感性豊かなITパーソン
このように非凡な経歴を持つ陳添順だが、有名校出身の典型的なエリートというわけではない。中学を出ると技術職業系の五年生専科学校に進み、卒業後に兵役を終えてから、台湾工業技術学院(現在の国立台湾科技大学)に入った。
社会に出てからは、一般の人と同じように一歩ずつ昇進していったが、子供の頃から文化芸術が好きで、一度は音楽家になりたいと考えたこともある。農業を営む両親は開放的な考えを持ち、芸術を学ばせる財力はなかったものの、彼にやりたいことをさせた。そこで学生時代は楽器をやり、合唱団にも参加した。「成長過程で、大きなプレッシャーを感じることはなく、好きなことをやってこれました」と言う。
その後、順風満帆な人生を歩み、十分な資金と人脈を蓄積してきた陳添順は、親と社会に感謝し、リタイア前から両親の名をとって「鴻梅」という基金会を設立した。教員を務める兄嫁の影響で、新住民(外国から移住してきた人々)二世の教育という課題に取り組み、それから文化芸術の分野へも範囲を広げ、若いアーティストを対象に「鴻梅新人賞」を設けた。
書店を開いたのは予定外のことだった。2015年、彼は妻とともに新人賞を取った若い芸術家を率いて日本の越後妻有アートトリエンナーレに参加した。その途中「世界で最も美しい20の書店」の一つとされる蔦屋書店に立ち寄った。
蔦屋書店に行く途中、強い日差しの下で道に迷い、人に尋ねると「Bookstore」という単語を聞いて、その人はすぐにわかったようで、目的地まで案内してくれた。この小さな出来事に感動した彼は、故郷に書店を開きたいと思うようになったのである。
新竹の新瓦園区にオープンした「或者書店」。緑の多い心地よい環境で、休日には多くの人が訪れる。