姚瑞中を台湾現代芸術の盛期を象徴する人物と言っても、言いすぎではないだろう。
姚瑞中はポスト戒厳令時代のトップランナーだが、また文筆家、教師、キュレーター、画廊経営者などの役割を兼ね、台湾美術界の活力を代表する。
姚瑞中は、1994年にまずインスタレーション作品「本土占領行動」で頭角を現し、諧謔的な目で台湾の歴史を凝視し、戒厳令解除時代の哀傷と一線を画した。その作品は歴史に深く連なり、芸術創作と著作の二つを軸に巨大な権力体制や伝統的芸術の権威の逆転を試みる。
2007年にはスコットランドのアーティストビレッジで、姚瑞中は劇的な転機を迎える。写真とインスタレーションを主としていた姚瑞中は、評論家呉介祥が前例のないオリジナリティと評する手法を生み出した。万年筆やボールペン、金箔など、非伝統的な画材を用い、ごく細い線を重ねて水墨画のにじみや濃淡の変化を表し、偽山水の芸術を作り上げたのである。
この手法により、今年4月には新作「甜蜜蜜」シリーズを発表、これは叙事的自伝を加えて、宋代の名品「谿山行旅図」など伝統絵画を真似つつ、まったく新しい画風に作り変えたもので、ここに新しいスタイルを確立しつつある。
旧正月が過ぎた頃、台北市東区に位置する姚瑞中のアトリエを訪ねた。約束の時間は過ぎていたが、遠くに「怒りの青年」を自称する姚瑞中が父の優しい表情を見せ、疲れた様子で子供を抱いている。
「夕べ、子供が具合が悪くなって、今からタクシーを呼んで母親に病院に連れて行かせるところです」と、姚瑞中は子供をあやしながら説明する。
1969年生まれの姚瑞中は、父となってから創作の黄金期に入った。旧正月の期間、大晦日でも徹夜で創作に没頭していた。マンション最上階のアトリエでは、モカと言う名のロシアンブルーの猫が出迎えてくれた。部屋には徹夜の痕跡が残る。
アトリエで、新作を広げて説明する。「甜蜜蜜」シリーズでは、現代人の悦楽図を大きな山水に融合させると言う。中でも「小山水非死不可」は、姚瑞中がしばしば描くシニカルな犬儒者が一人、峰々の間に端座する。大自然の壮麗な中にあり、この人物はiPadを使ってフェイスブックに夢中である。大きな山水の中にあって、画面のごく小さな人物の外部とのコミュニケーションに焦る執念がフォーカスされている。画題の非死不可の音でさえ、フェイスブックから取られている。
「青風船」はさらに、宋代の山水画の名手范寛の構図を真似る。巨幅の山水画の右下角に姚瑞中が妻子を連れて散歩し、子供の風船が手を離れ、画面の上方に漂う。しかし水墨画の静謐な雰囲気とは異なり、ここには硬い線と金箔が画面を埋め尽くし、見るものに直接華麗な欲望を訴えかけている。

「忘徳賦」は画材もテーマも伝統の中国絵画のそれを覆す手法だ。友人と麻雀に興じる自分を描いた「ツモであがり」は新と旧が入り乱れる衝突感に満ちている。
歴史の正当性への反逆
彰化師範大学美術学科の呉介祥助教授によると、姚瑞中の山水画は「記号操作がイメージ形成を超えて、修業に近い模写テクニックが、本来奔放で混沌とした芸術家の内心を収斂させますが、かといって姚瑞中の挑発性が自己訓練で飼いならされるわけでもありません」となる。
姚瑞中は外省人の政治家一族に生れた。父は元台湾省議員で水墨画家の姚冬声、政府と共に台湾に移ってきたこの弁護士は、59歳になってようやく儲けた一子を溺愛した。
姚瑞中の家には小さい頃から政界の大物が出入りし、興が乗ると揮毫を始め、書を贈りあった。当時の姚瑞中は、こういった文人伝統の芸術の応酬を「時代遅れの役人の遊びで、あまりに不純」と思っていた。
父は姚瑞中が19歳で世を去ったが、小さい頃から世の栄華を見てきた彼は、息子が父に抱く反抗心を歴史に投影していた。1994年に国立芸術学院(現在の台北芸術大学)を卒業し、3年後に台湾を代表してベネチアのビエンナーレに参加し、インスタレーションの「本土占領行動」で、台湾の主体性を問うた。
写真、便器、犬のケージや船舶、青いライトなどの素材で構成された作品だが、もっと話題を呼んだのが写真だった。これは犬のマーキングを真似て、オランダ、スペイン、鄭成功、清朝、日本、国民党政府の台湾上陸地点を示す歴史的場所で、裸体の自分が小便する写真を撮り、台湾占領を示したものである。
歴史を風刺的に諧謔で見る態度が、台湾の美術界の注目を集めた。その後、「反攻大陸行動」「天下為公行動」の行動三部曲で、台湾近代史のターニングポイントを皮肉った。
「中華文明は何事も正統性を重んじますが、それならと思うのです。台湾には故宮があって中華文化の精髄を集めているが、統治権は中国の殆どに及んでいません。これが正統なのでしょうか」と反問する。
姚瑞中自身の家庭環境でも、父には中国に正夫人、第二夫人がいて、台湾でまた母を妻にした。「それが政治の現実とはいえ、中国の価値観でいえば妾でしょう。台湾では妾は苛められ耐え忍ぶ存在ですが、正夫人として遇されていました。可笑しいでしょう。歴史に対しても独自の角度で、マーキングしてみたんですよ」と笑う。

