陶磁器作りは古くからある民芸だ。イギリスの陶芸家エドマンド・ドゥ・ヴァールは、東西の陶磁器の里を訪ね歩き、陶磁器について複雑に絡み合ったその歴史や人々の熱狂ぶりを、著作『The White Road(白磁の道 )』に記した。
台湾では、世界的な陶磁器の町に名を連ねる資格があるのは「台湾の景徳鎮」と呼ばれる鶯歌だ。驚くような出来事や劇的な歴史があるわけではないものの、鶯歌にもまた独自の物語がある。
石畳の敷かれた尖山埔路を歩くと、両側には食器や茶道具、花器、磁器人形、オカリナ、便器、骨壺などを売る店が並ぶ。「出生から死亡まで、人生で用いるあらゆる陶磁器がそろう」と言えそうなこの通りは、その明確なテーマ性と、工場に隣接している「表に商店、裏に工場」という特性から、ほかの地域の商店街とは明らかに異なっている。
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「鶯歌老街(商店街)」は新しく、できてから20年ほどだが、200年にわたる陶磁器文化にふれることができる。
鶯歌の陶磁器小史
鶯歌は台湾で有名な陶磁器の里であり、産業と文化・観光が結びついた数少ない町の一つでもある。台北に近いことから、休日でも平日でも国内外から多くの人が訪れる。
文化路にある、2000年に開幕した鶯歌陶磁博物館は、鶯歌を知るには最初に訪れたい場所だ。常設展の「今までの歩みを振り返る」「陶器の町」では、台湾の陶磁器文化や鶯歌の産業発展についてわかりやすく展示されている。
博物館の大きなガラス窓を通して遠くに見える尖山堆という山は、かつて陶土の主要産地だった。また近隣には木材と石炭の供給地だった三峡と樹林があったほか、鉄道が開通するまでは大漢渓の河川輸送に頼ることができるなど、鶯歌が陶磁器の里として栄える条件がそろっていた。
史料によると、1804年に中国大陸の泉州瓷灶(陶磁器生産で栄えた町)出身の呉鞍(安)という人物が鶯歌に製陶技術を持ち込んだとある。彼はまず大湖兎子坑(現在の桃園市亀山区兎子坑村)で製陶を始めたが、やがて中国福建省の泉州出身者と漳州出身者の間で武力衝突が起こったため、尖山埔に移ったという。
初期の製陶技術はほぼ呉氏の一族によって掌握されていたが、日本統治時代になると北投、南投、苗栗、そして鶯歌といった陶土産地で日本人によって製陶業が計画的に推進されていく。また「産業組合法」の制定や「尖山陶器組合」の設立なども、少数者による独占状態の解消につながった。1931年には日本政府による「工業化運動」が始まり、製陶技術においても機械化と現代化が進められた。
第二次世界大戦後まもなくは中国や日本との貿易が停止されたため、国内の陶磁器需要に向き合ったことが、台湾の陶磁器産業を発展させる重要な契機となった。1962年のシアトル万国博覧会には台湾の製陶業者も参加し、一気に輸出の道が開けた。さらに1968年には北投で石炭使用が禁止され、同地の製陶産業が鶯歌に移った。そして1990年代は鶯歌の黄金時代となり、最大で1300社の工場が林立、窯から出されたばかりの冷めきっていない製品もただちに包装して輸出へというような活況で、鶯歌は「台湾の景徳鎮」の名を世界にとどろかせた。

メイドイン台湾が見せた実力
1980年頃までの鶯歌の製陶業は、科学の進歩に伴って約10年ごとに大きく変化していた。初期の粗陶や生活用品から、やがて工業用品、芸術品、精密機器も作られるようになり、窯も炭焼きからオートメーションのガス・電気へ、また絵付けも手描きからコンピュータープリントへと変化を遂げた。
作家の包子逸さんの著書『小吃碗上太空(屋台の器が宇宙へ)』には、業務用食器で知られる「清輝窯」が、屋台などで昔よく見かけた茶碗から、やがて工業用耐熱セラミックフィルターとセラミックコアの専門メーカーに転身していく様子が紹介されている。
鶯歌製陶業の代表的存在である許家の歩みもまた同様の例だと言える。
創業は昭和元年(1926年)、やがて「協興窯業」及び「協豊窯業」としてタイル・ブランド「灯塔牌」や「金剛牌」で名を馳せ、後には「新旺陶芸」として陶芸教室も開始、そして今では「新旺集瓷」の名で、食器ブランド「許家陶器品」を世界に展開させている。
「稼ぎになるなら何でもやってみる」というのが鶯歌の陶磁器業者の性分だと、許家の4代目当主・許世鋼さんは謙遜する。近年は手作りブームで小規模な個人工房が増えているが、業界での先駆者である彼らが気に掛けているのは、創作ビジョンの実現や生活美学の表現といったこと以上に、むしろ移り行く時代の中でこの産業をいかにたゆまず発展させ、持続的経営を実現させるかだと語る。
台湾における陶磁器は、感性を表現するものというだけでなく、「メイドイン台湾」としての強靭性や底力を持つものだということが、彼らから感じられる。
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日用品、建築、浴室・トイレ、芸術、工業という五大分野の製品を網羅する鶯歌では、日々の生活に使う食器のほか、屋根の瓦、絶縁碍子、便器なども売られている。
鶯歌焼の特徴は?
