関渡から淡水河を挟んで対岸にある五股湿地は、同河川沿いの五大湿地のうち最も知名度が低い。工業地区の傍らに広がるこの湿地は幾度か破壊にさらされてきたが、今では荒野保護協会のケアにより、ヨシの原に鳥が飛び交い、干潟に無数のカニが見え隠れする豊かな生態を育み、台北における優れた自然教室となっている。
関渡から淡水河左岸へと関渡橋を渡る。橋のたもとから右はかの有名な八里左岸だ。それとは反対側の左へ進み、波の寄せる美しい川岸を自転車で10分ほど走ると五股湿地に着く。
その緑の湿地は400メートルほどの幅で細長くどこまでも続くように見える。だが左手の堤防の後方には高層ビルが林立する。そしてよく見ると、この湿地は「二重疏洪道」に沿って広がることがわかる。
1982年建設の二重疏洪道は淡水河の脇を走らせた人工水路だ。台北の大漢渓と新店渓は下流の板橋、万華付近で合流して淡水河となるが、その後、川は大きく右折し、台北橋付近で川幅を半分ほどに狭めるため、台風や豪雨で災害を生みやすい。そこで、2本の川の合流地点の左岸から北へ7.7キロ延びる水路を掘り、五股洲後村付近で再び淡水河に合流するようにしたのだ(後掲図参照)。
二重疏洪道の堤防内には河川敷が広く取られ、総面積は424ヘクタール、大安森林公園16個分に相当する。自転車道や公園、バスケット・コート、野球場まで作られ、市民の憩いの場であると同時に、台風時には淡水河増水を防ぐ役目を果たす。

タイワンヒバリ
肥沃な田畑が沼沢に
だが、五股湿地は二重疏洪道の建設で沼沢となったわけではない。淡水河が湾曲するこの地域には肥沃な土が堆積しており、200年余り前には大陸泉州からの移住者によって開墾されて「洲仔尾」(洲後村)と呼ばれていた。日本統治時代と戦後しばらくは米とポンカンの産地で、とりわけ「洲仔尾柑」は実が大きくて甘いので輸出もされていた。ここはかつて台北の重要な穀倉だったのだ。
だが1963年、台風が空前の豪雨をもたらし、淡水河上流の雨量は1日で1000ミリを超え、台北市全体、三重、蘆州までもが3日間冠水、台湾全土で300人を超す死者・行方不明者を出した。原因が検討された結果、関渡付近で淡水河の川幅が狭まるためとされた。そこで両岸を削り、川幅を一気に100メートル広げることになった。日本時代にも再三、川幅拡張が議論され、結局は実行に移されなかった地点だった。
ところが、拡張工事(1964年)の翌年に台風が来ると、今度は海水の逆流を招いて八里や関渡は広く冠水し、洲仔尾の4分の3は水が引かない状態になってしまった。その後も豪雨となると高潮で冠水するようになり、地下水汲み上げによる地盤沈下も手伝って、水質、地質ともに塩分濃度が増し、かつての良質の田畑は次第に沼沢へと変わっていったのである。
1968年に政府が打ち出した北区洪水防止計画では、現在の五股湿地は一級洪水平原区と定められ、区内での一切の建設工事が禁じられた。これにより人的破壊が減少し、反対に生物は活気を取り戻す。1980年頃には豊かな生態が見られるようになり、バードウォッチャーによれば当時、水鳥80種以上、総数で4800羽記録されており、北部台湾では関渡と並ぶ二大「水鳥天国」となっていた。

