心を磨く
小学校卒業が迫った頃、伯父が憐れむように陳啓村を見て、将来何をしたいか尋ねた。幼くしてすでに物わかりの良かった彼は、技術を身につけたいと答えた。半年後、元はいとこが行くはずの弟子入りを、本人が嫌がったことで陳啓村が行くことになった。「卒業式が終わると、私は衣類を何枚か携え、伯父とともに台南の師匠のところに行きました」こうして、福州派彫刻店「光華仏像店」が木彫への入門の場となった。
「福州派の年季明けには4年3ヵ月必要です」3年余りは掃除や荷物運搬など雑事に追われる。本業を学ばせてもらえないと彼は焦った。「本気で辞めようと思ったこともありました」ある日ふとした誤解から大声で叱責された。まだ15歳だった彼は思わずかっとなって屋根裏部屋に駆け上がると、たまった悔しさが堰を切ったようにあふれて大泣きした。年季明けに1日でも足りなければ認められず、仕事ができないばかりか、使い物にならなかったと世間の笑いものになる。「親に恥をかかせられない」陳啓村は心を落ち着かせて涙を拭き、黙って仕事場に下りて与えられた仕事を続けた。「弟子入りとは心を磨くことです」
志の高かった陳啓村は寡黙によく働き、学ぼうと努めた。「左側で兄弟子が彫刻をし、右側で姉弟子が下書きの線を入れていました。私はいつもその間に座って紙やすりを使うのですが、こっそり左右を見て学びました」雑務に追われた1日が終わり、陳啓村は小さな屋根裏部屋に横になって天井を見上げ、その日に見た木彫の技を想像の中で真似た。「チャンスは準備のできた人間に与えられます」年季が明けて1年もたたない頃、兄弟子が兵役に行ったことでチャンスが巡ってきた。師匠の林依水は陳啓村の腕に目を見張り、自ら技法を伝授し始めた。入門4年余り、陳啓村はやっと一人前と認められたのだった。
「私の二人目の恩師は、人楽軒の二代目、林利銘先生です」才能を発揮してすぐ陳啓村は、幸運にも台南で最高レベルの仏具店「人楽軒」に入った。独自の考えを持つ林利銘によって集中的に訓練を受け、陳啓村は1年足らずで主席木彫師の座に就いた。だが急な抜擢だったので、まだ駆け出しの若造なのにと中傷を受けた。林利銘の期待に応えようと、陳啓村は一層努力した。
「仏のお導きだったと思います」ある日ふと引き出しを開けると精巧な仏像画があり、1枚めくるごとに美しさに目を見張った。まるで新たな扉が開かれたような思いだった。これ以来、陳啓村は休みになるとバイクにまたがり、北は基隆の月眉山霊泉禅寺、南は高雄の旗津天后宮へと仏像を見て回った。「写真撮影が原因で命からがら逃げたことも幾度もありました」彫刻の質感や技法を撮影しようと仏像の衣をはぐこともあり、仏像の金の装飾品を盗もうとしていると誤解を招いたのだ。一度はその場で捕まり、貯金をはたいて買ったニコンの一眼レフも取り上げられてしまい、必死で事情を説明してやっと解放されたこともあった。それでも「台湾じゅうを巡ったこの経験は後の仕事に大きく役立ちました」と言う。