失われたカンボジアを記録する
許紘捷は2010年、カンボジアで台湾希望之芽協会が行なう無料診療チームのボランティアとなり、それと同時に写真による記録を始めた。2011年からはプノンペンに定住し、個室3部屋、相部屋2部屋の民宿をオープンして生活のための収入を確保した。8年来、彼はカンボジア各地をめぐり、フィールドワークを行ないつつ、この国の変化をカメラに収めてきた。
カンボジアのさまざまな表情をとらえようと、許紘捷は道路沿いに町や村を一つひとつ訪ね歩き、目に入ったものを写真に撮り続けた。メコン川流域やトンレサップ湖の周辺ではクメール伝統の祖先を祭る行事や雨季の終わりに天に感謝する水祭りなどを目にした。時には戦争で荒廃した鉄道沿いに行き、修復された鉄道や沿線住民の暮しを写真に撮った。
許紘捷が出会った人の中には、かつてクメール・ルージュの弾圧を生き延びた人もいた。「カンボジアの知識人は皆殺しにされ、海外へ逃亡した人もいました。隣人や友人が惨殺されるという絶望の中、社会全体が心に深い傷を負い、健康な人も明日の希望さえ持てませんでした」
こうした苦難は許紘捷に多くを考えさせ、自分に何かできることはないかと思うようになった。カンボジアの人々にとっては、若い世代の知識人が育つことの方が、国際援助より大切なのではないかと許紘捷は感じている。
そうした中で、クメール・ルージュの暴政を経験したことのない若い知識人や文化人とも出会った。彼らは自分たちの国の伝統文化の伝承に強い使命感を抱いており、音楽やドキュメンタリーフィルムなどを通して社会に影響を及ぼし、過去を忘れないよう呼びかけている。だが、戦争によって貴重な史料やリソースが失われており、自分たちの文化を知る手がかりは限られている。そこで許紘捷は、映像でカンボジアを記録することの重要性を再認識した。
ましてやカンボジア社会は今まさに急速な変化を遂げており、外資誘致と建設のために大量の文化遺産が消失しようとしている。都市の歴史を物語る古い家屋や寺院も取り壊されようとしており、それを記録する人がいない。
2018年6月に帰国した許紘捷は、撮りためた一万枚に上る写真や資料を整理し、画像と地図を合わせて検索できるデータバンク「柬式符号」を立ち上げた。カンボジアを訪れる他の写真家の作品も募り、内容を豊富にしたいと考えている。
「一つのきっかけになればと思っただけです。将来いつか、カンボジアでこれらの文化ファイルが必要となった時、データバンクが役に立つでしょう。民族の文化が失われてしまったら、己の尊厳も取り戻せませんから」と言う。
許紘捷はカンボジア各地を歩き回り、その変化をカメラに収めてきた。