作を祈る意味もある。とくに稲の収穫が終った田に花を植え、様々な色の花を天然の色彩として、ホーリー祭を祝う。そこでホーリー祭をインドの春の祭ともいう。
その由来はともかく、ホーリー祭の日にはインドの伝統音楽を流し、大人も子供もドーラクの太鼓のリズムに乗って歌い踊る。街にでて七色の粉を相手の額に塗って祝福し、さらに頭から足まで直接粉をかけあって、いたるところに不思議なカラフルな世界が出現する。空気にも華やかな粉が漂い、いたずらっ子たちは水に溶いて、バケツや水鉄砲で会う人ごとに攻撃する。
ホーリー祭はインド伝統の祭典で、すでに千年近い歴史があり、またインド人留学生や移民と共に世界に伝わり、国際的な祭りとなった。
台湾に来て30年余り、台北インド人協会の会長Vijay Kapadiaによると、台湾でのホーリー祭実施の歴史は古く、インドの人々は毎年ディーワーリーとホーリー祭を祝うという。