「先進諸国のインフラと第三世界の賃金、土地コスト」と、徳隆紡織のGM劉橋松氏は南アフリカの投資環境を説明する。120万平方キロの国土に僅か4000万の人口、インフラは欧米並みのレベルに完備し、物価、地価、賃金はずっと安い。土地が狭く人口密度が高く、投資先を開発し続けなければならない台湾企業にとって、南アフリカは理想的である。
南アフリカ中部のレディスミス町に位置し、5万平方メートルの敷地を有する徳隆紡織は、1987年9月に機械を設置、翌年9月から生産を開始した。「社長は大陸や東南アジアなど各地を視察し、最終的に南アフリカを選びました。その主な理由は、駐在員の居住環境と教育でした」と劉橋松さんは言う。台湾の紡織業界で30年余りの経験を持つ徳隆は、12年前に南アフリカを海外拠点として選び、今では従業員800人が三交代で一週間に7日間操業する大工場である。主に羊毛に似た手触りのアクリル糸とアクリル混紡糸を生産し、南アフリカの川下ニット工場150社に供給している。
徳隆に続いて、台湾のニット工場が数十社工場を設立し、川下にかけて紡織の生産体系を形成した。しかし最近では大陸が廉価製品の南アフリカ向け輸出を開始し、川下のニット工場に大きな打撃となっている。すでに10社近くが支えきれずに、転業したり大陸に移転してしまった。
オートメ化も従業員削減の理由の一つと、工場長の林釗漢さんは説明する。南アフリカの労働者の訓練にはほぼ三年かかり、組合の力も強いので、オートメ化の方向に努力し労働力の削減を図る。
「南アフリカは労働組合と治安が問題で、儲かっても生命の保障がないのです」と、劉さんは苦笑する。ここ数年の台湾企業の撤退に、治安悪化が大きな理由となっている。
去年は一週間で中国系の4工場が強盗にあったと、1994年の政権交代後の治安悪化に誰もが隔世の感を抱く。
ここ数年、南アフリカの台湾企業のニュースと言うと、どこが強盗にあったとか、果ては殺されたと言う報道ばかりである。一昨年はヨハネスブルグ駐在総領事が、ある宴会の席上で公然と強盗に襲われ、流血騒ぎとなって大きな関心を集めた。
1998年の春、連合報紙の南アフリカ特派員黄淑麗さんが暴力と背中合せでいるヨハネスブルグの台湾企業を取材し、多くの台湾ビジネスマンが危険を犯してビジネスをしている様子を描いて見せた。
「今年の旧正月前夜、ヨハネスブルグの繁華街で黒人の窃盗犯が、街中で射殺される事件が2件続いた。そのうち1件は台湾人駐在員が自衛のために発射したものだった。この事件の後、黒人の中国系排斥感情が高まり、元々暴力と背中合せにビジネスをしていた台湾企業は、さらに不安と脅威を感じることになった」と書いている。
この報道では、同じ日に発生した二つの事件をこう説明する。既製服の問屋を経営するある台湾企業の社長の奥さんが、ある日女性店員がみな太って見えるのに気づいた。調べてみると、全員が商品を数枚重ね着していた。警察に通報したが、警官は調書を作ってから、これからはこんな些細なことで警察を呼ばないで欲しいと言ったのである。
怒った奥さんは、隣りの同じく華人が経営する電器製品問屋に愚痴をこぼしに行った。ところが店の前には、窃盗容疑者数人が手錠をかけられている。よく聞くと彼らも店の従業員で、経営者が帳簿を見ている隙にベランダから扇風機を運び出し、小型トラックに積み込んでいたという。不審に思った向いの商店が通報し、警察が来たときにはすでに75台の扇風機を積みこんでいて、その場で捕まった。
このような窃盗事件は毎日起きており、明日はどんな悪運が自分に降りかかってくるか、誰も知らないと、報道は結んでいる。
「数日前、ヨハネスブルグの警察署長が辞めさせられ、その時に記者会見をしました。そこでまず、南アフリカの治安は改善の見込がないこと、黒人は長年人種差別の暴力の中で生き抜いてきたため、潜在的に憎悪をため込んでおり、文化として暴力傾向にあると言ったのです。これからは自分で気をつけるしかありません」と、徳隆社の業務財務担当の張啓章さんは、警察署長の率直さに感謝するといいながらも沈痛な面持で話した。
