勉強のできる「道士」
基隆の中元祭でメインの法要会場の儀式を取り仕切るのは「雷成壇」という道観だ。そこの道士は「紅頭道士」と呼ばれ、赤い頭巾を巻いている。主に「度生」つまり祈祷や慶事の儀式を執り行う。台南や高雄に多い黒頭巾の道士は、「度生」だけでなく「度死」、つまり葬儀や死者の供養なども行ない、司る儀式の範囲は広い。
流派の違いを問わず、道士は人と神の間の懸け橋の役割を果たしている。雷成壇の六代目を引き継いだ李銘峻さんによると、従来の社会では、道士は一般の人々より豊富な知識を持っていた。抄書や誦経、星の観測などもでき、伝統社会における知識人だったのである。
そのため、現在でも道士の育成は容易なことではない。基本的な儀式の規範だけを見ても、どの儀式でも経典や詩の台湾語での読誦ができなければならず、儀式における所作や身のこなしも学ばなければならない。
これらの学習の過程を振り返り、李銘峻さんは、暗記が苦手で他の人の2~3倍の時間がかかり、ずっとテープをかけっぱなしにして覚えたりしたという。「今でも毎日勉強しています。道士の学習に終わりはありませんから」と言う。
彼は慶事の儀式を取り仕切る他、普段は雷成壇で各地から訪れる信者のために、八字や紫微斗数などの占術を行なったり、収魂や補運の儀式、おみくじ解釈なども行なう。仕事の範囲や内容は実に多種多様だ。李銘峻さんは、道士は民俗信仰における弁護士のような存在だという。「弁護士は法律と書状作成に精通していて、人々の法律上の権益を守ります。私たち道士は、経典と儀式に習熟していて、信者のために必要な文書を書き、その願い事を神にお伝えしたり、儀式を通してその目的を達成するのです」

雷成壇の台の上には、法要などに使う器具が「心」の字の形に並べられている。一心に道を追求する精神を象徴している。