記録する価値ある瞬間を描く
記録する価値ある瞬間はほかにもある。農村の変化や原住民政策の影響については、《農家》や《山居(太魯閣)》、そして《東台湾臨海道路》といった作品から垣間見ることができる。
《農家》は彰化で描かれた作品だ。彰化は地下水が豊富な地域であり、画中には水が多く描かれている。しかし、洪副教授がこの作品についてより語りたいのは、1934年に台湾総督府が推進した「部落(集落)振興計画」だという。伝統的な野生味あふれる農村の風景は変わりつつあり、画中の木々は剪定などの手入れがされ、欄干や整然とした水路が現れている。
この変化をより鮮明に理解するには、陳澄波の別の作品《松邨夕照》(松村夕照)と比較するとよい。同じ場所を描きながらも、より荒々しい筆致と濃密な色彩で、伝統的な農村の力強い生命力を際立たせている。「この二つの作品を並べてこそ、陳澄波が『変わりゆく風景』を記録しようとしていたことがわかるのです」
《東台湾臨海道路》と《山居(太魯閣)》は、陳澄波作品の中では珍しく、原住民がテーマとされた絵画だ。
《東台湾臨海道路》には集落があり、一組の原住民の母子の姿が描かれている。また、現在も残るビーチ・崇徳礫灘が描かれている。しかし、視点や比率は単一ではなく、多視点の透視投影法が取り入れられている。同様に、《山居(太魯閣)》の構図もまた、タロコ族がまだその地で生活していた頃の様子を捉えた作品だ。しかし、この作品では山々と原住民、そして外来者の描かれ方にサイズの不均衡が見られる。この構図こそが画家の創作理念、「描くに値する瞬間を捉えること」、そしてそこに「somethingを持たせること」を映し出している。
陳澄波が《山居(太魯閣)》を完成させた直後、この地域は「次高タロコ国立公園」に指定された。「国立公園に指定されると、次第に遊歩道や観光施設が整備され、メディアにも取り上げられ、訪れる観光客が増えていきました。かつて原始の野生に満ちていた太魯閣の山々は、次第に改変され、新たな姿へと作り替えられていったのです」と洪副教授は説明する。
こうした変化は、当時の陳澄波や知識人たちが注視していたものであり、画家として記録に残した瞬間でもあった。
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《濤聲》(濤声)、1939年、キャンバスに油彩、91×116.5cm。個人蔵。
今回の展示における芸術と自然の対話は、この作品《濤聲》に描かれたオオハマボウを手がかりに始まった。.