『小山水非死不可』は、静かな山中に端坐していてもフェイスブックに熱中する現代人を揶揄した作品。右下は一部の拡大図。
芸術家が直感的直情的で、飛躍的な思考を辿るのに対して、姚瑞中の最大の相違は著述にある。しかも膨大で系統的な現代美術史をものする。
2002年に出版した『台湾インスタレーション藝術』は500ページに及ぶカラー大作で、台湾のインスタレーション芸術を論じた専門書である。
自分はコレクションマニアと言うが、アトリエの書架のファイルを開くと、すべて1990年代から収集した美術展のパンフレットである。すでに数万部をコレクションし、電子ファイルにスキャンしてある。これに自分が関係してきた美術展のビデオ記録があり、これが著作に深みを与える基礎となる。
「ルネサンスの時代、芸術家は設計、発明に日記を残し、人体解剖のデッサンを描き、中国でも明代の唐寅は文学者であり書画に巧みで、しかも高級官僚として社会に関心を抱いていました。現代では芸術家は分業の一つになり、藝術の範囲しかできないと思われています」と姚瑞中は自身を、古代の全能の芸術家に位置づける。

夜の灯りの下、姚瑞中は何万本もの線を描くことを修行とし、焦慮と欲望を消化する。
こういった論理性と叙事能力があるため、姚瑞中の創作は膨大な文書資料に依拠し、これを転換させて、そこから正統性のパロディ創作に理論的基礎を与えるものであった。
「行動三部曲」の後を受け、台湾101ビルのような正統的建築の外にある辺境の廃墟に目を向けるようになった。台湾各地を歩き、工業や宗教、軍事などの廃墟となった空間を訪れ、消えていく歴史遺跡を撮影した。これら写真作品を展示し、『台湾廃墟迷走』『廃島』『人外人』などの作品集を出版した。
独自のアングルと暗室の処理で、こういった写真には不気味な暗鬱な雰囲気が流れる。台湾の民間信仰で神格化されていた塑像が廃墟に打ち捨てられた暗さを写真に切り取ると、美術館では見られない凄みが伝わる。
奔放不羈に生きてきた姚瑞中だが、2006年に生涯最大の壁に突き当たる。
この時、美術界の人々が新進気鋭の芸術家を発掘するため、バー兼ギャラリーのアートサロンを開設し、人脈豊富な姚瑞中に事務局長を依頼した。引き受けてはみたものの、姚瑞中はスランプから抜け出せず、心身ともに疲れきってしまった。

