現代的な水墨画

王南雄の色彩山水
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2018 / 2月

文・鄧慧純 写真・林格立 翻訳・久保 恵子


絵画の道を歩む王南雄は、絵筆を止めたことはない。伝統から始まり、抽象やシュール・レアリスムを行き来し、また水墨画に戻ってきたが、その時、画家の目に映る景色はすでに異なっていた。王南雄は色彩を用いて、自身の現代水墨画を描き出し、その画布には画家の心の風景が映し出されていた。こうして王南雄は台湾では唯一、中興文芸賞、中国文芸協会国画文芸賞、中山文芸国画創作賞、および国家文芸賞の四大賞を受賞した画家となった。


絵画との縁を辿ると、小学校の時に遡ると王南雄は振り返る。父から祖母の硯を受け継ぎ、墨を磨り、絵を描き始めた。ただ、その頃はただの落書きに過ぎなかったと、彼は笑う。絵画の参考資料がなかったので、布を扱う叔母さんのところの布のラベルに描かれた関公や観音像を模写していた。学校の美術で宿題が出ると、友達の分まで請け負ったので、提出した作品はすべて彼のものであった。その頃から、王南雄の絵筆は止まることはなかった。

絵筆を手に、不断に練習

中学を卒業したが、公立学校に合格できなかった王南雄は、やむなく裁判所の臨時の用務員となった。仕事の合間を見つけては、町で買った故宮博物院の画集を開き、その所蔵作品を模写していた。まだ水墨画の正規の訓練を受けていない頃のことで、普通のドーリング紙を使って練習していたが、裁判所の上司が水墨画には画仙紙を使うのだと教えてくれて、初めて画仙紙の存在を知った。その当時、用務員の月給は120元、休日の残業代が20元だったのに対して、画仙紙は1枚20元もした。王南雄は残業代で月に1枚の画仙紙を買い、休日の当直日に裁判所の机を合せ大きな台を作り、大きな画仙紙を広げて思うままに描いた。その当時を思い起し、絵を描くのが本当に楽しかったという。

鳳山高校に合格してから楊襄雲先生に出会い、水墨画の基本技法の指導を受けることができた。ここから王南雄はコンクールで毎回受賞を続け、絵画を一生の職と志し、まず師範大学芸術学科(現在の美術学科)への進学を目指した。しかし、王南雄にとって芸術学科の受験必須科目であるデッサンというのは聞いたこともない名詞だった。あちこち聞き歩き、女子高の美術教室に潜り込んだりもした。最終的に、運のいいことに師範大学芸術学科の先輩二人が助けてくれることになり、三日をかけてデッサンを教えてくれた。そのおかげで、なんとか芸術学科に合格でき、大好きな絵画を学べることになった。

卒業後、王南雄は泰北中学の教職に就き、また自身のアトリエを開いて、美術学科受験を志す学生を教えることにした。その一方、学生の家族が経営する画廊に、作品を置くことになった。その当時、水墨画は日本の市場で人気が高く、その需要に応じるため、王南雄は毎日朝4時に起きて水墨画を描き、学校に行っても授業の合間に描き続けた。一日4枚以上を描くことに決めて、12年の間に1万枚近い作品を完成させたのである。その時代、多くの画家が生活のために輸出用の絵画制作を行っていたが、その過去を語りたがらないのが普通だった。そんな中、王南雄は気にせず、輸出用絵画で経済的困窮を解決できたと話す。しかも、画家としての良心から、売るためとはいえその1枚毎に異なる構図と筆法を試したため、そこから自己のスタイルを確立するための基礎を築くことができたのである。

構図と色彩による

独自のスタイル

一人の画家にとって、自身のスタイルを確立するのは、容易なことではない。1963年に王南雄が師範大学芸術学科に進学した当時、学科は専門毎に分かれていなかったので、黄君璧、林玉山、張徳文などの大家が指導し、水墨画も西洋絵画も併せて学び、学校は学生にスケッチと創作を推奨していた。

