
近年人気上昇中のヨーロッパ風のパン(サワードウから作られるパン)は、台湾で作られてすでに30年以上になる。写真は「莎士比亜」ベーカリーのヨーロッパ風パンで、左が世界大会で受賞した「ライチ・ストロベリー」。
旅行でパンをおみやげに買うのがトレンドになっている。また中秋節に買う「蛋黄酥(卵黄入り焼き菓子)」も今やパン屋で買い求める人が多くなり、ガレット・デ・ロワ、アメリカン・シナモンロール、ミルフィーユ・エッグタルト、ミルフィーユ食パンなどのヒット商品もパン屋から生まれた。台湾のパン業界は高いレベルを誇るだけでなく、刷新を続けて活力に満ちている。そしてこれらを語るには、「世界一のパン」の話から始めるべきだろう。
気候が稲作に適した台湾では昔から米が主食だった。変化が訪れたのは1950年代、アメリカからの支援で大量の小麦粉がもたらされた。当時は小麦粉袋で作ったズボンを少年たちが穿いたり、「小麦粉を食べて強くなろう」などという宣伝もあり、米に並んで小麦粉も主食に取り入れる食生活革命が起こったと言える。

穀研所の施坤河所長は、同所ベーカリー係の係長だった頃、コーチとして台湾チームを率いて世界大会に出場し、台湾が国際コンテストの舞台に立つ道を切り開いた。
アメリカと日本の血
「台湾の小麦粉の父」と呼ばれ、製粉会社「聯華実業」の創設者である苗育秀さんは、小麦粉の食文化や加工技術を推進するため、1962年に台湾区小麦粉食品推進執行委員会(「中華穀類食品工業技術研究所」の前身、以下「穀研所」)を設立する。そして、この組織は台湾のベーカリー業を牽引する重要な機関となった。
台湾のベーカリー業の発展は確かにアメリカと深く関わっているものの、味は日本の影響を受けている。
日本人は柔らかい餡パンやメロンパンといった菓子パンのほか、カレーパンや焼きそばパンなどの総菜パンも生み出した。台湾はその流れをくみ、葱パン、肉でんぶパン、りんごパンなど独自の味を作り出した。
30年ほど前にはドンクやヤマザキといった日本のパン屋チェーンが台湾にも登場、SOGOや新光三越といったデパートに出店する。そこではバゲットなどヨーロッパ風のパンも少量ながら売られ、そうしたハード系のパンを扱う先駆け的存在となった。
ドンクで働き、台湾人女性と結婚した日本人パン職人の野上智寛さんは、ドンクを辞めて独立後、2000年以降に「羅娃」「野上」などのパン屋をオープンさせ、ヨーロッパ風のハード系パンも一部取り入れ、固定客を獲得している。

穀物や果物から自家培養した酵母を使い、パン職人は重層的な独自の味を生む。
ヨーロッパのパンの魅力
ヨーロッパのパン(フランスのバゲットや田舎風パン、ドイツのライ麦パンなど、サワードウから作られるパン)の登場は、台湾のベーカリー産業と食文化に大きな影響を与えた。
世界パン職人コンテストであるマスター・ド・ラ・ブーランジュリーにおいて、台湾で初めて優勝した呉宝春さんは、自伝『柔軟成就不凡(柔らかさが生む非凡)』の中で、本物のバゲットに出会った時の感動を次のように語っている。「パリッとした皮で、中に大きな穴があり、見た目も格別」「じっくり2回噛むとほのかな酸味が感じられ、歯ごたえは抜群、続いて豊かな小麦の香りが口の中に広がる」
ヨーロッパのパンは、柔らかい台湾や日本のパン、或いは台湾で一般的な食パンやハンバーガーのバンズとは大きく異なる。その特徴は、シンプルな原料を用いて手作りし、多くは外側が硬く、中は穴が多いことだ。だからソースに浸したり、スープとともに食べるのに適している。アジア人がご飯を食べるように、ヨーロッパでは不可欠な主食なのだ。また水分を保つためにパンの体積はたいてい非常に大きくしてあり、ヨーロッパでは常温で何日間も保存できる。
パン職人にとって、ヨーロッパのパンは「作る者で決まる」食べ物だ。原料は小麦粉、酵母、水、塩だけとシンプルだが、細部にわずかな手を加えるだけで大きく異なる多様な個性が出せる。こだわりのある職人は、市販の単一的な酵母菌を使わず、果物や穀類から自分で育てた酵母菌を使う。自家製酵母菌を低温で長時間発酵させると、小麦粉に含まれるデンプンやタンパク質を充分に分解するため、胃腸の弱い人でも胃もたれや胸やけを起こしにくいパンに焼きあがる。

