
「神明彩」の前で朝晩3本の線香を手に拝む行為は、神や祖先への挨拶のようなものだ。
台湾の廟の風景と言えば、彫刻や絵画の施された建物のほかに、線香を手にして熱心に神に祈る人々の姿だろう。また、毎月決まった日になると、屋外にテーブルを出して上にさまざまな供物を並べ、その傍らで紙銭を焼く光景もある。常に民間信仰とともにある台湾のこうした日常を見ると、思わず興味がわくのではないだろうか。なぜそんなにも熱心に拝み、お供えをするのか。台湾人は何を拝んでいるのだろうと。
台湾で伝統的な民家に入ると、屋内の目立つ所に大きな神の絵が掛かっているのをよく見かける。高雄師範大学台湾歴史文化及言語研究所の李文還教授が、その絵は「神明彩」と呼ばれると説明してくれた。絵の中央に観世音菩薩が、その周りに媽祖や関聖帝君(関羽)、灶神(かまど神)、土地公(土地神)などの神が配置されている。「これらは台湾の民間信仰で最もよく祀られている神です」

台湾人にとって神は身近な存在で、廟に参るのも日常風景だ。
日常的な礼拝
李文還がまだ幼い頃に父親から言いつけられたのが、朝晩「神明彩」に線香をあげる仕事だった。まず3本の線香を持って天公(玉皇大帝)を拝み、次にまた3本の線香を持って室内に祀ってある神を拝む。いわば朝晩の挨拶をするようなものだった。
毎月1日と15日(旧暦、以下同じ)は特別な日で、線香のほかに花と供物も用意する。「これは『犒軍』と呼ばれ、「軍をねぎらう」という意味です。神様が兵士や将軍を率いて地域の安全をお守りくださる。それはさぞかし大変だろうと、毎月お供えを用意して、神やその兵士に捧げるのです。これはその実、とても人間界的な発想だと言えますが」
事業を営む家や商店などのお供えをする日は毎月2日と16日で、祀るのは無縁仏と土地公だ。嘉義にある線香店「頼信成香業」の4代目店主、頼隆毅の説明では「土地公は土地を治めている神様なので、土地公に無縁仏を連れて来てもらい、商売繁盛を祈願するのです」という。「無縁仏を家の中に招くわけにはいかないので、必ず外でお供えをします」7月の盂蘭盆会でも、家々の屋外に机を出してお供えを置くのは、やはり無縁仏を供養するからだ。
百年の老舗である頼隆毅の店には、若い人がよくお供えの仕方を聞きに来る。「月ごとのお供えのほかにも」と、頼隆毅は1年間の行事を挙げていく。正月1日子の刻(夜11時~1時)から始まり、9日目が天帝生誕日、15日は小正月、2月2日は土地公生誕日、3月は媽祖生誕日、続いて4月の清明節、5月は端午節、7月は盂蘭盆会、8月15日の中秋、9月9日は重陽、そして冬至、尾牙(年末の土地公礼拝)となり、再び1年が繰り返される。その度に民家でもお供えをするか、或いは廟へ行ってお参りをする。

台湾人にとって神は身近な存在で、廟に参るのも日常風景だ。
多神の民間信仰
では、台湾人の多くはどんな神を祀っているのだろうか。李文還は、まず「神明彩」に描かれる神を挙げる。中央にいる菩薩はインドから伝わった神で、本来は阿弥陀仏の脇に控える菩薩だったが、台湾人には特に愛され、「仏祖(釈迦)」と同様の地位を得て、「観音仏祖」と呼ばれる。または「観音媽(観音母さん)」とも呼ばれ、家族のように親しまれている。
西方から来て漢人の神になった菩薩のほかに、人格神である関公や媽祖の例もある。「人格神とは、歴史上の実在人物がその功績などによって神となったものです」土地公の場合は、石や木などを崇める原始的な自然崇拝から始まり、やがて人々の想像力によって柔和な老人の姿をした神となった。灶神は、万物に神が宿ると信じる「物神崇拝」や、物への感謝の気持から生まれてきたものだ。「簡単に言えば、漢人は自然崇拝や人格崇拝、庶物崇拝などを結び合わせて多神信仰するようになったのです」
17~19世紀には、中国南部で生活の苦しかった人々が故郷の神々を背負い、台湾海峡を渡って来て新たな生活を始めた。李文還によれば、当初、漳州人は「開漳聖王」を、泉州人は保生大帝を、潮州人と客家は三山国王を、安渓人は清水祖師をそれぞれ祀るというように、台湾の神には明確な地域性があった。いわば何を拝んでいるかで出身地がわかったのである。だが現代では、台湾内でも住民が複雑に移動し、特定の神が移民の心の拠り所となるという働きは薄れてしまった。唯一変わらないのは、「今なお廟は、地域の人々を結びつける場として存在し、異なる血縁を持つ人々が信仰の下に共同体を形成しています。こうやって台湾の伝統社会では組織を作ってきました」という点だ。