受託製造の宿命として、鶯歌には日用品、建築、浴室・トイレ、芸術、工業と、幅広い方面の製品がそろう。世界各地の陶磁器の町が主に食器などの生活用品を扱うのと比べると、鶯歌は確かに異色だ。だからこそ消費者にとっても、鶯歌で目の前に並ぶ多様な種類の陶磁器を見て、そのスタイルや特徴を一言で表すのは難しいだろう。
とりわけ、鶯歌産の陶土は次第に枯渇し、日本や欧米からの輸入に頼らざるを得ず、地元陶磁器の指標となるべき原料自体が姿を消しているという現状もある。そしてもう一つ不可解なのは、日本のように5代目10代目と長きにわたって同じ様式や文様を守り続けるような名窯が台湾にはないことだ。この点は、台湾の業者自身も不思議に感じている。
それは、移民文化ゆえの歴史的重荷の軽さといった要因もあるかもしれない。しかし、台湾の陶磁器産業には確かに、きつい労働にも耐え得る台湾人の特性が表れているとも言える。台湾では、土の選定から練り土、配合、成形、素焼き、釉薬調合、釉掛け、絵付け、焼成、包装、販売まで、それらすべての作業を自分でこなすのが普通になっている。「やらないのは土を掘ることぐらいですよ」と、「台華窯」3代目で、COOを務める呂家瑋さんも言うほどだ。そしてまさにこの特性が受託製造には有利に働く。各工程を把握しているため臨機応変で、顧客のニーズにも迅速に対応できるのだ。
だからこそ「鶯歌焼」は「世界各地の陶磁器の融合体のようなもの」と、呂家瑋さんは表現する。一目見てすぐそれとわかるような特徴があるとは言えないし、技術的にも文化的にも中国か日本の継承・影響の痕跡を残している。だが、その特徴やスタイルはそれぞれの発展過程において巧みに融合・改良され、各ブランド独自の姿を生み出すことに成功している。
「例えば中国の宜興で作られる茶壷(急須)は土を叩いて成形しますが、台湾ではろくろ成形と鋳込みを組合わせた方法に改良されました。青花の絵付けも台湾に伝わった後、金彩を加えるなどしてさらに発展しています」と、陶芸家であり、鶯歌の「釉薬堂」責任者である呂景輝さんは指摘する。
「新旺集瓷」が復刻させた「丹青碗」は、2代目の許新旺さんが1950年代に生み出してヒットさせた製品だった。扇や白鳥、レイシ、竹の葉などの浮彫り文様が施された緑釉食器で、戦後の国際貿易中断の頃に芽生えた台湾独自の感性が表れている。
また、「鶯歌の故宮」と称される「台華窯」は、もとは下請けで白素地の製造を行っていた。だが、やがて徐々に上絵付けや下絵付けの技法を取り入れながら独自の彫金も組合せたことで、古くからある形状の器の数々に、まばゆい華麗さを加えることに成功した。
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若い世代による刷新
1990年代後半には製造業の海外移転により、鶯歌の景気も悪化、さらに起こったアジア通貨危機も追い打ちをかけ、陶磁器業者は何とかしなければと策を講じ始める。それが、在庫を売りさばくために、主に輸出していた製品を内需市場へと方向転換することだった。彼らが協力して駅前で開催した「鶯歌陶磁器カーニバル」は大きな反響を呼び、これより鶯歌は観光へと大きく舵を切っていく。
そして1997年には経済部(経済省)の後押しで尖山埔路が歩行者天国になり、1999年には古い商店街が新たなショッピング街へと生まれ変わった。
だがそれでも産業衰退の波を食い止めるのは容易ではなく、現在、鶯歌に残る工場や工房は100に満たない。親から受け継いだ家業をいかにして存続・回復させるかは、後継者たちの大きな課題となっている。
2019年、経済部と台湾設計研究院が共同で推進した産地活性化プロジェクト「T22設計振興地方産業計画」は、現状を打破する契機となった。同プロジェクトは異業種連携を通じ、メーカーそれぞれの強みを結びつけるものだ。例えば、6社が連携して3チームを作り、それぞれが有名レストランの食器をデザインしたほか、新旺集瓷は日本の中川政七商店と提携し、新たなブランド「許家陶器品(Koga)」を共同で立ち上げた。
「まるでぬるま湯につかって徐々に茹でられていくカエルのように、もしこのまま何もしなければ、遅かれ早かれこの産業は消えてしまう」というのが、後継者たちの長年の懸念だった。そこで2023年、「新旺集瓷」「台華窯」「安達窯」「陶聚」「傑作陶芸」「新太源」の後継者が集まり、「陶次瓦代代合作会(陶芸次世代協力会)」の結成を発表した。