シオマネキ
幾度の「風雨」
だが、水鳥が舞い、小船の浮かぶ美しい風景も、二重疏洪道建設と堤防脇の工業地区の開発で、次第に変化が訪れる。
二重疏洪道建設工事は規模も大きく、土地の買い上げに始まり工程は3期に及び、完成までに12年を費やした。その間、政府の管理が行き届かず、廃土の不法投棄などで水域面積が減少、或いは隣の五股工業区から廃水が流され、1990年代には水鳥やカニなどの生物も姿を消し、ここはゴミや悪臭の目立つ広大な空き地と化していた。
それが再び今日の緑なす姿になったのは、台北県による河浜緑地プロジェクト(1997年)のおかげだと言える。またそこには、大気汚染防止費(数年前より環境保護署が建設業者に対し徴収していた)から30億元の補助も出ていた。5年間の整備で疏洪道は2002年には美しく変身、これは当時県知事を務めた蘇貞昌の最大の業績となった。重新大橋(三重・新荘間)の上から俯瞰すると、長く果てしなく続く緑地で人々が運動や散歩する風景が見える。まるでニューヨークのセントラルパークのようで、対岸の台北市民を羨ましがらせている。
そして、この長く続く緑地の北端に、92ヘクタールの五股湿地は広がる。2004年からは荒野保護協会によって保護活動が行なわれてきた。
それより前の1998年には、台湾大学環境工学研究所の游以徳助教授が、疏洪道緑化計画に伴い政府の委託を受け、教師や学生20数名を動員して同区の全面的な生態調査と環境分析を行なった。分析によると、五股湿地は北は関渡自然公園、南は華江雁鴨自然公園に接し、野生動物移動の中継地点となること、そして淡水河は塩水と淡水の境界地であることから多様な生態環境を持ち、まさに生きた環境教育の場であるとされた。また、洪水防止のための疏洪道は、沼沢生態区として管理することで災害防止、生態環境保護など多様な目的を果たせるとされていたが、残念ながら、緑地のレクリエーション活用が主流となる中、自然をそのまま保護する方法は採られなかった。
生物生息地保護に長年尽力してきた荒野保護協会も五股湿地の重要性に注目し、地元の文化団体や台北市野鳥学会と協力して疏洪道生態保護連盟を成立した。施設建設をできるだけ減らすなど、より生態保護を考慮した運営を呼びかけた結果、県は92ヘクタールを再計画地として指定した。そこで荒野協会は自ら責任を負う形で同地の保護活動を請け負ったのである。

五股湿地で活動する野鳥は多く、シギやチドリ、カモやサギなどの水鳥と、カワセミやツバメ、カササギなどの陸鳥が観察できる。
雑草豊かに茂る
「五股湿地はとても素朴な湿地です」と言うのは、地元蘆州に住み、五股湿地で鳥類観察を30年以上続けてきた陳勇明さんだ。疏洪道生態保護連盟の副事務局長でもある。五股湿地には看板となるようなエリアもなく極めて平凡だが、訪れる価値は充分にあるという。
実際はどうか、五股の町の高層ビルに上って湿地全体を眺めてみると、ヨシの原、潅木帯、池や水路などで構成されているのがわかる。八里左岸のような壮大な風景も、華江雁鴨公園のような多数の水鳥が群れる光景もなく、また竹囲紅樹林のように「世界最大のマングローブだけの林」といった呼びものもない。極めて素朴というのが第一印象だ。
湿地は広いので自転車で行くのが最適だ。北から南へ五つのエリアがあり、それぞれ異なる風情を見せる。
最北端の淡水河辺にある疏洪生態公園では河口の生態が観察できる。引き潮の際には餌を探す鳥たちの優雅な姿や、暖かくなれば無数のトビハゼの跳ねる風景がある。ここからは、かつて川幅拡張工事のあった辺りも遠望でき、工事によって海水が浸入し、淡水河のハマグリやハナシジミ、スズキ、アユなどの魚介類が大量死した出来事に思いを馳せることもできる。
河口から南へ進むと、荒野保護協会が育てた沼沢がある。元は単なる草地だったのが、近くに「微風運河」が作られ、環境破壊が進んでしまった。そこで協会はこの区域を生物生息地として確保し、池を幾つか掘って水を引き入れた。今では多くの生物の餌場であり、住みかとなっている。引き潮時には、赤いハサミを振りかざすシオマネキがあちこちに出現する。しゃがんでよく見れば、彼らが餌をとるさまや、巣穴の入り口を補修する様子(満潮時には入り口をふさぐ)が観察できる。
運がよければ、この地に定住するカワセミも見られる。さっと水面に急降下して魚を捕らえるさまは、「魚狗」という別名もうなずける。青や緑、褐色の鮮やかな姿がとりわけ目を引く。
圳;辺公園へ行くには疏洪一路を渡らなくてはいけない。車の激しく往来する道だが、脇の草地にはタイワンヒバリやツメナガセキレイが餌をついばむ可愛らしい姿ある。野花も点々と咲き、傍らの喧騒なぞどこ吹く風といった感じだ。
自転車道とは広いヨシ原で隔たれた圳;辺公園は、一般の自転車が入ってくることはなく、静かで素朴な自然が広がる。
ここでは橋の上から、五股湿地を貫いて流れる塭;仔圳;が見渡せる。水がどんよりと黒く濁るのは、上流の工場が長年汚水をたれ流してきたことの証だ。陳勇明さんによれば、荒野保護協会は数年前にヨシによる水質浄化を試みたことがあったが、面積が足りず成功しなかった。かつて洲仔尾の子供たちが塭;仔圳;を水遊びの場としていたことを思うと隔世の感がある。