多くは求めず、ただ家族の安全を熱心に祈る。
神に声を届ける媒介
では、そうした神々にどうすればこちらの声が届くのだろう。実は線香、供物、紙銭などは、いずれもその媒介となる道具だ。台湾人が神を拝んでいる様子を見て、線香に目を止めた外国人に「あの長い物は何か」と聞かれることがよくあると頼隆毅は言う。「線香は昔、神に願いを伝える道具として使われたので『信香(手紙の香)』と呼ばれていました」と李文還は説明する。確かに線香の煙が昇っていく情景は、まるで心の願いを天に届けているように見える。また外国人にもわかりやすいように、Wifiの電波マークで線香の意味を説明する人もいる。
「紙銭は、神に感謝を表すための奉納金のようなものです」と李文還は言う。それを燃やすのは神がお金を受け取れるように有形物を無形にしているのだ。漢人のイメージする神への奉納方法だと言える。
頼隆毅は紙銭について詳しく説明してくれた。神に捧げるには「金紙」を、無縁仏の供養には「銀紙」を燃やす。神の貨幣である「金紙」は竹紙で作り、上に金色の箔が貼ってある。大切なのは、錫箔とそこに印刷してある図柄だ。福禄寿など縁起の良い図柄が印刷してあるが、その図柄によって寿金、天公金、福金、刈金などの等級別があり、それに応じた等級の神に用いられる。「銀紙」は「大銀」と「小銀」に分かれ、大銀は祖先に、小銀は無縁仏の供養に燃やされる。無縁仏用にはほかに、日用品を表す「経衣白銭」もある。頼隆毅が「経衣白銭」を見せてくれた。紙に衣類や靴、帽子、櫛などが印刷されている。紙に切れ込みがあるのは、古代の貨幣には穴が開いていたことを模している。
神からの確かな返答が欲しい場合は、「ポエ(筊杯)」を投げるという方法がある。ポエとは赤い半月型をした木片で、丸みを帯びた面と、平らな面を持つ。神にお伺いを立ててから、木片二つを同時に地面に落とし、一つが丸みを帯びた方を上に、もう一つが平らな方を上にした状態「聖筊」になっていれば、神が同意や許可してくれたしるしで、願いことが順調に運ぶためには、連続3回「聖筊」を出さなければならないとされている。おみくじを引く場合も、神の答えを知るために同様に先にポエを投げ、3回「聖筊」を得て初めておみくじが引ける。最近は、外国からの観光客にも台湾の民俗信仰をより深く知ってもらおうと、台北行天宮、東港東隆宮、彰化天后宮、台南大天后宮など多くの廟で、英文のおみくじを置いている。
供養や神を祀る際には数字にもきまりごとがある。伝統的に奇数は陽、偶数は陰とされるため、神を祀るには必ず奇数で物をそろえる。例えば線香は3本、供物も豚肉、鶏肉、魚といった3種類の肉と5種類の果物と決まっている。また廟内の装飾や供物は、語呂合わせでそれぞれ良い意味のある物をよく用いる。例えば、文昌帝君への供物に芹菜(チャイニーズセロリ)を用いるのは「芹」が「勤」と同音で「勤勉」という意味があるからだ。同様に、大根は「幸運」、ネギは「聡明」、チマキは「合格」、ニンニクは「数学に長けている」といった意味があるとしてよく使われる。縁結びの神「月下老人」の供物には、やはり語呂合わせで「早く見つかる」という意味のナツメや、愛のシンボルであるモモが用いられる。月下老人の神像の衣装にリスやブドウの模様が刺繍されているのも、子宝に恵まれて子孫繁栄するという意味が込められている。李文還は「これらは、原始宗教である巫術のなごりです。民間信仰はまるでタイムカプセルのように、とても古いものを保存し、新しいものと組み合わせて行われています。巫術だけでなく、仏教や道教などの決まりごとが取り入れられていることもあり、民間信仰は受容力が高いのです」