欧米では現代美術の機運が高まった時期で、台湾もその思想の影響を受け、伝統と現代、東洋と西洋をいかに融合させ、自身をいかに定義づけるかの議論が盛んだった。王南雄は現代絵画の手法による表現を志し、同期の蘇新田、呉炫三、李長俊などと「画外画会」を結成した。視覚的実験を提唱した彼らは、「展覧会ではテーマを決めて、様々な手法や形式を用いて、コンセプトを表現しようと試しました」という通り、水墨画、油絵、エアブラシ、版画などの技法を実験した。「西洋と伝統絵画の間を行き来し、どこに行くべきか真剣に向き合いました」と画家は言うが、それも自身の芸術表現を考える芸術家が通る過程であったのだろう。

1980年に王南雄は教職を離れ、縁あって恩師である黄君璧の元に戻った。毎日師を送り迎えしながら、共に展覧会を見にいったり、お茶を飲みながら、生活から芸術まであれこれを語った。「現代絵画から伝統的な水墨画に戻るきっかけは、黄先生との触れ合いの中からでした」という。黄先生と長時間ともに過ごして、師と自分の審美観との相違に気づいた。自分がいいと思うものに対して、師は度々首を横に振る。その差異はどこにあるのかを突き詰めようと、王南雄は再び故宮の画集の模写を基礎から始め、伝統的な山水画を描き始めた。こうして、新たに書き上げた作品を黄君璧に見せると、師は一目見て、ほかにはないスタイルだから個展を開くように励ましてくれた。こうして王南雄は、自分の現代水墨画のスタイルを確立していったのである。

伝統的な水墨画は意を移すもので、描くのは画家の心の山水である。一方、王南雄は大学時代に西洋絵画のスケッチ、デッサン、透視画法などの訓練を受けており、これを水墨画に応用した。スケッチにより大自然を師とし、水墨により自然を歌い上げる。黄君璧はかつて「王南雄の絵は動きがある。雲も風も水も動いていて、静から動を生み出す画法は容易ではない」と語った。王南雄はさらに顔料を用いて色を添え、春の新緑、夏の青空、秋の紅葉、冬の瑞雪を画布に載せた。世界各地を歩き回り、各国の風景も題材に取り入れた。台湾の伝統的な赤煉瓦の家と田園風景に加え、大阪城の絢爛たる桜、ヨーロッパの荘厳な古城、モロッコの魚市場の賑わい、厳粛なガンジス川の雰囲気が画仙紙を彩った。しかし、彼は顔料に墨を加えて明度を下げ、派手な色彩を抑え、筆墨の味わいを残すことに心を砕いたのである。

色彩豊かな水墨画が市場に受け入れられるには時間がかかり、斬新な構図に反発を受けることもあったが、王南雄は諦めることなく作品を美術コンクールに出展し続けた。最初は排斥していた審査員だが、次第にその評価が好転していき、彼のスタイルが世に受け入れられることとなった。その間、王南雄は常に心に抱く美を追い求めていったという。画家の基準は常に美であり、彼は自分を唯美主義者と定義する。学生時代に美を提唱すると、美には個性はないと言われた。「美には無論個性がある」と、王南雄は反駁したが、美を表現するには当然ながら技術が必要となる。単なるインスピレーションで表現できるものではなく、しっかりした基礎の技術の上に、自由に表現できるのである。

美しい事物をコレクション

王南雄のもう一つの趣味が骨董コレクションである。骨董を集める基準も、歴史的価値ではなくその美である。彼の居宅「半農廬」(王南雄は画業ばかりではなく、農業も行っていたため、その居宅を半農廬と名付け、自身を半農廬主人と称する)の居間には、この20年余りでコレクションした五代十国時代の彫塑が何点も並んでいる。東魏の高歓墓から出土した阿難の頭部像は、英知と慈悲を表情に浮かべている。唐の天衣仏座像の端正な姿には、自然と敬虔な心を呼び覚まされる。窓辺に座り左足を下した水月観音の木彫座像は、静謐な空間を生み出し、典雅な姿である。王南雄はまた、亀や龍の造形の硯を所有していて、その石刻の技術と洗練されたデザインは、ため息が出るほどである。さらに北宋汝窯の香炉や碗のコレクションなどを見ると、天青の釉薬は潤いある高雅な色調で、めったには見られない逸品である。これらの芸術品は、時と試練を潜り抜けた美を呈している。