五股湿地では水辺で餌を探したり求愛したりするカニの姿がよく見られ、子供たちに人気がある。目の飛び出たトビハゼは縄張り意識が強い。
あちこちに驚きが
圳;辺公園には潮の流れ込まない淡水人工池が二つある。南池と北池だ。夕日にさざなみがきらめき、その水面をキンクロハジロやカイツブリがゆったりと行き来する光景が見られる。
池には荒野保護協会のボランティアが作った水草の人工島が浮かぶ。アカバナの仲間やイヌクログワイなどの水生植物が育ち、鳥たちが羽を休める。また水草の下は魚たちの隠れ場となっている。
塭;仔圳;のほとりに沿って歩くと、パラクラスやギシギシ、タツナミソウの仲間などさまざまな草が生え、そこを鳥たちが行き来する。黒い羽を光らせたハッカチョウが二羽飛んできたかと思うと、小さなツメナガセキレイが群れを成して舞い、羽を広げたシロサギが舞い降りてくる。日暮れ時にはおびただしいツバメが空中を旋回する。
このヨシ原は20数ヘクタールあり、ヨシだけからなる茂みとしては北部台湾最大の規模だ。「アオサギ」のニックネームを持つ陳勇明さんは、ここでは季節や時間帯によって異なる風景が楽しめると言う。広いヨシ原は水鳥たちにとって夜を過ごす場となるし、ツバメの群れが南へ移動する中継点にもなっている。毎年8月下旬には日没20分ほど前になるとツバメが空を覆うほどおびただしく乱舞するさまが見られる。
自転車や徒歩で2時間余り移動するうち、一見何の変哲もないこの湿地に、実は多様な生命が息づくことを知った。コンクリートに覆われた台北にこのような地が残されているのも、荒野保護協会などの心ある人々の力によるところが大きい。