例えば彼らは、日本の「燕三条 工場の祭典」(ものづくりの現場を見学・体験できるよう、地元の工場を一斉に開放するイベント)を手本に、伝統工芸と観光を組み合わせたイベント「鶯歌産地開放日」を開催している。そこでは陶磁器市が開かれるほか、訪れた人が工場見学したり、「鶯歌宴席」の客として招かれるなど、ほかとはひと味違った体験ができるイベントになっている。
陶磁器産業は比較的保守的な伝統産業だと言える。200年前を振り返ると、製陶技術は特定の一族だけが握るものだった。現在でも年配の製陶業者の中には、「同業者を自分の職場には入れない」という考え方が根強い。「だから、今やっている工場の開放というのは、まさに『大変革』なのですよ」「頭が固くなって、人の言うことに耳を貸しませんから」と、2~4代目である彼らは自嘲気味に語る。
しかし、鶯歌の盛衰や苦労を目の当たりにしてきた継承者たちが望むのは、ともに歩める未来という前提の下で、突破口を見出し、故郷のために持続可能な発展の道を見つけることだ。互いに手を携えることで、これまで200年続いてきた鶯歌の陶磁器が、世代から世代へと受け継がれていくようにと。
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鶯歌陶磁博物館の常設展「今までの歩みを振り返る」と「陶器の町」では、地元の陶磁器文化がわかりやすく展示されている。
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許家の製陶を継ぐ4代目の許世鋼さん。
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創業100年、すでに4代目となる許家が開設した博物館では、昔の製陶機具や復刻された「丹青碗」が展示されている。
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転写絵付けを得意とする「新太源」は、印刷技術によって図柄を転写する。工場開放日に行けば、珍しい機械類のほか、独自の技術で図柄をタイルに印刷し、それらをつなげて大きな装飾品にするといった優れた職人技が見られる。
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「鶯歌の故宮」と称される「台華窯」は、絵付けと彫金技術を組合わせ、伝統的な形の器にきらびやかさを加えた。工場開放日には、職人の卓越した絵付けの技が見学できる。(林格立撮影)
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陶磁器産業は比較的保守的な伝統産業だが、時代の変化とともに新たな姿を見せ始めている。写真は陶芸工具専門店「釉薬堂」。陶芸家の呂景輝さんと蔡美如さん夫妻が始めたこの店は、まるで美術用品店のように、台湾製の様々な陶芸工具を販売する。配合成分を明示した釉薬試作品も陳列されており、これは一種のオープンデータと言えよう。
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工場開放日の「鶯歌宴席」は席についた客順に食事をして帰る方式で、料理長によるメニューの数々が、「安達窯」の青磁、「新旺集瓷」の陰陽碗、「楽陶陶」の書の文字があしらわれた食器、「新太源」の転写絵付け食器などを用いてふるまわれ、優雅な台湾文化を体験できる。(社団法人新北市陶次瓦代代合作会提供)
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鶯歌の工場開放日に、200年にわたる台湾陶磁器の歴史を探訪する。(社団法人新北市陶次瓦代代合作会提供)
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社団法人新北市陶次瓦代代合作会提供
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鶯歌陶磁産業の後継者たちは「陶次瓦代代合作会」を結成したことで、業界の相互協力と次世代への継承を願う。左から、「釉薬堂」創業者の蔡美如と呂景輝、「新太源」2代目の王升、「台華窯」COOの呂家瑋、「傑作陶芸」董事長特別補佐の許恕維(敬称略)。
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