田畑の脇などでよく見かける小さな廟は、台湾人と神との近い関係を物語る。
神々に挨拶
廟の中は迷路のように複雑で、しかもあちこちに神の像が並んでいるので、あれもこれも質問したくなる。
大稲埕台北霞海城隍廟の広報主任であり外国語ガイドも務める呉孟寰が城隍廟の中を案内してくれた。「一般には、龍の方から入り、虎の方から出るとされています。中央は神の出入りする入口です」建物の装飾にもそれが示されており、「壁を見てください。龍の頭は中を、虎は外を向いています」と言う。
廟に入れば、当然まずその廟の主神を知るべきだろう。例えば、台北行天宮の主神は関聖帝君、龍山寺は観世音菩薩、大龍峒保安宮は保生大帝だ。「城隍廟の主神は城隍爺で、城隍爺はいわば市長のようなものです。英語で紹介する時はいつもCity Godだと説明しています」と呉孟寰は言う。外国人観光客がおもしろいと感じるのは、神によって担当が分かれていることらしい。縁結びは月下老人、勉学は文昌帝君、出産は註生娘娘の担当で、嫌な人を追い払いたい時は虎爺を拝めばいいとされている。
廟の主殿に安置された神の像がたった1体だけということはまずない。ではいったいどんな神々なのか。呉孟寰は「市の行政組織のようなものだと思ってください。城隍爺が中央に座り、その前には各部門の長や幹部が並びます。少し離れた位置に立つ牛頭馬面や七爺八爺は外界を回って任務を遂行します」と言う。
また、主殿にはたいてい城隍爺の像が少なくとも3体ある。「うちの主殿の城隍爺は外には出ません。だからそれぞれの城隍爺が異なる任務を担います。そのうち1体は巡回を担当し、別の1体は法会を司る、というように」その説明を聞いて思わず「分身の術みたいですね」と言うと、「その通りです」と答えが返ってきた。また入口にも城隍爺が座っているが、廟が閉まった後も皆の祈りを聞き届けるのだという。「あの城隍爺の仕事が最もきついです。コンビニのように24時間年中無休ですから」
主殿とは別の「偏殿」には、「頂下郊拚」(1853年に万華で起こった移民間の抗争事件)で犠牲になった人々や、城隍夫人なども祀られている。「あなたが友達の家に行って、友達の両親やほかの家族がいれば挨拶をするでしょう」呉孟寰は、だから廟のほかの神々もみな、いっしょに拝むものなのだと言う。
拝む順序は、まず天公を、それから主殿に入って城隍爺に挨拶する。まず「城隍爺、采配をお振るいください。月下老人、お助け下さい。神々よ、お守りください」などと唱え、次いで自分の名前や生年月日を告げてから願い事をする。「実は普通の会話と同じようなもので、難しいことはありません」
廟の行事については、「春と秋の祭典のほか、各廟の主神の生誕祭があります」と、李文還が一つ一つ挙げて説明してくれた。1月は天公と清水祖師爺、2月は土地公、3月は媽祖と保生大帝、6月は関聖帝君、7月は七娘媽の生誕を祝う。そのほかに王爺も数多いるので、外国人から見れば、台湾では毎月どこかの廟で祭りがあるように思える。「台湾は本当ににぎやかな島ですよね。だからこそおもしろいと言えます。神様が多いので、毎日どこかの廟で催しが行われています」と李文還は笑う。我々が友人の誕生日を祝うように、日頃我々を守ってくれる神々の誕生日を祝っているのだと。

英語訳をつけたおみくじを用意している廟もある。
未知の世界に通じる
なぜ人は神を拝むのかという問いに、呉孟寰はこう答えた。「拝むというのは儀式で、それによって心を落ち着かせ、人は思考します。物事のプラス・マイナス面や、ほかの可能性はないかと考えるのです。私にとって神は知恵深いお年寄りのようなものだとも言えます。自分より多くのことをわかっている。そんな神から慰めや指示を得たいと思うのでしょう」
李文還の説明はこうだ。「漢人には肉体と魂の二元論の考え方があります。つまり人間の体は肉体と魂から成り、人が死ぬと肉体は終わりを迎えますが、魂は残ります。私たちは葬式をすることで、その魂を位牌に導いて供養します。それが祖先の供養です。また、偉業を成し遂げた祖先や開墾の英雄などは、神に昇格します。媽祖や関公がそれです」
「拝めば加護がある」とはよく聞く言葉だ。怪奇現象や奇跡などを語らずとも、神々が作り上げてきた世界観は、社会が善に向う原動力となる。「漢人が抱く来世のイメージは、実は私たちが今生きている現世と紙一重です。私たちは常に未知の世界と非常に近い関係を保ち、日常生活に取り入れているのです」と李文還は言う。
神や祖先に手を合わせるとは、彼らに声をかけ、挨拶しているのだ。民間信仰からは、その共同体が暮らしの中で培ってきた知識や知恵、或いは万物への感謝が見て取れる。多くの老人が普段からよく廟に通っているが、ただ日々の平安だけを望み、ほかには何も求めていない。このような態度こそが、神と人間との関係で最も感動的なところなのかもしれない。

無縁仏の供養に燃やす「経衣白銭」。衣類や櫛など人間界と同様の日用品が印刷されている。


多神崇拝の台湾では神によって役割分担があるが、媽祖は全能の女神だ。

大稲埕台北霞海城隍廟の主殿に並ぶ神々。中央の城隍爺は市長のような存在で、その前に市長配下の各部門の長が並んでいると想像すればいい。

忠義や信用のイメージがある関聖帝君は、ビジネス業界の守り神だ。
