台湾は各地の中華料理が集まる場所だ。世界中から華人がこの島へ料理を持ち寄り、互いに刺激と融合を重ね、磨き抜かれた料理の数々を作り上げた。レストランでも家庭の台所でも、それぞれ独自の料理方法が繰り広げられている。そして、それら料理の背後には、歴史の流れの中での、それぞれの家族の物語がある。
『雲南菜上卓:馬幇之女的爆香食冊(雲南料理のお出まし)』という書籍が、料理に関するエッセイに新たな流れを生んだ。作者の賀桂芬は、タイ北部出身の華僑だ。簡単なレシピで様々な雲南料理を紹介すると同時に、タイ北部のメーサロンにおける華人の家族史をつづる。
美味しい中華料理に興味があるという人に、「雲南料理を食べたことがありますか」と尋ねると、しばらく考えた後に頭を振って「ないですね。あまり聞かないし」と答えるだろう。そこで「じゃ、豚の頭の皮をスライスした大薄片を食べたことは?」と尋ねると、柔らかくコリコリした歯触りと、ピリッと辛いタレの味を思い出し、「ああ、あれは雲南料理だったんですか」という答えが返ってくる。
実は、台湾の街角のタイ料理店で出される豚皮スライスや、肉と漬物の炒め物は、雲南料理であることが多い。食べたことがあってもそれを知らないだけだ。『雲南菜上卓』で、作者の賀桂芬もはっきりと書く。「実は世界的に見て、タイ料理と雲南料理は何の関係もない。ただ台湾でだけ密接につながっている。それは、1970年代の小さな「民族移動」が原因だ。当時のビルマでは1960年代に中華文化排斥のムードが高まり、華人の子弟(雲南籍)の多くがタイの中華学校で学んだ。中学卒業後は台湾に進学する華人が多く、彼らの一部が台湾で飲食店を始めた。その出身や経歴がタイとミャンマーの味を結び付け、台湾で花開いたのである。したがって豚皮スライスとグリーン・カレーは台湾では同じ家族なのだ」
『雲南菜上卓』はジャンル分けの難しい本だ。辛味と酸味の効いた雲南料理を紹介するレシピ本であることは明確だ。そこで繰り広げられる雲南料理の世界に、グルメで料理好きの読者なら、読み終えないうちから市場へ走ってスパイスや食材をそろえ、シンプルかつ本場の雲南料理を作ってみることだろう。
だが、本書の最もユニークなところは、レシピによって家族史を描き出したこと、ひいては人々が移住を重ねた時代までをも切り取ったことにある。レシピという形式は、両親に対する彼女の思いを表す道具となった。軽快なタッチながら情感をにじませ、歴史を背負った様々な雲南料理を書くことで、親への思慕、食の継承を通した兄弟の絆、そして母となった自分が雲南料理を娘に食べさせる思いを浮かび上がらせた。

雲南料理を作ることは賀桂芬にとってタイ北部メーサロンの故郷を思い出すことでもある。料理は手慣れたもので、1時間もしないうちにスープと5皿の料理がテーブルに並ぶ。
賀桂芬はタイの華僑である。タイ北部メーサロンは彼女にとって忘れがたい故郷だ。中学卒業後に台湾に来て進学し、現在は『天下雑誌』の副編集長を務める。メーサロンという地名に覚えのある台湾人は多いはずだ。柏楊の名作『異域』が、メーサロンに暮らす国民党軍とその子孫を描いていたからだ。国民党政府が台湾へと移転した頃、第93師団(大部分が雲南人)は当時のビルマ国境から撤退してタイ北部標高1000メートルの山岳地帯にあるメーサロンに定住した。『異域』が描くのは、兵士とその子孫が異国でまさに「孤軍奮闘」する姿だった。それから数10年、メーサロンの華人は次第に世界各地へと散らばった。そして、かつては華人の苦難の地であったメーサロンも、風光明媚な観光地へと姿を変えた。
賀桂芬の同書で最も心に響くのは、メーサロンでの美しい子供時代と、家族の食へのこだわりの思い出である。昆明育ちの父は、丈の長い中国服をさっそうと着こなす優雅な人だった。そして食事となると、昼ご飯を食べているうちから夕食の献立を考え始め、夕食の御馳走に舌鼓を打ちながら、夜食には何を作ろうと言い出し始める。では母親はと言うと、すこぶるつきのスーパーウーマンである。「我が家では、あるじは女性だった」と作者は書く。趣味にいそしむ男どもをしり目に、一家を養う大黒柱は「仕事でも市場でも麻雀卓でも凄腕の、保山生まれの母」だった。