ハクセンシオマネキ
マングローブの侵略
荒野保護協会の副理事長であり、五股湿地保護の陰の推進者である頼栄孝さんは、湿地保護には「教育、復元、保全」の三大方向があると言う。
2004年以降、毎週日曜午後3時から5時には湿地にかかる成蘆橋の下で疏洪道保育連盟のボランティアによって無料の湿地ガイドが行なわれている。最近は、各学校にも赴いて教育活動を行なう。
だが生態復元は、かかる労力の割に成果が得られるとは限らない仕事だ。生態公園と南北の池は成功した例だったが、圳;辺公園の学習エリアにおけるホタル復元は失敗に終わった。水質の悪さや強風、光害など、ホタルの生存しにくい条件がそろっていたからだ。その後、水生植物栽培エリアに方向転換することにし、イヌクログワイやキツネノマゴ科の植物などを植えてみると多くの昆虫が集まってきた。世界で絶滅の危機に瀕しているヒヌマイトトンボも発見された。台湾の他地域で同種の発見は報告されていない。
生態保全は更に長期戦だ。例えば水鳥の生息地がヨシに「侵略」されて陸地化が進めば、駆除のためボランティア出動となる。また、ドブガイを食べようと捕っている人がいれば、直ちにやめてもらう。これはドブガイに受精するバラダイゴ(台湾原生生物、淡水魚)が再び絶滅するのを避けるためだ。
現在、最も頭の痛い問題は、保護種であるメヒルギ(マングローブ)の繁殖拡大を防ぐことだ。陳勇明さんによれば、メヒルギは堤防の保護や水質濾過の役目を果たすが、増えすぎるとかえって災いとなるという。
「現在メヒルギはすでに三重の辺りまで勢力範囲を広げています」30年前には盧州対岸の社子島側にマングローブなど1本も生えていなかったのを陳さんは覚えている。それが今や群落を形成し、淡水河をどんどん上流へさかのぼっている。昨年はまばらに苗が生えるといった状態だった所でも、今や人の丈ほどに成長しているという。
これは、淡水河上流でダムや堰が作られたために水量の減少が進んでおり、海水が上流へ浸入していることと関係がある。加えてメヒルギの生命力は強く、その胎生種子がどこかに流れ着くだけで容易に根付く。もし同じ水域のヨシが枯れればメヒルギはそこから徐々に群生していき、それに伴って陸地化や川幅の縮小が進むため、底生生物は住みかを失ってしまう。淡水河(主流)のヨシ原でも、シギ科やチドリ科の渡り鳥が年々減少している。

二重疏洪道の北端に位置する五股湿地は多様な環境に恵まれていて、湿地以外にも野原や灌木帯など豊かな生態があり、都会に残された生態の宝庫となっている。写真は圳辺公園。
トビを再び五股へ
主流上にない五股湿地ではメヒルギの拡大はそれほど深刻ではないとはいえ、それでも塭;仔圳;に沿ってあちこちにメヒルギが認められている。だが最近、ゴマダラカミキリがメヒルギに産卵し、成長後は樹芯を食べているのが発見され、メヒルギ拡大を抑制する働きがあると期待されている。ゴマダラカミキリの好むセンダンの種をメヒルギの近くにまいて、効果を試しているところだ。
こうしたさまざまな試みを通して荒野保護協会が目指すのは「トビを再び五股湿地に呼び戻すこと」だ。頼栄孝さんによれば、1970年代後半の五股沼沢にはトビの雄々しい姿が30〜50羽確認されていたが、80年代末には全く姿を消してしまった。多くの人々の努力によって五股の生態が元通り回復し、20年ぶりにトビが再び五股の青空を旋回する日を、彼らは心待ちにしているのだ。

ヒヌマイトトンボ

キンクロハ

アシナガシギ

ツメナガセキレイ

淡水河右岸を蘆洲までさかのぼると、長く続く堤防からは川の流れが見下ろせ、岸辺では鳥を観察できる。
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五股湿地では水辺で餌を探したり求愛したりするカニの姿がよく見られ、子供たちに人気がある。目の飛び出たトビハゼは縄張り意識が強い。

タツナミソウの仲間

背景写真:春と秋は渡り鳥が多数観察できる季節だ。潮の引いたヨシ原では数百羽のハマシギが餌を食べる様子が見られる。

淡水河右岸を蘆洲までさかのぼると、長く続く堤防からは川の流れが見下ろせ、岸辺では鳥を観察できる。

淡水河右岸を蘆洲までさかのぼると、長く続く堤防からは川の流れが見下ろせ、岸辺では鳥を観察できる。

アカバナの仲間