骨董品コレクションには当然ながら授業料もかかったが、悪いことばかりではなかったと、王南雄は言う。ある時、明朝呉彬の「十八応真図」が売りに出されたことがあった。応真とはサンスクリットに言う羅漢の意味で、十八羅漢が描かれた軸には、乾隆皇帝の題字と跋があったが、友人は誰もがそれを偽物と断じた。王南雄自身も真偽には半信半疑だったが、それでも77万台湾元で購入したのである。その後、これをオークションに出すと、1200万元で落札された。さらに数年後、同じ作品が1億6912人民元(約8億台湾元)の高値で落札されたという。その当時、カメラマンに撮影を依頼し、作成したコピーの軸を広げて見せながら、その当時のあれこれを話してくれたが、ことばの端々に真贋を見極めた誇りと喜びが見え隠れする。

古物や名画を鑑別するために、コレクターはそれぞれに知識を集め、知見を渉猟するものだが、王南雄の居宅を見ると、その知見の一端が見て取れる。前庭の池には、様々な色の錦鯉がゆったりと泳いでいる。庭には百年の樹齢を誇る梅の木があり、優雅に傾いだ幹にその風雪を思わせる。様々な姿に手入れされた松柏の盆栽は、若い頃からの趣味である。また蘭を育てたこともあり、どの趣味をとっても、それぞれに研究を重ね、奥義を極めて、専門家の域に達してきた。そのすべてを見ると、画家の生への謳歌であり、美への情熱であると言える。

すでに70歳を越えた王南雄は、毎日規律正しい生活を送っている。朝早く起きると、習字を兼ねて生活を記録する。毎日のウォーキングでは、詩詞を暗唱するのが習慣ともなっている。さらに最近では、生活の重心を「王南雄美術館」設立の準備に置いている。自宅の向かいにある家を買い取り、美術館として内装をすべてやり直して、長年描いてきた自然を賛美する色彩水墨画の作品と、数多い逸品のコレクションを展示することにしたのである。

来し方を振り返ると、王南雄は自己を「吶喊から細流へ」と表現する。それは自己の画風ではなく、画家として歩いてきた道の悟りである。芸術は一般大衆に開かれたものであり、美感は直覚的なものである。今の彼はただ一人で、吶喊するように大自然を賛美するのではなく、作品が近距離で鑑賞者と交流できて、細く長く後に残る味わいある美感を人々に伝えていきたいと考えているのである。画家は自身が感じ取った美と善を、潺々たる細流のように、より多くの人に分け与え、芸術が生活の養分となり、観る者の人生を潤すことを願っている。

 

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Ink-Wash with a Modern Feel

Cathy Teng /photos courtesy of Jimmy Lin /tr. by Phil Newell

In his quest during his painting career, the brush of Wang Lan ­Hsiung has never rested. Emerging from tradition, he hesitated between abstract art and hyperrealism, then turned back once again to ink-wash painting, except that now the views he saw were different. Wang has used color to produce modern ink-wash paintings in his own style, and has become the only artist in Taiwan to win the following four major arts prizes: the ­Chung ­Hsing Literary Award, the Chinese Writers and Artists Association’s Literary Award for Painting, the Literary and Artistic Creation Award presented by the Sun Yat Sen Academic and Cultural Foundation, and the National Arts Award.

 


Asked about his relationship with painting, Wang Lan ­Hsiung says it goes back to when he was in elementary school, when his father gave him his grandmother’s inkstone, and he began to grind ink and paint rudimentary images. Unable to find any reference materials about painting, he started by doing copies of the images of the deities Guan Gong and Guan­yin on the labels of cloth sold at his grandaunt’s store. In art class at school, the work turned in by his classmates was virtually all done for them by Wang.

Untiring practice

After graduating from junior high school, Wang, who was unable to test into a public high school, took a temporary job as a janitor in a lawcourt. He often used his free time to copy images from books. At that time Wang had yet to receive any formal training in ink-wash painting, and he used printmaking paper to practice on. One of the court officials told him he needed to use Xuan calligraphy paper for Chinese painting, and only then did he learn that Xuan paper even existed. At that time a janitor’s monthly salary was NT$120, with holiday overtime pay of NT$20, while one sheet of Xuan paper cost NT$20. Wang bought one sheet of Xuan paper each month, and, taking advantage of working duty shifts on days when the court was closed, he would push together the tables used by the judges into one big platform, and paint one large sheet each time. Thinking back on those days, Wang says it was really a pleasure to paint back then.