治安と共に、労働組合も投資家には頭痛の種である。
40年前、南アフリカはヨーロッパから労働組合を導入し白人労働者を保護したが、ヨーロッパ式の法律は発展途上国に馴染まないと言われた。1996年11月に施行された新しい労働基準法は、賃金の団体交渉と100人以上の会社での労使フォーラム設立を盛り込み、これも発展途上国の企業には不利と見られる。
経済学者の理論によると、経済成長を加速させ失業率を引き下げるには、労働者の権利を必要最低限に抑え、労働市場により雇用と賃金を決定するのが望ましい。こうして製品コストが下がり、国際競争力がついて、雇用が増大し、結果として労働者の利益に適うのである。経済の発展に合わせ、最低賃金、就業時間数、退職金などの権利を段階的に拡大していくと言うのが、台湾、韓国、シンガポール、香港などアジア・モデルであった。
しかし、南アの労働組合はアジア・モデルを拒否し流血の対立も辞さず、政府も敢えて干渉しなかった。この労働基準法が南ア経済に足かせとなり、高い失業率は10年以内に解決しないと見られる。
一方では、労働法専門の弁護士の分析によると、雇用側が労働者の管理不可能になるほど厳しいものではないという。労働者と良好な関係を確立し、会社の経営状況を理解させ、共存共栄の共通認識を育て上げればいいのである。
徳隆社の経営陣も社員の士気と福利に注意し「社員には親しみやすい態度で接し、意見を尊重し、コミュニケーションを図っています」と言う。徳隆社では人件費と効率向上を一番気にかけ、経済的規模を具えるにはオートメ化が必要と感じている。
営業については、一歩一歩市場を開拓してきた。
最初は難しかったと言う通り、最初の五年間、営業担当の管理職は毎月1万キロを運転して、新しい顧客を開発していった。徳隆社では原料輸入から生産販売まで一貫したシステムを採用している。
南アフリカの多くのメーカーは、徳隆社と同じく経営や成長に自信と誇りを持っている。中国人は勤勉で苦労に耐え、大抵は何とかやりとおすと劉橋松さんは言う。
世界でも美しい町に数えられるケープタウンには、裕福な台湾人実業家が多い。それぞれの領域で成功し、生活環境に満足している。治安は問題だが注意すればいいという彼らだが、断交後に次第に中華民国との関係が冷え込む中で、政治経済環境の変化にどう対応したらいいのか。将来の目標はと聞くと、答えられなくなる。
例を挙げよう。政府は労働法に平等雇用を謳い、行動を評価する基準として、期限を切って黒人と女性管理職のの比率達成を定めている。50人以上の会社には黒人管理職がいなければならない。台湾人実業家はこの主旨には賛成だが、管理職には基本的な教育水準と能力が必要だと言う。それを規定通りにやってもうまく行かない。
経済の衰退と高い失業率が治安を悪化させ、それが景気の足を引張る悪循環の中で、民生関連の産業を主とする台湾の中小企業の長期的発展は楽観できない。
国交断絶後、台湾からの多くの投資計画がストップし、1989年の18億米ドルから現在は12億ドルに減少している。さらに南アフリカと中国との国交樹立後、廉価製品が大量に輸入され、市場を直撃している。南ア中部の台湾系既製服、ニット工場は撤退し、労働者の失業が景気や治安に影響する。「中国は出て行け」と叫ぶ失業労働者の声が聞かれ、華人排斥の感情が高まり、台湾人も巻添えを食う。
台湾の緊急課題は、海外進出企業のハイテク情報化を進めて中国大陸との差別化を図ることである。具体的な方法として経済部などの組織が海外進出企業を指導し、市場分析などの情報を提供、さらに技術指導や低利ローンの提供などにより、企業の構造転換を促進することが考えられる。
徳隆社などすでに相当の規模を備えた会社では、研究開発とコスト削減を進め、規模の経済を達成し、輸出市場を開発するなど、本業の問題は自分で解決できる。しかし、全体の政治経済環境となると、劉橋松さんにも適切な答はない。
「いつまで会社を経営できるものか、台湾人の部下に何か起ったらどうしたらいいのでしょう」と聞き返す劉さんの問題は、南アフリカの台湾人実業家共通の疑問である。これに誰が答えられるのだろうか。