大地に語らせる
茶農家の簡嘉文や葉人寿が自然農法を採用したきっかけは、2009年の台風8号(モーラコット)がもたらした八八水害だった。この台風では5日間で一年分の雨が降り、大規模な土石流や山の崩落が発生した。太和村で土地神様を祀っていた振興宮は建物全体が100メートル下の谷に崩れ落ち、樹齢百年、十階建ての高さにまで伸びていたクスノキも瞬時に地中に埋まってしまった。
この甚大な災害をきっかけに、人々は大地との関係を見つめ直した。簡嘉文は家族の反対を押し切って粗放農業で茶葉を育てることにし、古い家を改修して自然茶手作坊を設立した。
「自分は正しい方向に向かっていると信じていました。最良の管理は、管理をしないことです」と簡嘉文は言う。最初の2年、農薬をやらずにいたところ単一種の虫に食われてしまった。除草剤もまかず、手で草取りをしていたが、弱い品種の茶樹は病気で葉が枯れてしまい、自然に淘汰させるしかなかった。
こうして4〜5年すると、茶畑は本来の生態系を取り戻し、虫を食べる捕食者が増えていった。茶樹自体も長年の放置によって自らの保護メカニズムを取り戻した。土壌中の微生物が腐植層と養分を生み、茶樹は抵抗力を高め、こうして育った茶葉は大地の滋味を持つ。「大自然は実に不思議です」と簡嘉文は言う。
同じく茶農家の葉人寿も、八八水害をきっかけに自然農法に切り替えた。彼は災害時に目の前で友人知人を失い、30年余りをかけて育ててきた茶畑は土石流で200メートル下まで押し流されてしまった。災害によって他人の所有地へと押し流された茶畑だが、その後、誰も手入れをしなくても、たくましく育っていた。これを目にした葉人寿は茶の粗放栽培を試みることにしたのである。
だが、茶葉は虫に食われて形が整わず、茶樹の足もとには雑草が生い茂った。住民の9割が茶農家という太和村において、葉人寿は「廃人」とか「完全にやる気を失ってしまった」などと言われたが、彼は「自分は正常だ」と自らに言い聞かせていた。
自然農法を採用する茶農家にとって、生産量の減少は大きな課題だが、「生産量が少ないのは正常なことで、増産のために肥料をやる方が正常ではないのです」と言う。季節によって茶葉の特性も異なるので、その香りと味をいかに引き出すか、製茶技術も試される。
簡嘉文と葉人寿は、粗放農業や自然農法といった大地にやさしい農業を営む中で、大地と共存する道を学んだ。大自然は大きな破壊力を持つだけでなく、生命と恵みをもたらすのである。
例えば2018年の冬茶の場合、慣行農法を行なっている茶園は寒波に見舞われて減産が相次いだが、葉人寿の茶畑では逆に生産量が増えた。長年にわたって地力を蓄えてきたおかげで、茶樹は冷たい風にも耐えることができたのである。自然農法によって、気候の変化の影響を受けにくくなったと葉人寿は言う。
茶畑の中の茶屋には、愛好家が茶を味わいに集まってくる。