After testing into National Feng-Shan Senior High School, he met Yang ­Hsiang-yun, who instructed him in the basic techniques of ink-wash painting. From that time forward Wang won one prize after another, and he was able to define his future direction, deciding to take the test for entry into the Department of Fine Arts at National Taiwan Normal University. But Wang had never even heard of sketching, which was a required part of the test, so he searched for help in all directions, even insinuating himself into the art classroom at a girls’ school to learn on the sly. Luckily, he finally found two elder classmates at NTNU to point him in the right direction, and after cramming for three days he was ultimately able to test into the department as he had hoped.

After graduating from NTNU, Wang began teaching at Tai­bei High School in Tai­pei, while he maintained a painting studio off-campus. In addition, the parents of one of his students, who ran an art gallery, invited him to consign his works for sale. At that time, when ink-wash painting was very popular in the Japanese market, Wang got up at four every morning and took up his brush to paint. After arriving at school he would use the early self-study time and free periods to continue to paint, producing at least four works per day, so that after 12 years, he had created nearly 10,000 pieces of art. Creating these types of paintings for export was in fact a common experience for many artists at that time, but most of them are unwilling to talk about it. But Wang says straight out that the works he produced in those years helped him out of an economic pinch, and moreover that the expectations that a painter has of him or herself lie in training oneself, in each work, in new compositions and in practicing brushwork, which are steps each artist must struggle through to arrive at his or her own style.

Producing a style with color

It is no easy feat for a painter to create their own personal style. When Wang tested into the Department of Fine Arts at NTNU in 1963, with guidance from well-known teachers such as ­Huang Chun-pi, Lin Yu-shan, and ­Chang Te-wen, he had to study both Chinese and Western painting, and the school encouraged students to do sketching from life as well as creative works.

Wang at that time was inclined to use modern painting methods to express his own ideas. Wang, along with classmates Su Hsin-tien, Wu A-sun, Tosi Lee, and others, together formed the “Hua-Wai Painting Association,” which extolled visual shocks. Wang experimented with ink-wash, oil painting, spray painting, and prints. “I was hesitating at a crossroads between being a Chinese- or a Western-style painter, and didn’t know where to go, but I faced up to it unflinchingly.” This is not only the ­painter’s self-description, but is a struggle and a process that everyone who wants to honestly express themselves in art must go through.

In 1980, Wang left the teaching profession and fortuitously ended up at the side of ­Huang Chun-pi. Wang says, “My return from modern painting to relatively traditional ink-wash painting began when I was with ­Huang Chun-pi.” He discovered that the two had different angles on appreciating paintings, and often what he would consider good, ­Huang would just shake his head at. This caused him to reflect on the question: What is the difference between us? So he began copying works from books published by the National Palace Museum, beginning with the very basics. Thus he relearned, painting by painting, how to do traditional landscapes, and so confirmed his path as a modern ink-wash artist.

Wang took the principles of Western painting-from-­nature, sketching, and perspective that he had absorbed in his time at university and applied them to traditional ink-wash painting. He took nature as his teacher, singing her praises with brush and ink. Wang also applied colors to traditional landscape painting, with the fluctuations of the seasons—the new greenery of spring, the deep blue of summer, the red maples of autumn, and the white snow of winter—becoming the color schemes of his paintings. He traveled the world, integrating beautiful scenery from many lands into his brushwork. Not only the red-tiled houses of Taiwan but also the dazzling cherry blossoms of Osaka, the magnificence of European castles, the vitality of a Moroccan fish market, and the dignity of India’s ­Ganges River all have made guest appearances on his Xuan paper. But he always likes to mix a little black ink into his poster colors to reduce their brightness and ensure they are not too gaudy. He is insistent that you have to keep the charm of brush and ink in ink-wash paintings.

All along his path, Wang says, he has kept firmly in his mind the search for beauty. “Beauty” is the yardstick in the minds of painters, and Wang describes himself as an aesthete. “Beauty of course has personality,” says Wang, and moreover the expression of beauty definitely requires skill and effort. It is not something you just come up with in a moment of inspiration, but is produced by following your heart on a sturdy foundation of basic skills.