米粉の麺に簡単なソースをかけただけの料理。さっぱりしていて満腹になり、胃腸にもやさしい。
保山は雲南中西部、騰沖と大理の近くにある。母親は少女時代に国民党軍雲南遊撃隊に入った。金と権力のある将軍からの申し出を拒み、貧しいがハンサムな父親と結婚した。
メーサロンに定住した後は、母親は家計のために一人で山間の村に入り、地元住民にアヘンを売る代わりに農作物を仕入れ、山のふもとで売った。その稼ぎで生活用品を仕入れ、再び山の人々に売る。度胸と頭脳を兼ね備えた女丈夫だった。しかも料理好きで客をもてなすのが大好き。よその家が美味しい料理を作ると聞けば、そこの台所に入り込んで学んでくる。タイ北部少数民族の料理も同様にして習得してくるので、賀家の食卓には早くから様々な文化が溶け込んでいた。
作者は、保山の様々な伝統料理を紹介することで母親を記す。例えば鶏肉の唐辛子炒め。まず、ショウガ、ニンニク、ネギを炒めて香りを出し、鶏肉を加えて炒める。塩や醤油を少々加えて汁気がなくなったら出来上がり。ご飯によく合うピリ辛の家庭料理で、父親が最も好んだ。鶏肉の代わりに牛肉、豚肉、豚レバー、牛レバーやマメなど、肉類なら何でも美味しく作れる。
本書には「馬幇之女的爆香食冊(馬幇の娘によるレシピ)」という副題がついている。「馬幇」とは、中国、ミャンマー、タイ国境で商う貿易商のことで、作者の両親のルーツだ。数年前、両親が相次いでこの世を去った後、賀桂芬は雲南への一人旅を決めた。両親に思いを馳せ、ルーツを探る旅だった。「両親が生きていた頃は、雲南が故郷とは思わなかったが、親が亡くなった途端、見えない糸が私を引っ張るのである。そうして両親が歩いた道をたどると、雲南の料理によって幼い頃の味を思い起こし、両親が残してくれた料理地図を描くことができた」
旅の2ヶ月間、彼女は雲南をくまなく回り、親戚を訪ね、数多くの少数民族料理を食べた。やがて両親の記念に雲南料理のレシピを書こうと思い至り、5年の熟成を経て同書は完成した。

賀桂芬は台北の自宅の庭にさまざまな香辛料やハーブを植え、料理に使っている。
台湾に数あるグルメ本は、大きく二つの流れに分けられる。一つはエッセイで、初期には梁實秋や唐魯孫といった大家が北京料理について書き、その流れを、林文月、焦桐、蔡珠児、舒國治などの作家が継いでいる。扱うのが豪華な宴席料理にせよ、庶民の屋台料理にせよ、いずれも文学の香り高い作品である。もう一つは、近年とりわけブームになっているレシピ本で、プロのシェフである阿基師が書いたものもあれば、素人のブログまで様々で、内容も家庭料理からスイーツまで何でもそろい、それぞれに一定の読者がいる。
だが本書はそうした分類ができない。料理の作り方を記した雲南料理入門レシピ本であることは確かだ。タレの作り方、和え物、スープ、炒め物と一通りそろえ、レイアウトも優れている。香草をふんだんに使い、食材そのものの味を大切にする雲南料理は、現代のヘルシー志向にもぴったりだ。だがその一方で家族の物語をつづり、歴史や広い文化にふれる本書は、台湾では数少ない、一地方料理の食文化を扱った本なのだ。
分類し難いところが、独自性だとも言えよう。料理に花を使うのも雲南料理の特色の一つであり、キワタ、ジンジャー、バショウ、ジャスミンなどすべて食材になる。同書も一輪の珍しい花のように、百花繚乱のグルメ本の中で、鮮やかな香りを放っている。

父親の賀万成(右上)と母親の李月琴(左上)は雲南とミャンマー、タイ国境地帯の貿易商(馬幇)の出身で、二人が開いたメーサロン初のホテルは早くから『ロンリープラネット』にも紹介されてきた。

父親の賀万成(右上)と母親の李月琴(左上)は雲南とミャンマー、タイ国境地帯の貿易商(馬幇)の出身で、二人が開いたメーサロン初のホテルは早くから『ロンリープラネット』にも紹介されてきた。

父親の賀万成(右上)と母親の李月琴(左上)は雲南とミャンマー、タイ国境地帯の貿易商(馬幇)の出身で、二人が開いたメーサロン初のホテルは早くから『ロンリープラネット』にも紹介されてきた。

雲南料理は天然の香料とハーブをふんだんに使う。簡単に和えたり、煮たり、炒めたりするだけでスパイシーな料理が出来上がる。

父親の賀万成(右上)と母親の李月琴(左上)は雲南とミャンマー、タイ国境地帯の貿易商(馬幇)の出身で、二人が開いたメーサロン初のホテルは早くから『ロンリープラネット』にも紹介されてきた。