小麦粉の生産量が少ない台湾は、戦後アメリカから小麦粉の支援を受けてパン文化が定着した。主にアメリカと日本の影響を受けている。
世界に羽ばたく台湾チーム
とはいえ、台湾でヨーロッパのパンが現在のように人気となった主な原因は健康のためではない。それは、台湾のパン職人による海外コンテスト出場と関係がある。
穀研所の施坤河所長によれば、海外コンテスト参加の発端を作ったのは、穀研所でかつて副董事長を務めた徐華強さんだという。まず徐さんが、主催者であるフランスのイースト会社「ルサッフル」から、コンテストの出場権を獲得した。続いて、南僑油脂公司の陳正文董事長、徳麦食品の廖本蒼董事長といった業界のリーダーが前後して台北市焼菓子労働組合の理事長に就任し、積極的に「台北国際ベーカリーショー」を開催し、同ショーでコンテストも開くようになった。台北市小麦粉製品業労働組合やアメリカ合衆国小麦連合会からも惜しみない支援を受けている。
2008年には、穀研所ベーカリー係で当時係長だった施坤河さんがコーチとなり、呉宝春さん、文世成さん、曹志雄さん3人が、ベーカリー界のオリンピックと言われる4年に1度のクープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリーに出場した。台湾チームは中国広州での予選で初出場ながら1位を獲得。パリでの決勝に赴き、参加15ヵ国中、フランスに次ぐ準優勝に輝いた。
さらなる高みを目指す呉宝春さんは、2010年に個人対象のパン職人コンテストである第1回マスター・ド・ラ・ブーランジュリーに出場して優勝し、大きな話題を呼んだ。

バゲットとクロワッサンの生地を組合わせることで、バゲットのパリッとした食感とクロワッサンの柔らかさを兼ね備えたパンができる。自由な発想から生まれる台湾のパンは、型にはまらず多様な個性を持つ。
国際コンテストでの活躍
台湾チームの優勝が一時的なものでなかったことは、その後も示されてきた。
施坤河さんが戦績を一つひとつ振り返る。2008年に台湾チームが準優勝、2010年に呉宝春さんが個人大会優勝、2012年には野上智寛さんがコーチとなり、張泰謙さん、林坤緯さん、黄威勲さんのチームが3位入賞。2016年には呉宝春さんがコーチを務め、謝忠祐さん、王鵬傑さん、陳有鋕さんのチームが準優勝。2018年に王鵬傑さんが個人大会優勝、2022年には武子靖さん、徐紹桓さん、李忠威さんのチームが優勝に輝いた。
施坤河さんの説明によれば、クープ・デュ・モンドでは、3名の選手がそれぞれパン部門、菓子パン部門、飾りパン部門を担当し、8時間以内に各項目の100個を超えるパンを完成させなければならない。限られた時間内の多岐にわたる項目で、パン職人の基本スキル、独創性、現場での対応力、チームワークなどが試される。
国際コンテストへの参加が盛んになるにつれ、フランスのナントで2年に1度開催されるモンディアル・デュ・パンも、台湾のパン職人にとって重要なコンテストになり、陳有信さんと陳耀訓さんがそれぞれ2015年と2017年に優勝した。これで、現在までに世界一に輝いた台湾のパン職人は累計7名となった。
この数は確かに誇れるものだ。「台湾の人口やパン業従事者の割合から見ても、或いは小麦を主食としてきた西洋に比べ、台湾は小麦の生産量が少なく、主に輸入に頼っていることを見ても、台湾にこんなに多くの世界チャンピオンがいることは奇跡と言っていいでしょう」と武子靖さんは言う。

かつて「若いヒーロー」として『台湾光華』で紹介した武子靖さんは、学生時代に呉宝春さんの助手として海外コンテストに参加したことがある。基本技術の確かさを施坤河さんに賞賛される彼は、今や「世界一」の一人だ。
台湾の食材を発掘
世界大会の指定項目で作った「国の特色を出したパン」は台湾でも人気を集めた。当初は多くの客から「あの大きなの」と呼ばれた、呉宝春さんの代表作のリュウガンパンとライチパンは、一般大衆にとってのヨーロッパ・パンのイメージとなった。また薪焼きリュウガン、酒醸(米の発酵食品)、ライチなど、台湾で馴染み深い食材を加えたことも大衆の受け入れを容易にした。このことは、台湾の優れた農業や加工技術がパン職人の重要な後ろ盾となっていることも示している。
「莎士比亜烘焙坊(シェイクスピア・ベーカリー)」創業者の王鵬傑さんは、世界一となった台湾で2人目のパン職人だ。2018年には「ライチ・ストロベリー」パンを国の特色あるパンとしてコンテストに出品した。フランスの著名なパティシエであるピエール・エルメ氏が考案したイスパハン(ラズベリーとライチを挟んだバラ風味のマカロン)を彷彿とさせるこの逸品は、台湾産のイチゴとバラの良い香りが特徴だ。
交流や視察で海外によく出る王さんの観察によれば、ヨーロッパには、果物が熱帯ほど豊かにはないため、輸入の冷凍ドライフルーツやフルーツピューレを使わざるを得ず、しかも果物を大量に砂糖漬けする習慣があり、果物本来の味にふれることが少ない。
一方、長く店を経営してきた王さんは、理念を同じくする農家たちと早くから協力し、関係を築いてきた。例えば果物は契約栽培で、あらかじめ必要な品種や栽培方法を農家に指定し、収穫後は加工工場に依頼して砂糖の割合を極力抑えたドライフルーツを作ってもらう。出来上がりの風味は生の果物に何ら劣らない。莎士比亜ベーカリーが続けてきたこの方法は、コンテストで審査員を唸らせる秘密兵器なのだ。