Collecting things of beauty

Collecting antiques is a hobby of Wang’s. When we enter his “Half-Farming Cottage” (besides painting, Wang spends half his time on farming, so he calls himself “Master of the Half-Farming Cottage”), there are sculptures from the Five Dynasties and Ten Kingdoms period (10th century CE) displayed in his living room, works which he has collected over the course of more than 20 years. The facial features of one bust of Prince Ananda unearthed from the tomb of Gao Huan of the Eastern Wei Dynasty reveal farsighted wisdom and compassion. And there is a wooden statue of a “Water-Moon Guan­yin,” sitting in a relaxed manner with her right knee drawn up and her left foot hanging down, whose grace and elegance make the space even more tranquil and harmonious. Next Wang pulls out his collection of incense burners, bowls, and potshards from the Ru Kiln of the Northern Song Dynasty (960‡1127). Such pieces, with their glossy sky-blue Ru glaze and elegant charm, are rarely seen on the market. These artworks have a beauty that has passed the test of time.

Naturally there is a learning curve when investing in antiques, but this is no bad thing, says Wang. At one point, someone wanted to sell him an “Eighteen Arhats Scroll” by Wu Bin of the Ming Dynasty (1368‡1644), but his friends all maintained that it was not authentic. Wang had some concerns, but still bought the work for NT$770,000. Later, he re-sold it through the auction market for about NT$12 million. To his surprise, several years later this work was sold for the record-breaking price of RMB169.12 million (about NT$800 million). As he tells this story, Wang shows us a scroll made from photos of the work that he hired a photographer to take back then. His words reveal something of his pride and joy in his ability to distinguish the genuine from the fake.

In order to authenticate these antiques and paintings, collectors need to gather information from more or less every field of knowledge, and you can get an indication of this from many of the items that grace Wang’s home. The orange-and-white-patterned koi carp in the pond in his front yard are in excellent health, the variously shaped bonsai pine and cypress are the fruits of a long-standing hobby, and in the past he has cultivated orchids too. In each case he has progressed from mere interest to expert proficiency. And all of this can be attributed to the painter’s reverence for life and his passion for beauty.

Now in his seventies, Wang still has a regular and disciplined lifestyle. He shows us the calligraphy that he does upon arising each morning to practice characters and record events, and for many years now his daily routine has included early morning walks when he also recites verse from memory. Recently, the preparations for opening the “Wang Lan Hsiung Museum” have been at the center of his life. He bought the house across from his and has renovated and redecorated it, and there he will display color ink-wash works from over many years that sing the praises of nature, as well as a good number of the extra­ordin­arily beautiful antiques he has collected.

Looking back over the path he has travelled, Wang uses the motto “From shouting to slender streams” to express the understanding he has gained over the course of his life. Art is open to the masses and aesthetics are intuitive, but he no longer pays tribute to nature in the manner of someone dancing to his own tune or shouting from the rooftops. He hopes that his works can interact with the viewer at close quarters, and leave lasting memories of beauty; and he hopes that even more people can enjoy and appreciate them, so that art brings sustenance into our daily existence, providing an essential ingredient to viewers’ lives.

現代感的水墨畫

文‧鄧慧純 圖‧林格立 翻譯‧Phil Newell

在繪畫路上的追尋,王南雄的畫筆未曾停過。從傳統出走,徘徊在抽象、超現實間,又再折返回水墨畫,只是此時,他看到的景致已有不同。畫布上融入了畫家心中的風景,王南雄以色彩走出屬於自己的現代水墨畫,也成為目前台灣唯一榮獲中興文藝獎、中國文藝協會國畫文藝獎、中山文藝國畫創作獎,以及國家文藝獎四大獎項肯定的藝術家。


和畫畫的淵源,王南雄說該從小學時算起,從父親手中接過祖母用過的硯台,王南雄開始磨墨畫畫,「但那時候還算是塗鴉啦!」他說。找不到畫畫的參考資料,他從賣布的三嬸婆那兒,臨摹布匹標籤上關公、觀音像;學校的美術課,同學交出去的作業也幾乎都是由他代筆。從那時起,王南雄執畫筆的手就沒歇過。