姚瑞中は『本土占領行動』(左)と『廃墟迷走』で、初期に「怒れる青年」というイメージを確立した。
何事もうまくいかない時がある。アートサロンは経営一年で大赤字を出し、姚瑞中の焦燥は募るばかりだった。だが、行き止まりになると道は開ける。スコットランドのグレンフィディックにあるウィスキー蒸留所のアーティストビレッジに滞在すること3ヶ月、その創作人生は大きな転機を迎えた。
「スコットランドは精霊の宿る場所です」と、その時を思い起こして姚瑞中は語る。台湾での時間は細かく切り刻まれ、混乱状態にあったが、スコットランドの静謐で、すべての灰汁が沈み、気持ちは落ち着きを取り戻した。写真撮影を予定していたが、蒸留所付近の広大な原野はどこまで行っても牛と羊だけで、退屈だった。
ある寝静まった夜更け、父が生前に肖像を描いてくれといっていたのを思い出し、父の得意とした水墨画に挑戦しようと思いついた。
しかし、画材がない。そこで姚瑞中は思い切って、ボールペンを使うことにした。水ではなく油でにじみを出し、落款も余白もないし、柔らかい画仙紙ではなく手元のジュート紙で、敦煌の石窟のような粗い地質の紙に、伝統的な水墨画の余白には金箔を貼りつけた。水墨画の伝統的な画法は、そこにはない。
題材は中国絵画に慣れ親しまれる雅俗の題材ではなく、マージャンや温泉、春画で、1960年代生まれらしくアニメのセンスを盛り込んで、中国の士大夫が標榜する倫理道徳を引きずり下ろした。これを「忘徳賦」と名づけた。「怒りの青年はスコットランドに放逐され、個人の微細な感情に関心を持ち始めたのです」と姚瑞中は笑う。
グレンフィディックのアーティストビレッジを企画した台湾側担当者は、作品の写真を送ってくるように求めた。ところが写真を見たコレクターから注文が相次ぎ、台湾に戻る前に完売してしまった。
その頃は中国の美術品市場が急成長した時代だったのに、この完売記録で台湾の美術品市場も盛り返すのかと言われた。しかし「忘徳賦」の人気は、台湾の壮年芸術家が大きくスタイルを変化させ、その独創性が評価を受けた例外だった。

台北東区の屋上に建て増ししたアトリエのベランダで、長年アイディアを書き止めてきたノートを開く。遠からぬ台北101に対して、彼が選んだ場所は古びた住宅地の一角だ。
台湾に戻った姚瑞中は、新しいスタイルを追い求め「如夢令」シリーズで春画を中心に置き、感情を表現した。
微細な線で構成する緻密な質感は、深夜アトリエで一筆一筆生み出される。忙しい台北でも、この静かな時間は精神の沈殿と焦りからの脱却となる。
その一方、姚瑞中の論理性も発揮され、師範大学と台北藝術大学の講座において、遊休化した公共建築の調査を開始した。美術学科の学生にフィールド調査能力をつけるためだが、また一人ではできない台湾全土の廃墟の撮影を完成させるためでもあった。
この政治地理学的調査は責任を究明するものではないので、設計者や建設会社を記載せず、写真と簡単な説明だけで構成されるが、これまで10数年にわたる台湾の一村一文物館政策の問題が余すところなく表現された。写真が『海上蜃気楼』として出版されると、時の政府の注意を引いて、台湾の公共設備の活用が政策に盛り込まれた。
『海上蜃気楼』は学生の作品を主とするが、故郷を思う若者の熱意を通じて、白黒写真は劇的な緊張感に溢れている。豪華な設計の建物が草に埋もれ、黄色い立入禁止のテープで囲まれる。姚瑞中はここに、かつての廃墟シリーズを進展させ、さらに大きな叙事資料を構成し、社会的テーマと芸術表現を結合させたのである。

最新の作品『甜蜜蜜』シリーズの「青風船」。偽山水に静謐はなく、華麗な欲望に満ちている。左は一部の拡大図。
ベネチアビエンナーレで台湾の植民地の歴史を皮肉った姚瑞中は、今年42歳になる。パロディのインスタレーションであれ、暗喩の偽水墨画であれ、その様式は成熟期を迎えた。自己のスタイルを確立した廃墟の写真作品は、美術教育と社会から政策を監督するメカニズムを構築してきた。
姚瑞中は上に祭られた伝統芸術を掴んで諧謔の笑いを投げかけ、活力に溢れる若い芸術家を引上げ、象牙の塔から踏み出し、市井の隅に送り出す。
かつては怒りの青年だった芸術家は、人生の黄金期を迎えて、台湾の壮年世代を代表し、世代を繋ぐ責任を負っている。
大学時代に藝術理論を学んだ姚瑞中は、もっと早く創作を学ぶべきだったと悔やんだこともあった。しかし、今私たちが目にしているように、芸術は人生と同じで、努力を続ければいつかは花開く。
芸術は美、努力は善なり。

姚瑞中は『本土占領行動』(左)と『廃墟迷走』で、初期に「怒れる青年」というイメージを確立した。