大学生の時に「莎士比亜」ベーカリーを開いた王鵬傑さんは、呉宝春さんに続いて台湾人として二人目のパン職人世界一となった。
台湾流ヨーロッピアン・ブレッド
消費者は必ずしもヨーロッパのパンが好きというわけではないかもしれないが、ヨーロッパのパンが台湾パン業界の風景を変えたのは確かだ。
例えば武子靖さんが指摘するのはこんなことだ。昔ながらの台湾のパン屋は発酵を短時間で済ませるため、生地作りからパンが焼き上がるまで半日もかからない。だが今では台湾式パン屋でも低温で発酵に時間をかける店が少なくない。武さんがスイーツ店「蜷尾家」創業者の李豫さんと共同で開いた「蜷尾家パン」もそうだ。パン職人は午後から生地作りを始め、ひと晩発酵させて翌日に焼く。こうすると「より軟らかく、より良い風味のパンができます」と武さんは言う。
作家の曹銘宗さんは、台湾の食文化には「創造の伝統がある」と語ったことがある。まったく異なる論理で作られるヨーロッパのパンを、西洋文化に縛られない台湾人は自分の好きなように変え、多くの人気商品を生み出してきた。
例えば野上智寛さんがバゲットとチーズやベーコンを組合わせて作る「ザルツブルク」は、彼の店のロングセラーだ。台北の「法蘭司」ベーカリーは、バゲットに甘いバタークリームを挟んだ「ウィーン風ソフトフランスパン」を売り出し、一時は共同購入の人気商品となった。
また、当時大きな話題となった「パン達人手感」ベーカリー・チェーンの目玉商品は、ヨーロッパ風のパンの中に大量の砂糖や油脂、具材を加えた「台式軟欧(台湾式ソフトヨーロピアン)」で、これも大ヒットした。
ほかにも、莎士比亜ベーカリーのセントラル工場に足を運んでみると、台湾のドライフルーツ入りのヨーロッピアン・ブレッドのほかに、分厚くミートソースが塗ってあってピザのように楽しめるパンや、マルゲリータの3要素であるトマト、チーズ、バジルを加えたチャバッタ、それにバゲットとクロワッサンの生地を組合わせ、パリッとした皮に、クロワッサンのバターの風味と柔らかさを持つパンまである。
こうしたミックスに、外国から来たパン職人やミシュラン・シェフも「こんなことを思いつくとは」「どうしてこんなにおいしいのか」と驚きの声を上げるほどだ。
台湾のパンのこうした奇想天外さは、スイーツ専門家の陳穎さんが著書『法式甜点裡的台湾(フランス式スイーツの中の台湾)』で指摘していることと重なる。彼女によれば、台湾のスイーツには職人の枠にとらわれない柔軟性と熱意が感じられ、ここはまるで「あちこちに珍しい花が美しく咲き乱れているのに、世界にはほとんど知られていない、活気に満ちた新天地」だと言う。パンもまさに同じではないだろうか。
聞くところでは、すでにパリには台湾人の経営するパン屋があり、売られているのは自家培養酵母を使って手作りにこだわったヨーロッパ風のパンで、しかもそれに台湾人の食習慣を組合わせ、具材を加えて焼き上げたものだという。消費者は買って帰った後、自分で具材を挟んだりしなくてもそのまま食べられるため、その手軽さがヨーロッパ人にも好評らしい。
台湾のパンは、ヨーロッパのパンの真髄を残しながらも台湾式にアレンジされている。少し手が込んでいて、少し反逆的で、型破りで「何でもあり」の創意がある。いわゆる「正統」からは離れているかもしれないが、台湾人なら「これでいいじゃないか」と言わんばかりに自然なものだ。そしてこの気負いのなさによってこそ、自らの出自や底力を表すことができるのだろう。それが台湾のパンを世界の舞台で輝かせるのだ。

3店舗を経営する王鵬傑さん(左)は、店にセントラル工場も備えている。世界大会出場選手のコーチをたびたび務め、業界への使命感が強い。自らの店から、さらなる実力派の台湾人パン職人が生まれることを願っている。


2008年にフランスでの世界大会「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー」で準優勝した台湾チーム。左から曹志雄さん、呉宝春さん、文世成さん、施坤河さん。(施坤河提供)

「莎士比亜」ベーカリーのパンは、ヨーロッパのやり方にならって自家培養酵母による手作りにこだわりながら台湾の食材も用いる。その味は台湾人に人気があるばかりか多くの外国人パン職人や一流シェフからも認められている。


武子靖さんと李豫さんが共同で開いた「蜷尾家パン」は、ヨーロッパのパンの作り方を取り入れた台湾風パンを作り、パン業界に飛躍をもたらした。