不懈的練習,不停的畫筆

初中畢業,沒考上公立學校的王南雄暫到法院當臨時工友,他買到一本坊間出版的故宮名畫集,時常利用空閒時間臨摹書中的畫作。王南雄當時尚未受過正規的水墨畫訓練,拿了道林紙練習,機關裡的長官告訴他畫國畫要用宣紙,他方知有宣紙這東西。當時工友一個月的薪俸120元,假日加班費20元,而一張宣紙就要20元。王南雄就拿加班費,一個月買一張宣紙,趁著假日值班,把法院推事的桌子併成一個大平台,一次畫一大張,一個人揮灑,現在回想起來,那時候畫畫真的很享受,他說。

考上鳳山高中,遇見楊襄雲,指導他水墨的基本技法,從那時起王南雄屢屢得獎,也讓他立定志向,決定報考師大藝術系(今美術系),要以繪畫為終身職志;但藝術系必考的術科「素描」是他從沒聽過的名詞,為此王南雄四處尋求協助,還曾混進女校的美術教室偷學。最後幸運地找到兩位師大藝術系學長指點,惡補了3天的素描,才如願考上師大藝術系,得以繼續在校園內愜意的畫畫。

畢業後王南雄在泰北中學任教,也在校外自營畫室,教導有意報考美術專科的學生。此外,學生家長經營的畫廊,也邀請他寄賣畫作。當時水墨畫很受日本市場喜愛,王南雄那時每天凌晨四點起床,喝一杯咖啡後,就提筆作畫,到學校後,也利用早自習、課間空檔繼續畫畫,一天最少畫4張,足足12年之久,畫了近萬張的作品。創作這類外銷畫其實是當年許多畫家共同經歷、不願說起的過去,但王南雄直言不諱,他說當時的作品大大地解決了他經濟上的困頓,而且畫家對自己的期許,在每一張畫上訓練不同的構圖,練習筆法,也是畫家走出自己風格前扎下的馬步。

用構圖、色彩走出風格

畫家要開創個人風格不是一件容易的事。1963年王南雄考進師大藝術系,當初系上沒有分科,在黃君璧、林玉山、張德文等多位名師的指導下,中、西畫都要學,學校更鼓勵學生寫生與創作。

時值西方現代藝術風起雲湧,而台灣受歐美思潮之衝擊,文化界熱烈地討論著傳統與現代、東方與西方該如何融合、如何體用、如何自處。王南雄當時傾向以現代繪畫的方式來表述自我理念,他曾與同學蘇新田、吳炫三、李長俊等人共組「畫外畫會」,標榜視覺震撼,「我們每一次畫展,都找一個主題,用不同的形式去呈現概念。」水墨、油畫、噴畫、版畫等都曾是王南雄實驗的方式。「我正嘗試和徘徊於中西方畫家的十字路口,不知何去何從,但我勇敢面對。」這不僅是畫家的自述,想必也是每個想藉由藝術表達自我的藝術家所必經的掙扎與過程。

1980年,王南雄離開教職,因緣際會下他回到恩師黃君璧的身邊,每天接送黃君璧,師生兩人一起看畫展、飲茶、談生活、聊藝術,幾乎每天碰面。王南雄說:「我從現代繪畫走回比較傳統的水墨畫,起點是在黃君璧那邊感覺出來的。」長時間的相處,王南雄發現兩人的賞畫角度不同,常常他認為好的,黃君璧卻是搖頭。讓他反省其間差異何在?於是他再翻出故宮的畫冊臨摹,從最基礎開始,一張一張重新畫回傳統山水。當他再把新創作的作品拿給黃君璧看時,黃君璧一看就說,這是市場上沒有的風格,馬上鼓吹他辦畫展,也讓王南雄確認自己的現代水墨路線。

