経済学科の理性と芸術家の感性
台湾大学経済学科を卒業した邱馨怡の人生は、芸術創作へと大きく方向転換したが、経済学科の学生らしい理性的な思考は色濃く残っていた。
邱馨怡が選んだ最初の仕事は、理性的な計算から絵画と関係するゲームのアニメーターだった。これは経済学でいうリスクヘッジだと話す彼女は、芸術関係で留学したいと思っても、技術的に未熟なことをよく知っていて、留学前に万全の準備を整えたかったのである。
映像プロジェクトに参加し、自信を取り戻したものの、それでも絵筆を捨ててから数年が経っていて、技術的に未熟でタッチも戻っていなかった。
ゲーム会社でキャラクターを描くことで、練習の機会を得ることができた。同僚はアニメを描きながら、ネットサーフィンするのが一般的だったが、邱馨怡のデスクの二台のモニターは一台が作画用、もう一台はYouTubeの3Dやアニメの描き方講座であった。
ゲーム会社で3年の経験を積み、2014年にメリーランド芸術大学に入学を認められ、生まれて初めて美術の専門訓練を受ける準備が整った。
出発前夜、邱馨怡は不安や緊張よりもむしろ期待に興奮していた。そして入学後の最初の学期に、すでに先生に高い評価を受けることができた。
それまでも、邱馨怡の才能は高く評価されていた。ゲーム会社の経営者は速くて正確な彼女の仕事を称賛してくれたのだが、彼女はそれを深く気に留めていなかった。
メリーランド芸術大学での最初の学期に、学生は1カ月以内に作品を提出しなければならなかった。ほかの学生はドラフト、プロトタイプと順番に提出していたが、彼女の進度は著しく遅れ、先生からしばしば催促されていた。ほとんどの時間を構想に費やして迷っていた彼女は、最後の一週間で一気呵成に作品を完成させたのだが、その作品は高く評価された。初めて専門家から評価されたことで、彼女はようやく自信を持つことができたのである。
台湾での生活とは異なり、昼間は授業に専念し、授業が終わると夜中まで創作に没頭した。日夜分かたず創作に没頭しても苦にならず、むしろ楽しかった。
アメリカでの最初の年に、邱馨怡のCGイラストは作風が安定してきたが、この時になって自身の画風を大胆に一変させ、絵筆と紙の原点に戻ることを決意した。CGでは、色彩も線や滲みの効果もコンピュータが計算するが、手描きの世界は全く異なる。「絵を描いたことがない人が最初に筆を執るくらいに難しいのです」と語るが、それでも手描きの持つ温もりと質感に彼女は魅せられた。
手描き路線はなお模索中だが、二年余りのアメリカでの経験で、彼女はイラストの世界の様々な可能性を間近に目にした。台湾ではイラストは片手間仕事で、生計を立てるのは難しいが、アメリカではマーケットが成熟している。イラストレーターの収入は言うまでもなく、商品パッケージのデザインから絵本まで活躍できるジャンルは幅広い。邱馨怡は中でも難易度の高い雑誌など出版物のイラストに挑んだ。「難しいのは、一枚の絵に深い意味を語らせることです」と言うが、彼女が最近依頼を受けたのは、アメリカの雑誌の挿絵だった。
3年前に芸術大学の入学申請のために描いた二十四節気シリーズが、最近になって台湾のネットで大きな評判を呼んでいる。意外な反響の大きさだが、邱馨怡はそれも不思議ではないと思う。と言うのも、クリエイター向けの画像投稿サイトBehanceを通して、邱馨怡の作品は中国のSNS微博で評判になり、二十四節気の作品を愛する中国のネットユーザーからの書き込みが相次いでいたからだ。
二十四節気が台湾のSNSでも話題となり、邱馨怡は落ち着いた様子で、改めてこの作品を整理する機会と捉えた。ネットで二十四節気の構想を解説し、3年前には動きのないイラストだった立春魚と寒露鴨を、生き生きした動きのある絵に差し替えた。
最後の大寒鷹を完成させ、邱馨怡の二十四節気シリーズは一区切りとなった。そして「新しい作品に挑戦する」とフェイスブックで発表した。二十四節気で始まった創作生活は、大地が春夏秋冬の四季を繰り返すように、新しい旅を続けていくのである。
邱馨怡はメリーランド芸術大学(MICA)を出て、ハードルの高い雑誌のイラストレーターを目指す決意をした。
一度は絵筆を手放した邱馨怡だが、若い彼女は 今は創作の道を歩む決意を固めている。写真は 彼女の絵本『Stone of Youth』。
二十四節気シリーズでも学校の課題でも、 邱馨怡の作品は遊び心を感じさせる。