傳統的水墨畫寫意居多,畫的是畫家心中的山水;而王南雄把大學時期接受的西方寫生、素描、透視等繪畫原理,轉用到傳統水墨畫裡。他寫生,以大自然為師,以墨筆歌詠自然,黃君璧曾說:「王南雄的畫,十分生動,看他的雲在動,風在動,水在動,這已達到作畫的要領,由靜而動,得來十分不易。」王南雄更用顏料為傳統山水添色,四季的變幻,春之新綠,夏的湛藍,秋的紅楓,冬之瑞雪,都成了畫布上的色調。他走訪世界,收納各國美景到他的筆下,除了台灣傳統的紅瓦屋與鄉間田野景致,大阪城櫻花的絢爛、歐洲古堡的壯美、摩洛哥漁市的朝氣、印度恆河的莊嚴,都成了宣紙上的座上賓。但他總喜歡在廣告顏料裡調一點黑墨,降低明度,使色彩不俗豔,水墨畫還是要留有筆墨的韻味,這是他的堅持。

要讓市場接受顏色豐富的水墨畫需要時間。許多人看不慣王南雄的創新構圖,但他不死心的一次次地將作品送去參加各大文藝獎,讓評審從一開始排斥到肯定,也讓他的風格為市場所接受。一路走來,王南雄說他心中秉持的是對美的追尋。「美」是畫家心中的尺,王南雄說自己是唯美主義者,當年在學校提到美,大家都說美就沒個性了。「美當然有個性。」王南雄辯駁,而且美的表現,一定是下足功夫,不是靈機一現的取巧,而是奠基在紮實基本功下的隨心所欲。

典藏「美」的事物

王南雄另一個嗜好是收藏古物,他對骨董的興趣不在其歷史價值,而在其美感。走進他的「半農廬」(除了畫畫,有一半時間在務農,故王南雄自稱「半農廬主」),客廳裡陳列數尊五代十國時期的雕刻,是他二十多年來的收藏,一尊東魏高歡墓出土的阿難頭像,眉目間透著睿智與慈悲;唐朝的天衣石坐佛,造型端正莊嚴,讓人望而生畏。而坐立在窗邊、右膝曲起、左足下垂呈自在坐姿的水月觀音木雕,其雍容典雅,讓空間更生靜謐和諧。王南雄接著掏出各式龜、龍造型的硯台,石刻的技術與精美程度讓人嘆為觀止;更有北宋汝窯出品的香爐、碗、碎片的收藏,天青的釉色和蘊潤高雅的丰韻,更是市面上難得一見,這些藝術作品皆熬過時間的淬煉,是經得起考驗的美麗。

投資骨董這一行,當然也繳過學費,但這全然不是壞事,王南雄說。當年有人想轉售明朝吳彬的《十八應真圖》,應真在印度語中是羅漢之意,畫中有18羅漢,還有乾隆皇帝的題款、題跋,但朋友都認定非真跡。王南雄心有疑慮但還是以新台幣77萬元買下。其後,他轉手在拍賣市場以約新台幣1,200萬元賣出。沒想到幾年後,這幅作品又以創新高價1億6,912萬人民幣成交(約新台幣8億元)。他一邊展示當年請攝影師翻拍留底作紀念的卷軸,一邊說著這個曾經擁有的故事,言談間流露他識得真品的一絲驕傲與喜悅。

而要鑑別這些古物、名畫,收藏者於各門派知識多少需要涉獵,這又從王南雄的居家布置可見端倪。前庭水池裡的橘白花紋的錦鯉養得極好;院子裡一株百年的梅樹,歪斜的軀幹也自展風骨;一盆盆姿態各異的松柏盆栽,是他早年的愛好,他還養過蘭花,每一項都從興趣到究極,已臻專家之境。而這一切,該歸結畫家對於生命的歌詠與對美的熱情吧!

已過從心所欲不踰矩之年,王南雄還是生活自律,他展示著一早起床習字兼記事的書法,每日晨走兼背誦詩詞是長年來的日常。而近日生活重心是籌備「王南雄美術館」,他把住家對面的房子買下重新裝潢整修,展示多年來以色彩水墨詠贊自然的作品和收藏的諸多絕美古物。

回首來時路,王南雄為自己寫下「從吶喊到細流」的字句,不是說明他的畫風,而是畫家一路走來的體悟。藝術是開放給普羅大眾的,美感是直覺的,他不再獨舞式地、吶喊式地歌詠大自然,他希望自己的作品能近距離與觀賞者交流,讓人長長久久回味這無窮無盡的美感。畫家更希望自身領悟的美善,能化成涓涓細流,讓更多人分享、體會,讓藝術成為生活中的養分,滋潤賞畫者的人生。

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